万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1065,1066,1067)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(25,26,27)―万葉集 巻十九 四二〇四、巻十四 三三七六、巻十 一八九五

―その1065-

●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(25)万葉歌碑<プレート>(僧恵行)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖

               (講師僧恵行 巻十九 四二〇四)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)

 

(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(同上)

(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。

(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。

(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(学研)

 

 題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>である。

 この歌ならびに家持が僧恵行のよいしょした歌をうまく受け流し応えた歌については、

 

当時の「儀制令」によると、三位以上の者はみな「蓋」を用いることになっており、一位は深緑色と決められていたので、僧恵行は、深緑色の「ほほがしは」の葉を持っている家持をみて、まさに、一位の人の持つ「蓋」と、よいしょしてほめたたえたのである。これに対し、家持は、葉を重ねて折って、昔は酒を飲んだということですよ、と恵行の「よいしょ」をかわして、「ほほがしは」を讃えた見事な切り返しの歌を詠っている。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その486)」で紹介している。

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―その1066―

●歌は、「恋しければ袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(26)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米

               (作者未詳 巻十四 三三七六)

 

≪書き下し≫恋(こひ)しけば袖(そで)も振らむを武蔵野(むざしの)のうけらが花の色に出(づ)なゆめ

 

(訳)恋しかったら私は袖でも振りましょうものを。しかし、あなたは、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出す、そんなことをしてはいけませんよ。けっして。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)うけら【朮】名詞:草花の名。おけら。山野に自生し、秋に白や薄紅の花をつける。根は薬用。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

「うけら」は、現在のオケラ(京都八坂神社のおけら詣りが有名)の古名で、万葉集では三首詠まれている。三三七六歌の「或る本の歌」をもカウントすると四首となる。

 

 これらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その340)」で紹介している。

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 私は、あなたと恋におちて、人の噂に立っていといません。しかしあなたのお立場を考えると、あなたは目立つようなことはしてはいけませんよ、と熱烈な恋の中、冷静に相手の立場を思いやっている。それだけ燃える恋なのであろう。

 東歌は、情をそのままぶつける歌が多いのであるが、ご当地名(武蔵野)がなかったら東歌と思えない歌なのである。

 

 

―その1067―

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(27)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(27)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

               (柿本朝臣人麿歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。

参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

「さきくさ」については諸説があり、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」では「ヤマゴボウ」、同1062では「ササユリ」、この碑(プレート)は、「イカリソウ」説に基づいて紹介されている。

 

「さきくさ」を詠んでいる歌は、この歌と、憶良の「・・・父母も うへはなさかり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく・・・(・・・「父さんも母さんもそばを離れないでね。ぼく、まん中に寝る」と、・・・)」(巻五 九〇四歌)の二首だけで、どちらも植物そのものを詠ってなくて掛詞・枕詞として使っているので植物についての意見が分かれているのである。

 それぞれの説に基づき植物を紹介し歌碑を配するのはさすが春日大社神苑萬葉植物園である。

 この歌ならびに憶良の九〇四歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その268改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」