万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1077)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(37)―万葉集 巻四 六六九

●歌は、「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(37)万葉歌碑<プレート>(春日王

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足引之 山橘乃 色丹出与 語言継而 相事毛将有

                                   (春日王    巻四 六六九)

 

≪書き下し≫あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でよ語らひ継(つ)ぎて逢ふこともあらむ

 

(訳)山陰にくっきりと赤いやぶこうじの実のように、いっそお気持ちを面(おもて)に出してください。そうしたら誰か思いやりのある人が互いの消息を聞き語り伝えて、晴れてお逢いすることもありましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「足引之 山橘乃」は序、「色丹出与」を起こす。

 

題詞は、「春日王歌一首 志貴皇子之子母日多紀皇女也」<春日王(かすがのおほきみ)が歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女といふ>である。

(注)多紀皇女は、天武天皇の娘

 

 人の噂には呪力があるという。噂の呪力に働きかけて、思う人の気持ちを確認しようという気持ちで詠われている。直接確認すれば、もし心が通じないことが分かったらそのショックは大きいのでこのように詠ったのであろう。それほどまでに恋い焦がれているのに今一歩踏み出せないでいる微妙な段階の思いが伝わって来る。

 

 春日王について調べてみると、「大君は千年(ちとせ)に座(ま)さむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや(巻三 二四三歌)」の歌があるが、これは弓削皇子の歌に和(こた)へ奉(まつ)る歌である。こちらの春日王は、常に弓削皇子を支えていたが、大津皇子刑死以降の一連の皇位継承争いの中で、文武三年(699年)に春日王弓削皇子、そして皇子の母大江皇女が相次いで亡くなっているのである。

 

春日王の父、志貴皇子(しきのみこ)については、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」には次のように記されている。「『万葉集』の歌人。活躍は藤原京時代。天智(てんじ)天皇の皇子。母は道君伊羅都売(みちのきみのいらつめ)。光仁(こうにん)天皇の父で、追尊して春日宮(かすがのみや)天皇、また田原(たわら)天皇とも。万葉歌人湯原王(ゆはらのおおきみ)らの父でもある。天武(てんむ)朝にはすでに成年に達していたらしい。持統(じとう)朝には不遇であった。作品は短歌6首で少ないが、明快、流麗なリズムで新鮮さがあり、繊細な面も認められる。また寓意(ぐうい)を含むと思われる歌、機知的な歌もある。なお皇子の死を悼(いた)む笠金村(かさのかなむら)の挽歌(ばんか)が巻2に収録されている。この題詞が715年(霊亀1)没と伝え、『続日本紀(しょくにほんぎ)』が716年没とする。(後略)」

 

 陵は「春日宮天皇田原西陵」である。この陵のまえに、巻八の巻頭歌(一四一八歌)の歌碑がある。歌をみてみよう。

 

◆石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

               (志貴皇子 巻八 一四一八)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも

 

(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たるみ【垂水】名詞:滝。(学研)

 

 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>とある。

この歌ならびに西陵に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その28改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部訂正しております。ご容赦下さい。)

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志貴皇子の子供には、万葉歌人湯原王、白壁皇子(後の光仁天皇)、春日王らがいるが、春日王の六六九歌に続いて、湯原王の歌が収録されているのでこちらもみてみよう。

 

題詞は、「湯原王歌一首」<湯原王(ゆはらのおほきみ)が歌一首>である。

 

◆月讀之 光二来益 足疾乃 山寸隔而 不遠國

               (湯原王 巻四 六七〇)

 

≪書き下し≫月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山さへなりて遠からなくに

 

(訳)お月様の光をたよりにおいでになって下さいませ。山が立ちはだかって遠いというわけでもないのですから。(同上)

(注)月読(つくよみ):日本神話に出てくる月の神。(日本書記では月読尊、古事記では月読命と書く)ここでは、月を神に見立ててこう呼んでいる。

(注)きへなる【来隔る】自動詞:来て遠く隔たる。(学研)

 女の立場で詠んだ歌である。

 

この歌に対して男の立場で、和(こた)えた歌もみてみよう。

 題詞は、「和歌一首 不審作者」<和(こた)ふる歌一首 不審作者を審らかにせず>である。

 

◆月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念

                 (作者未詳 巻四 六七一)

 

≪書き下し≫月読(つくよみ)の光は清く照らせれど惑(まと)へる心思ひあへなくに

 

(訳)なるほど、お月様の光は清らかにそそいでおりますが、田千々に乱れる心の闇に光が見えなくなって、ふんぎりがつきかねているのです。(同上)

(注)おもひあへず【思ひ敢へず】[連語]:① 思い切れない。② 考えつかない。思い及ばない。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

なお、志貴皇子の死を悼む笠金村の挽歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」に紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 著 (學燈社

★「大津皇子」 生方たつゑ 著 (角川選書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