万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1083)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(43)―万葉集 巻八 一五三八)

●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(43)万葉歌碑<プレート>

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(43)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1027)」でそれぞれの花についても解説を加えている。

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 一五三七、一五三八歌の歌碑は、春日大社北参道にもある。こちらについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その61改、62改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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 春日大社について改めて調べてみよう。「なら旅ネット<奈良県観光公式サイト>(奈良県ビジターズビューローHP)」に次のように書かれている。

神護景雲二年(768年)、今の地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名。また、境内には春日大社国宝殿があり、国宝352点、重要文化財971点を含む約3000点を収蔵、公開している。皇室の尊崇に加えて、庶民の信仰も厚かったため、数多くの灯籠が奉納された。一之鳥居(重要文化財)から春日灯籠が並ぶ参道を行くと、春日大社神苑萬葉植物園がある。園内には万葉集に登場する草花約300種が植えられており、ゆかりの万葉歌が添えられている。背後の春日山を包む春日山原始林は、春日大社の社叢として保護されてきたことで、太古の姿を現在に伝える。(国の特別天然記念物に指定)1998年12月に『古都奈良の文化財』として世界遺産に登録された。」

春日大社HPに、「神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓」に「奈良時代神護景雲二年(768年)、称徳天皇の勅命により(中略)御本殿が造営され」と書かれている。

 

奈良県HP「はじめての万葉集vol.18」に次のような記述がある。「(前略)春日大社の本殿は御蓋山(みかさやま)のふもとに建てられています。御蓋山は、春日山の手前にある左右対称のなだらかな笠(かさ)型の山で、禁足地(きんそくち)として今も守られている聖地です。その御蓋山は『万葉集』では『春日なる三笠の山』と詠まれており、春日の地を代表する山だったようです。若草山のことを後世に三笠山と呼んだために、現在では一般的に御蓋山と書き分けがなされています。ただし『万葉集』の三笠山を、現在の春日山御蓋山などの総称とする説もあります。」

 

 若草山を「三笠山」と後世に呼ぶようになったため、万葉集に詠まれている「春日なる三笠山」は「御蓋山(みかさやま)」と書き分けているのである。

 今まで、若草山三笠山と思い込んでいたので、春日大社の神山としては位置的にしっくりしないままであった。恥ずかしながら、今回調べて納得がいったのである。

 

 「御蓋山(みかさやま)」を詠んだ歌をみてみよう。

 

◆八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢■鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀▲丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男壮鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞

田辺福麻呂 巻六 一〇四七)

       ※ ■は「白」に「八」である、 ▲はやまへんに鬼である

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君の 高敷(たかし)かす 大和の国は すめろきの 神の御代(みよ)より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天(あめ)の下(した) 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)をかねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺(のへ)に 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗隠(くれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間(ま)なくしば鳴く 露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火(とぶひ)が岳に 萩の枝(え)を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を 新代(あらたよ)の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花(はるはな)の うつろひ変はり 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬もいかず 人も行かねば 荒れにけるかも

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が治められている日の本の国は、皇祖の神の御代以来ずっとお治めになっている国であるから、この世に現れ給う代々の御子が次々にお治めになるべきものとして、千年にも万年にもわたるとこしえの都としてお定めになったこの奈良の都は、陽炎の燃える春ともなると、春日山の麓の御笠の野辺で、桜の花の木陰に隠れて、貌鳥(かほどり)はとくに絶え間なく鳴き立てる。露が冷たく置く秋ともなると、生駒山の飛火が岳で、萩の枝をからませ散らして、雄鹿は妻呼び求めて声高く鳴く。山を見れば山も見飽きることがないし、里を見れば里も住み心地がよい。もろもろの大宮人がずっと心に思っていたことには、天地の寄り合う限り、万代ののちまでも栄え続けるであろうと、そう思っていた大宮であるのに、そのように頼りにしていた奈良の都であったのに、新しい御代(みよ)になったこととて、大君のお指図のままに、春の花が移ろうように都が移り変わり、群鳥が朝立ちするように人びとがいっせいに去って行ってしまったので、今まで大宮人たちが踏み平(な)らして往き来していた道は、馬も行かず人も通わないので、今はまったく荒れ放題になってしまった。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし 【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている                   意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たかしく【たかしく】他動詞:立派に治める(学研)

