万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1073)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(33)ー万葉集 巻八 一四七七

●歌は、「卯の花もいまだ咲かねばほととぎす佐保の山辺に来鳴き響もす」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(33)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(33)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴家持霍公鳥歌一首」<大伴家持が霍公鳥の歌一首>である。

 

◆宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 来鳴令響

                  (大伴家持 巻八 一四七七)

 

≪書き下し≫卯(う)の花もいまだ咲かねばほととぎす佐保(さほ)の山辺(やまへ)に来鳴き響(とよ)もす

 

(訳)卯の花もまだ咲かないのに、時鳥は、早くも佐保の山辺にやって来てしきりに鳴き立てている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)佐保の山辺:大伴氏の邸宅のあった地の山 

(注の注)五二八歌の左注に、大伴坂上郎女について、「右郎女者佐保大納言卿之女也」とある。佐保大納言とは郎女と旅人の父安麻呂のことである。平城京遷都に伴い安麻呂が佐保の地に居を構えたことからこう呼ばれた。旅人、家持と代々この地に住いしていたのである。

 

 家持が時鳥を詠んだ歌は六四首もあり、万葉集収録の時鳥を詠んだ歌の約四割を占めるという。

 一四七七歌は、巻八の部立「夏雑歌」に収録されているが、ここだけでも家持の時鳥を詠んだ歌が八首収録されている。他の七首をみてみよう。

 

卯の花がまだ咲いていないのに時鳥が鳴き立てていると詠う一四七七歌に対し花橘が咲き誇っているのに、まだ来て鳴かないと一四八六歌では、時鳥を恨んで詠っているのである。

 

題詞は、「大伴家持恨霍公鳥晩喧歌二首」<大伴家持、霍公鳥(ほととぎす)が晩(おそ)く喧(な)くを恨むる歌二首>である。

 

◆吾屋前之 花橘乎 霍公鳥 来不喧地尓 令落常香

                  (大伴家持 巻八 一四八六)

 

≪書き下し≫我がやどの花橘(はなたちばな)をほととぎす来鳴かず地(つち)に散らしてむとか

 

(訳)我が家の庭にせっかく咲いた橘の花なのに、時鳥よ、お前はやって来て鳴かないままで、いたずらに地面に散らしてしまおうというのか。(同上)

 

 

◆霍公鳥 不念有寸 木晩乃 如此成左右尓 奈何不来喧

                  (大伴家持 巻八 一四八七)

 

≪書き下し≫ほととぎす思はずありき木(こ)の暗(くれ)のかくなるまでに何(なに)か来鳴かぬ

 

(訳)時鳥よ、まったく思いもかけないことであったぞ。木の茂みの暗がりがこんなに濃くなるまで、どうして来て鳴かないのだ。(同上)

(注)思はずあり:思いもかけなかった

(注)このくれ【木の暗れ・木の暮れ】名詞:木が茂って、その下が暗いこと。また、その暗い所。「木の暮れ茂(しげ)」「木の暮れ闇(やみ)」とも。(学研)

(注)なにか【何か】副詞:どうして…か。なぜ…か。どうして…か、いや、…ない。▽疑問・反語の意を表す。(学研)

 

 

題詞は、「大伴家持懽霍公鳥歌一首」<大伴家持、霍公鳥を懽(よろこ)ぶる歌一首>である。

 

◆何處者 鳴毛思仁家武 霍公鳥 吾家乃里尓 今日耳曽鳴

                  (大伴家持 巻八 一四八八)

 

≪書き下し≫いづくには鳴きもしにけむほととぎす我家(わぎへ)の里に今日(けふ)のみぞ鳴く

 

(訳)どこかではもうとっくに鳴いてもいただろうに、時鳥は、我が家の里では今日やっと鳴いた。(同上)

(注)のみ 副助詞:《接続》体言、活用語の連体形、副詞、助詞などに付く。:①〔限定〕…だけ。…ばかり。②〔特に強調〕とりわけ。特に。③〔強調〕ただもう…する。ひたすら…でいる。▽「のみ」を含む文節が修飾している用言を強める。(学研)

 

 

 

題詞は、「大伴家持霍公鳥歌一首」<大伴家持が霍公鳥の歌一首>である。

 

◆霍公鳥 雖待不来喧 菖蒲草 玉尓貫日乎 未遠美香

                (大伴家持 巻八 一四九〇)

 

≪書き下し≫ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか

 

(訳)時鳥は、待っているけれどいっこうに来て鳴こうとはしないのか。あやめ草を薬玉(くすだま)にさし通す日が、まだ遠い先の日のせいであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あやめぐさ【菖蒲草】名詞:あやめ(菖蒲)。(学研)

(注の注)邪気を払うものとして、五月五日に薬玉に混えて貫いた。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて286」」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞は、「大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首」<大伴家持、雨日(あめふるひ)に霍公鳥の喧(な)くを聞く歌一首>である。

 

◆宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 従此間喧渡

                 (大伴家持 巻八 一四九一)

 

≪書き下し≫卯(う)の花の過ぎば惜しみかほととぎす雨間(あまま)も置かずこゆ鳴き渡る

 

(訳)卯の花が散ってしまうと惜しいからか、時鳥が雨の降る間(ま)も休まず、ここを鳴きながら飛んで行く。(同上)

(注)あまま【雨間】名詞:雨と雨との合間。雨の晴れ間。(学研)

 

 

題詞は、「大伴家持霍公鳥歌二首」<大伴家持が霍公鳥の歌二首>である。

 

◆夏山之 木末乃繁尓 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遥佐

                  (大伴家持 巻八 一四九四)

 

≪書き下し≫夏山の木末(こぬれ)の茂(しげ)にほととぎす鳴き響(とよ)むなる声の遥(はる)けさ

 

(訳)夏山の梢(こずえ)の茂みで時鳥がしきりに鳴き立てている。その声の何とはるばると聞こえてくることか。(同上)

(注)こぬれ【木末】名詞:木の枝の先端。こずえ。 ※「こ(木)のうれ(末)」の変化した語。上代語。(学研)

(注)「遥けさ」「遥へし」は、家持が好んだ語である。

 

 

◆足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後将戀可聞

                  (大伴家持 巻八 一四九五)

 

≪書き下し≫あしひきの木(こ)の間(ま)立ち潜(く)くほととぎすかく聞きそめて後のち)恋ひむかも

 

(訳)山の木の間を飛びくぐっては鳴く時鳥、その時鳥の声をこうして聞き始めたからには、あとあと恋しく思われてならないのではあるまいか。(同上)

(注)あしひきの:ここは山の意。前歌の夏山を承けている。

(注)たちくく【立ち潜く】自動詞:(間を)くぐって行く。 ※「たち」は接頭語。(学研)

 

 

 これほどまで時鳥に関心を寄せるほど、身近な鳥であったのであろう。

 

 佐保の地も、高の原界隈といった万葉ゆかりの地も住宅開発が進み、自然が失われ残念ながら時鳥を見たことも声を聞いたこともない。以前は時折キジの姿を見かけたが、近年お目にかかったことがない。しかし鴬の声はたまには聞くことがある。どこかで鴬の巣に卵を産んで育ててもらっている時鳥がいるのだろうか。

 

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「ほととぎす」日本野鳥の会京都支部HPより引用させていただきました。


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「日本野鳥の会京都支部HP」