万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1079)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(39)ー万葉集 巻三 三七九

●歌は、「久方の天の原より生れ来たる神の命奥山の賢木の枝に白香付け・・・」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(39)万葉歌碑<プレート>(大伴坂上郎女

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

                (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君に逢はじかも:祖神の中に、亡夫宿奈麻呂を封じ込めた表現

 

 題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女、神を祭る歌一首并せて短歌>である。 

 

反歌もみてみよう。

 

◆木綿疊 手取持而 如此谷母 吾波乞甞 君尓不相鴨 

                  (大伴坂上郎女 巻三 三八〇)

 

≪書き下し≫木綿畳(ゆふたたみ)手に取り持ちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも

 

(訳)木綿畳を手に掲げ持って神の前に捧(ささ)げ、私はこんなにまでしてお祈りしましょう。なのに、それでも我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(同上)

(注)ゆふたたみ【木綿畳】名詞:「木綿(ゆふ)」を折り畳むこと。また、その畳んだもの。神事に用いる。「ゆふだたみ」とも。(学研)

 

 

左注は、「右歌者 以天平五年冬十一月供祭大伴氏神之時 聊作此歌 故日祭神歌」<右の歌は、天平の五年の冬の十一月をもちて、大伴の氏(うじ)の神(かみ)を供祭(まつ)る時に、いささかにこの歌を作る。故(ゆゑ)に神を祭る歌といふ。>である。

(注)天平五年:733年

 

 左注にあるように、祭神歌であるが、三七九歌の長歌も三八〇歌も結句「君に逢はじかも」が極めて私的な思いが色濃く出ており、相聞的な歌といっても差し支えないほどである。こんなにお祈りしても君に逢えないのか、と結句の重みを感じさせるのである。

 

旅人の妻が亡くなり、旅人も亡くなってのち、坂上郎女は一族の後見役、世話役になっているので、「祭神歌」はそれなりの重みを持つのである。

 

消化不良であったが、「國文學 万葉集の詩と歴史」(4月号 第23巻5号)に、森 朝男氏の「祭式と歌―坂上郎女『祭神歌』をめぐって―」という稿を見つけた。

 氏はその中で「・・・こうした歌を、祭祀の場で詠唱した歌だと考えることは、特にこの歌の場合などには、全く妥当しないであろう。相手が氏神だと言え。『君に逢はじかも』という個人的な祈願の表現は、集団的な祭祀の場にふさわしいとは言えない。(注略)『君に逢はじかも』はどう見ても恋の表現であり、この結句は、本来的には氏神祭祀の目的に合致するものではないだろう。」と指摘されてはいるが、三二八四、三二八六、三二八八歌、三二六三歌などを取り上げ、祭祀行為を叙述し、「祭神歌」としての面目を保持しつつ抒情詩的に落着させる歌い方に着目され、「『祭神歌』は、祭式的言語の文脈を転換させて感情表現を実現する」時代的な特異性として位置づけておられる。

 

 参考までに三二八四歌をみてみよう。

 

◆菅根之 根毛一伏三向凝呂尓 吾念有 妹尓緑而者 言之禁毛 無在乞常 齋戸乎 石相穿居 竹珠乎 無間貫垂 天地之 神祇乎曽吾祈 甚毛為便無見

                  (作者未詳 巻十三 三二八四)

 

≪書き下し≫菅(すが)の根の ねもころごろに 我(あ)が思(おも)へる 妹(いも)によりては 言(こと)の忌(い)みも なくありこそと 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ 天地(あめつち)の 神をぞ我(わ)が祷(の)む いたもすべなみ

 

(訳)菅の根ではないが、ねんごろに私が思っているあの子のことでは、何を口走っても言葉の禍(わざわい)など起こらないでほしいと、斎瓮(いはいべ)をうやうやしく掘り据え、竹玉をびっしりと貫き垂らし、天地の神という神に私はひたすらお祈りをする。ただ恋しくてどうにも手だてがないので。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)すがのねの【菅の根の】分類枕詞:①すげの根が長く乱れはびこることから「長(なが)」や「乱る」、また、「思ひ乱る」にかかる。②同音「ね」の繰り返しで「ねもころ」にかかる。(学研)

(注)言(こと)の忌み:言葉による災い

(注)いたも【甚も】副詞:甚だ。全く。(学研)

 

「斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ」の箇所は、三七九歌に似ているが、祭式的言語はこれに留まっている。

 

 

「サカキ」については、春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板に「『栄え樹(サカエキ)』・『境樹(サカイキ)』として榊(サカキ)・柃(ヒサカキ)・オダカマなどが用いられたことから常緑樹の総称と考えられ、特定の木ではなかったがその中でも色や形が美しい『榊(サカキ)』が神事にふさわしい木として用いられるようになった。現在使われている『榊』の字は、神事に使われる神木を意味する国字である。(後略)」と書かれている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「祭式と歌―坂上郎女『祭神歌』をめぐって―」 森 朝男 稿 (國文學 万葉集の詩と歴史」<4月号 第23巻5号>)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」