万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1086)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(46)―万葉集 巻二十 四五一二

●歌は、「池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を扱入れな」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(46)万葉歌碑<プレート>(大伴家持


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(46)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊氣美豆尓 可氣佐倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈

               (大伴家持 巻二十 四五一二)

 

≪書き下し≫池水(いけみづ)に影さえ見えて咲きにほふ馬酔木(あしび)の花を袖(そで)に扱(こき)いれな

 

(訳)お池の水の面に影までくっきり映しながら咲きほこっている馬酔木の花、ああ、このかわいい花をしごいて、袖の中にとりこもうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)こきいる【扱き入る】他動詞:しごいて取る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 天平勝宝九年(757年)七月四日、橘奈良麻呂の変。八月十八日、天平宝字改元

 天平宝字元年(757年)十一月十八日、藤原仲麻呂の権勢をほしいままにした「いざ子どもたはわざなせそ天地の堅めし国ぞ大和島根は(四四八七歌)」の歌が収録されている。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1011)」で紹介している。

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 ここから、万葉集の終焉に向かって一気に下って行くのである。

 或る意味、だらだらと宴会歌が続くのである。そこには、かつてのような前向きな、明日を夢見る気持ちはなく、かつての親しい仲間を失い、体制の中に捉われ懐古に浸る歌が多い。しかも、歌を準備するも奏上できなかったものも多い。家持のオーラが萎え、進み出て奏上する場の空気もないのであろう。

 順を追って、家持の歌をとりあげてみてみよう。

 

 

題詞は、「十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首」<十二月の十八日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆安良多末能 等之由伎我敝理 波流多々婆 末豆和我夜度尓 宇具比須波奈家

                  (大伴家持 巻二十 四四九〇)

 

≪書き下し≫あらたまの年行き返(がへ)り春立たばまづ我が宿にうぐひすは鳴け

 

(訳)年が改まって新しい春を迎えたなら、まっ先に、このわれらの庭先で、鴬よ、お前は鳴くのだぞ。(同上)

 

 

題詞は、「廿三日於治部少輔大原今城真人之宅宴歌一首」<二十三日に、治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人が宅(いへ)にして宴する歌一首>である。

 

◆都奇餘米婆 伊麻太冬奈里 之可須我尓 霞多奈婢久 波流多知奴等可

                  (大伴家持 巻二十 四四九二)

 

≪書き下し≫月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか

 

(訳)月日を暦で数えてみると、まだ冬だ。とはいうものの、霞があたり一面にたなびいている。やはり季節の春が到来しているということなのか。(同上)

 

 

題詞は、「二年春正月三日召侍従竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴 于時内相藤原朝臣奉勅宣 諸王卿等随堪任意作歌并賦詩 仍應 詔旨各陳心緒作歌賦詩  未得諸人之賦詩并作歌也」<二年の春の正月の三日に、侍従、豎子(じゆし)、王臣等(ら)を召し、内裏(うち)の東(ひがし)の屋(や)の垣下(かきもと)に侍(さもら)はしめ、すなわち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴(しえん)したまふ。時に、内相藤原朝臣、勅(みことのり)を奉じ宣(の)りたまはく、「諸王(しよわう)卿(きやう)等(ら)、堪(かん)のまにま意のまにまに歌を作り、并(あは)せて詩を賦(ふ)せ」とのりたまふ。よりて詔旨(みことのり)に応え、おのもおのも心緒(おもひ)を陳(の)べ、歌を作り詩を賦(ふ)す。  いまだ諸人の賦したる詩、并せて作れる歌を得ず>

(注)二年:天平宝字二年(758年)

(注)じじゅう【侍従】名詞:天皇に近侍し、補佐および雑務に奉仕する官。「中務省(なかつかさしやう)」に所属し、定員八名。そのうち三名は少納言の兼任。のちには数が増える。中国風に「拾遺(しふゐ)」ともいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)じゅし【豎子・孺子】①未熟者。青二才。②子供。わらべ。:未冠の少年で宮廷に奉仕する者。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)かきもと【垣下】名詞:宮中や公卿(くぎよう)の家で催される饗宴(きようえん)で、正客の相手として、ともにもてなしを受ける人。また、その人の座る席。相伴(しようばん)をする人。「かいもと」とも。(学研)

(注)たまばはき【玉箒】名詞:①ほうきにする木・草。今の高野箒(こうやぼうき)とも、箒草(ほうきぐさ)ともいう。②正月の初子(はつね)の日に、蚕室(さんしつ)を掃くのに用いた、玉を飾った儀礼用のほうき。(学研)

(注)まにま【随・随意】名詞:他の人の意志や、物事の成り行きに従うこと。まま。※形式名詞と考えられる。連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)

