●歌は、「我がやどは甍しだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(42)にある。
●歌をみていこう。
◆我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生
(作者未詳 巻十一 二四七五)
≪書き下し≫我がやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見れどいまだ生(お)ひず
(訳)我が家の庭はというと、軒のしだ草はいっぱい生えているけれど、肝心の恋忘れ草はいくら見てもまだ生えていない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
春日大社神苑萬葉植物園・植物説明板によると、「『しだくさ』は、羊歯(シダ)植物の一種と考えられており『甍(イラカ)しだ草』又『軒(ノキ)のしだ草』と歌中に詠まれている。軒の下に生えることが名の由来になって『軒忍(ノキシノブ)』が定説になっているが、他説に『下草(したくさ)』と読み『裏白(ウラジロ)』とする説もある。」と書かれている。
「しだ草」を詠んだのは万葉集ではこの一首だけである。
四句目に「恋忘れ草」とあるが、「忘れ草」は、五首が収録されている。
「忘れ草」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。
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忘れたいが故にすがりたい思いに駆られる「忘れ貝」や「恋忘れ貝」がある。これを詠った歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。
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断ち切り難い恋情を忘れたいと願ったり、恋が成就するかどうか不安に駆られ占いに頼ったり、恋と言うのはいつの世も同じである。
占ってみると、今夜は逢えると出た。しかし不安である。他の占いもやってみる。するとどれも今夜は逢えると出ていた。しかし現実の厳しさ。あの人はやって来ない。期待が大きかっただけに反動も大きい。しかし自分のみじめな気持ちだけは抑えつつやや淡々とその気持ちを詠った歌をみてみよう。
◆夕卜尓毛 占尓毛告有 今夜谷 不来君乎 何時将待
(作者未詳 巻十一 二六一三)
≪書き下し≫夕占(ゆふけ)にも占(うら)にも告(の)れる今夜(こよい)だに来まさぬ君をいつかと待たむ
(訳)夕占(ゆううら)にも他の占いにもいらっしゃるとお告げのあった今夜、こんな夜さえもおいでにならないお方なのに、いったいいつと思ってお待ちすればよいのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆふけ【夕占・夕卜】名詞:夕方、道ばたに立って、道行く人の言葉を聞いて吉凶を占うこと。夕方の辻占(つじうら)。「ゆふうら」とも。 ※上代語。(学研)
恋をしたら、相手に忘れられることが一番つらいことである。そのような切ない歌もみてみよう。
◆紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜
(作者未詳 巻十一 二七六三)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)の浅葉(あさは)の野らに刈(か)る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も我(あ)を忘らすな
(訳)紅色(べにいろ)の浅いという、その浅葉の野で刈る萱(かや)の一束ではありませんが、つかの間も私のことを忘れない下さいね。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)
(注)上三句は序。「束の間」を起こす。
もう一首みてみよう。
◆庭立 麻手苅干 布暴 東女乎 忘賜名
(常陸娘子 巻四 五二一)
≪書き下し≫庭に立つ麻手刈り干し布暴(ぬのさら)す東女(あずまをみな)を忘れたまふな
(訳)庭畑に茂り立っている麻を刈って干し、織った布を日にさらす東女(あずまおんな)、この田舎くさい女のことをどうかお忘れ下さいますな。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)季節によって畑になったり、仕事場になったりする家の前の空き地。
題詞は、「藤原宇合大夫(ふじはらのうまかひのまへつきみ)、遷任して京に上る時に、常陸娘子(ひたちのをとめ)が贈る歌一首」である。
養老(ようろう)三年(719年)、藤原宇合は、常陸守(ひたちのかみ)兼(けん)按察使(あぜち)に任命され、任期を全うし平城京に帰任することになった時(但し帰任年未詳)の送別の宴の歌であろう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集の心を読む」 上野 誠 著 (角川文庫)
★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHK出版)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」