(注)すめろき【天皇】:天皇。「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。(weblio古語辞書)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも。            「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(weblio古語辞書)

(注)とぶひがたけ【飛火が岳】:合図のための烽火台のある峰。

(注)しがらむ【柵む】他動詞:①からみつける。からめる。②「しがらみ」を作りつける。(weblio古語辞書)

(注)やそ【八十】名詞:八十(はちじゅう)。数の多いこと。(weblio古語辞書)

(注)とも【伴】名詞:(一定の職能をもって朝廷に仕える)同一集団に属する人々。(学研)

 

 

 題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」<寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并(あは)せて短歌>である。

(注)故郷:古京の意。

(注)天平十三年(741年)元正天皇恭仁京遷都を行った折に詠った歌か。

 

短歌もみてみよう。

 

◆立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎

                 (田辺福麻呂 巻六 一〇四八)

 

≪書き下し≫たち変り古き都となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生(お)ひにけり

 

(訳)打って変わって、今や古びた都となってしまったので、道の雑草、ああこの草も、丈高く生(お)い茂ってしまった。(同上)

(注)たちかわり〔‐かはり〕【立(ち)代(わ)り】[副]:代わる代わる。たびたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

◆名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益

                  (田辺福麻呂 巻六 一〇四九)

 

≪書き下し≫なつきにし奈良の都の荒れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増(ま)さる

 

(訳)すっかり馴染となった奈良の都が日ごとにあれすさんでゆくので、外に出で立って見るたびに、嘆きはつのるばかりだ。(同上)

(注)なつきにし:慣れ親しんだ

 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その83改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。御容赦下さい。)

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 恭仁京はそれまでの都に比べ規模も小さく、短命な都(天平十二年から同十六年)であった。驚くことに、恭仁京大極殿の建物は、第一次平城京大極殿を移築したものであったという。(「恭仁京 よみがえる古代の都」<木津川市教育委員会発行パンフレット>)

 大伴家持は、天平十五年に「久邇(くに)の京を讃(ほ)める歌を詠っている。」

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その184)」で紹介している。

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 「御蓋山(みかさやま)」を詠んだ歌に戻って、あと二首みてみよう。

 

◆春日在 三笠乃山二 月船出 遊士之 飲酒坏尓 陰尓所見管

                 (作者未詳 巻七 一二九五)

 

≪書き下し≫春日にある御笠(みかさ)の山に月の舟出(い)づ 風流士(みやびを)の飲む酒坏(さかづき)に影は見えつつ

 

(訳)ここ春日の御笠の山に月の舟が出た。風流士(みやびお)の飲む酒坏に影を落としてさ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)春日にある御笠(みかさ)の山:春日山の前方にある一峯。

(注)みやびを【雅び男】名詞:風流を解する男。風流を好む男。風流人。(学研)

 

伊藤 博氏は、「春日有」の場合は、「かすがなる」と読み、「春日在」の場合は、「かすがにある」と読んでおられる。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その151)」で紹介している。

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もう一首みてみよう。

 

◆春日在 三笠乃山尓 月母出奴可母 佐紀山尓 開有櫻之 花乃可見

                   {作者未詳 巻十 一八八七)

 

≪書き下し≫春日(かすが)にある御笠(みかさ)の山に月も出(い)でぬかも 佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく

 

(訳)東の方春日に聳(そび)えるある御笠の山に早く月が出てくれないものか。西の方佐紀山に咲いている桜の花がよく見えるように。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 (注)佐紀山:奈良市佐紀町の北部一帯の山

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その4改)」で紹介している。

(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書」

★「なら旅ネット<奈良県観光公式サイト>」 (奈良県ビジターズビューローHP)

★「はじめての万葉集vol.18」 (奈良県HP)

★「春日大社HP」

★「恭仁京 よみがえる古代の都」 (木津川市教育委員会発行パンフレット)