 

 

◆始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎

                (大伴家持 巻二十 四四九三)

 

≪書き下し≫初春(はつはる)の初子(はつね)の今日(けふ)の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺(ゆ)らぐ玉の緒

 

(訳)春先駆けての、この初春の初子の今日の玉箒、ああ手に取るやいなやゆらゆらと音をたてる、この玉の緒よ。(同上)

 

左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持作 但依大蔵政不堪奏之也」<右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。ただし、大蔵の政(めつりごと)によりて、奏し堪(あ)へず>

 

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて325」で紹介している。

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◆水鳥乃 可毛能羽能伊呂乃 青馬乎 家布美流比等波 可藝利奈之等伊布

                 (大伴家持 巻二十 四四九四)

 

≪書き下し≫水鳥(みづどり)の鴨(かも)の羽色(はいろ)の青馬(あをうま)を今日(けふ)見る人は限りなしといふ

 

(訳)水鳥の鴨の羽のような青、そのめでたい青馬を今日見る人は、命限りもなしと言います。(同上)

(注)みづとりの【水鳥の】分類枕詞:水鳥の代表であることから「鴨(かも)」、および同音の地名「賀茂(かも)」に、また、水鳥の色や生態から「青葉」「立つ」「浮き(憂き)」などにかかる。「みづとりの鴨」(学研)

(注)上二句は序。「青」を起こす。

(注)あをうま【青馬】名詞:①毛色が淡い青色の馬。青みを帯びた灰色の馬。(学研)

 

左注は、「右一首為七日侍宴右中辨大伴宿祢家持預作此歌 但依仁王會事却以六日於内裏召諸王卿等賜酒肆宴給祿 因斯不」<右の一首は、七日の侍宴(じえん)のために、右中弁(うちうべん)大伴宿禰家持、預(あらかじ)めこの歌を作る。ただし、仁王会(にんわうゑ)の事によりて、かへりて六日をもちて内裏に諸王卿等を召して酒を賜ひ、肆宴して禄を給ふ。これによりて奏せず。>である。

(注)七日:正月七日、青馬の節会の日。

(注)仁王経を講じる法会が七日に行われることになったことをいう。

(注)かへりて【却りて】副詞:逆に。あべこべに。かえって。(学研) ここでは「変更して」の意。

 

 

題詞は、「六日内庭假植樹木以作林帷而為肆宴歌」<六日に、内庭にかりに樹木を植ゑて以(も)ちて林帷(りんゐ)と作(な)して、肆宴を為(な)したまふ歌一首>である。

 

◆打奈婢久 波流等毛之流久 宇具比須波 宇恵木之樹間乎 奈枳和多良奈牟

              (大伴家持 巻二十 四四九五)

 

≪書き下し≫うち靡く春ともしるくうぐひすは植木(うゑき)の木間(こま)を鳴き渡らなむ

 

(訳)草木一面に靡く、待ちにまった春がやって来たとはっきりわかるように、鴬よ、この植木の木の間を鳴き渡っておくれ、(同上)

(注)しるし【著し】形容詞:①はっきりわかる。明白である。②〔「…もしるし」の形で〕まさにそのとおりだ。予想どおりだ。(学研)

(注)なむ 終助詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てもらいたい。 ⇒参考 上代には「なむ」と同じ意味で「なも」を用いた。「なん」とも表記される。(学研)

 

左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持 不奏」<右の一首は右中弁大伴宿禰家持 不奏>である。

 

 

題詞は、「二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十首」<二月に式部大輔(しきふのだいふ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌十首>である。

 

◆波之伎余之 家布能安路自波 伊蘇麻都能 都祢尓伊麻佐祢 伊麻母美流其等

                  (大伴家持 巻二十 四四九八)

 

≪書き下し≫はしきよし今日(けふ)の主人(あろじ)は礒松(いそまつ)の常にいまさね今も見るごと

 

(訳)慕わしく思う今日の宴の主人(あるじ)は、お庭の磯松のようにいつも変わらずにいて下さいませ。今もこうして拝見しているままに(同上)

(注)磯松:今見ている庭園の池の岸辺の松。「松」に「待つ」を懸け、変わらずに待っていてほしい意をこめる。

 

◆夜知久佐能 波奈波宇都呂布 等伎波奈流 麻都能左要太乎 和礼波牟須婆奈

                  (大伴家持 巻二十 四五〇一)

 

≪書き下し≫八千種(やちくさ)の花はうつろふときはなる松のさ枝(えだ)を我れは結ばな

 

(訳)折々の花はとりどりに美しいけれど、やがて色褪(いろあ)てしまう。われらは、永久(とわ)に変わらぬ、このお庭の松を結んで、主人(あるじ)の弥栄(いやさか)を祈ろう。(同上)

 

◆伎美我伊敝能 伊氣乃之良奈美 伊蘇尓与世 之婆之婆美等母 安加無伎弥加毛

                   (大伴家持 巻二十 四五〇三)

 

≪書き下し>君が家(いへ)の池の白波(しらなみ)礒(いそ)に寄せしばしば見とも飽(あ)かむ君かも

 

(訳)我が君のお庭の池の白波、その白波は今しきりに磯に寄せています、その寄せる波のように重ね重ね何度お見受けしても、見飽きるようなお方ではありません。(同上)

 

 

題詞は、「依興各思高圓離宮處作歌五首」<興に依りて、おのもおのも高円(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思ひて作る歌五首>である。

 

◆多加麻刀能 努乃宇倍能美也波 安礼尓家里 多々志々伎美能 美与等保曽氣婆

                  (大伴家持 巻二十 四五〇三)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野の上(うへ)の宮は荒れにけり立たしし君の御代(みよ)還(とほ)そけば

 

(訳)高円の野の上の宮はすっかり人気なくなってしまった。ここにお立ちになった大君の御代が、遠のいて行くので。(同上)

 

◆波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美乃 賣之思野邊尓波 之米由布倍之母

                (大伴家持 巻二十 四五〇九)

 

≪書き下し≫延ふ葛(くず)の絶えず偲はむ大君の見(め)しし野辺(のへ)には標(しめ)結(ゆ)ふべしも

 

(訳)這い広がる葛のように絶えることなく、お慕いしてゆこう。われらの大君の親しくご覧になったこの野辺には、標縄を張っておくべきだ。(同上)

 

 

歌碑(プレート)歌の題詞は、「属目山斎作歌三首<山斎(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首>である。三首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(475)」で紹介している。

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題詞は、「二月十日於内相宅餞渤海大使小野田守朝臣等宴歌一首」<二月の十日に、内相(ないしやう)が宅(いへ)にして餞渤海大使(ぼっかいだいし)小野田守朝臣等(をののたもりあそみら)を餞(せん)する宴(うたげ)の歌一首>である。

 

◆阿乎宇奈波良 加是奈美奈妣伎 由久左久佐 都ゝ牟許等奈久 布祢波ゝ夜家無

            (大伴家持 巻二十 四五一四)

 

≪書き下し≫青海原(あをうなはら)風波(かぜなみ)靡(なび)き行(ゆ)くさ来(く)さつつむことなく船は早けむ

 

(訳)青海原、風波(かぜなみ)が静かに凪(な)いで果てもなく広がるその海原では、行も帰りも何のさわりもなく、船はすいすいと進むことでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆくさくさ【行くさ来さ】分類連語:行くときと来るとき。往復。 ※「さ」は接尾語。(学研)

(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)

 

左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持 未誦之」<右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 いまだ誦せず>である。

 

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その724)」で紹介している。

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天平宝字元年(757年)十二月十八日の宴に参加して歌が収録されているのは、三形王、甘南備伊香真人、家持である。二十三日は家持、天平宝字二年(758年)正月三日は、家持であるが、奏し堪(あ)へず、である。続く二首も奏さずである。二月には、中臣清麻呂宅で宴が開かれ、四四九六から四五一三間での歌が収録されている。宴に参加し歌が収録されているのは、中臣清麻呂、市原王、甘南備伊香真人、大原今城真人、三形王と家持である。

 家持の交友関係は、このような政治の主流から外れた王族達であった。

 二月に渤海大使の餞別の宴の歌も詠われていない。

六月に家持は、因幡守に任じられる。かつて家持が赴任した越中守よりは格が低く、藤原仲麻呂による左遷人事であることは明らかであろう。

 

そして、天平宝字三年正月の、

「新(あらた)しき年の初めの初春(はつはる)の今日(けふ)降う雪のいやしけ吉事(よごと」(四五一六歌)」で、万葉集は静かに幕を閉じているのである。

 

(このブログはまだまだ続けます!)

 

 

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馬酔木(庭に咲いているピンクの花)

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『馬酔木(アセビ)』は山野に自生する多年生の常緑低木で、本州から九州の乾燥した土地に分布する。アセビ、アセミ、アセボなどと呼ばれるが萬葉名『あしび』には一説に『木瓜(ボケ)』という異説もある。馬酔木は『足しびれ』・『悪し実』から名が付いたといわれ、馬がその葉を食べると酔ったようになる。(後略)」と書かれている。

 植物解説板には植物の名の由来が書かれているのがためになる。

 

万葉集で馬酔木が詠われている歌は十首収録されている。この歌を含めすべて、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その204)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」