万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1087)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(47)―万葉集 巻十六 三八八六

●歌は、「・・・あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝 剥き垂れ 天照るや 日の異に干し 」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(47)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(47)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 若知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼此毛 命受牟跡 今日ゝゝ跡 飛鳥尓到 雖置 ゝ勿尓到 雖不策 都久怒尓到   東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 手碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作▼乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩柒給 腊賞毛 腊賞毛

              (乞食者の詠 巻十六 三八八六)

         ▼は、「瓦+缶」で「かめ)である。

 

≪書き下し≫おしてるや 難波(なにわ)の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと 何せむに 我(わ)を召すらめや 明(あきら)けく 我が知ることを 歌人(うたひと)と 我(わ)を召すらめや 笛吹(ふえふ)きと 我を召すらめや 琴弾(ことひき)きと 我を召すらめや かもかくも 命(みこと)受(う)けむと 今日今日と 飛鳥(あすか)に至り 立つれども 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ ふもだし懸(か)くもの 牛にこそ 鼻(はな)縄(づな)はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ 天照るや 日の異(け)に干(ほ)し さひづるや 韓臼(からうす)に搗(つ)き 庭に立つ 手臼(てうす)に搗き おしてるや 難波の小江(をえ)の 初垂(はつたり)を からく垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日(けふ)行きて 明日(あす)取り持ち来(き) 我が目らに 塩(しほ)塗(ぬ)りたまひ 腊(きた)ひはやすも 腊ひはやすも

 

(訳)おしてるや難波(なにわ)入江(いりえ)の葦原に、廬(いおり)を作って潜んでいる、この葦蟹めをば大君がお召しとのこと、どうして私なんかをお召しになるのか、そんなはずはないと私にははっきりわかっていることなんだけど・・・、ひょっとして、歌人(うたひと)にとお召しになるものか、笛吹きにとお召しになるものか、琴弾きにお召しになるものか、そのどれでもなかろうが、でもまあ、お召しは受けようと、今日か明日かの飛鳥に着き、立てても横には置くなの置勿(おくな)に辿(たど)り着き、杖(つえ)をつかねど辿りつくの津久野(つくの)にやって来、さて東の中の御門から参上して仰せを承ると、何と、馬になら絆(ほだし)を懸けて当たり前、牛なら鼻綱(はなづな)つけて当たり前、なのに蟹の私を紐で縛りつけたからに、傍(そば)の端山(はやま)の楡(にれ)の皮を五百枚も剥いで吊(つる)し、日増しにこってりお天道(てんと)様で干し上げ、韓渡りの臼で荒搗(づ)きし、庭の手臼(てうす)で粉々の搗き、片や、事もあろうに、我が故郷(ふるさと)難波入江の塩の初垂(はつた)り、その辛い辛いやつを溜めて来て、陶部(すえべ)の人が焼いた瓶を、今日一走(ひとつばし)りして明日には早くも持ち帰り、そいつに入れた辛塩を私の目にまで塗りこんで下さって、乾物に仕上げて舌鼓なさるよ、舌鼓なさるよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)おしてるや【押し照るや】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

(注)ふもだし【絆】名詞:馬をつないでおくための綱。ほだし。(学研)

(注)さいずるや〔さひづる‐〕【囀るや】[枕]:外国の言葉は聞き取りにくく、鳥がさえずるように聞こえるところから、外国の意味の「唐(から)」、または、それと同音の「から」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)はつたり【初垂り】:製塩のとき最初に垂れた塩の汁。一説に、塩を焼く直前の濃い塩水。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)すえひと〔すゑ‐〕【陶人】:陶工。すえつくり。(weblio辞書 デジタル大辞泉) 堺市南部にいた須恵器の工人。

(注)腊(読み方 キタイ):まるごと干した肉。(weblio辞書 歴史民俗用語辞典)

 

 

 題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠(うた)ふ歌二首>である。

 

左注は、「右歌一首為蟹述痛作之也」<右の歌一首は、蟹(かに)のために痛みを述べて作る>である。

 

題詞にあるもう一首(三八八五歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その305)」に紹介している。

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 万葉集巻十六の巻頭には「有由縁幷雑歌」とあるが、万葉集目録は「有由縁雑歌」<有由縁(ゆゑよし)ある雑歌(ざうか)>とある。前者の場合は、「有由縁幷せて雑歌」あるいは、「有由縁、雑歌を幷せたり」と、読まれ、「由縁」ある歌と雑歌を収録しているという標示と考えられる。後者の場合は、全体が、由縁有る雑歌を意味する。いずれにしても、他の巻と比べても特異な位置づけにあることがわかる。

 

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、巻十六についていくつかのグループに分けることができると書いておられる。

 

 Aグループ:題詞が他の巻と異なり物語的な内容をもつ歌物語の類(三七八六~三八〇五歌)

 Bグル―プ:同じく歌物語的ではあるが、左注が物語的に述べる類(三八〇六~三八一五歌)

 Ⅽグループ:いろいろな物を詠みこむように題を与えられたのに応じた類(三八二四~三八三四歌、三八五五~三八五六歌)

 Dグループ:「嗤う歌」という題詞をもつ類(三八四〇~三八四七歌、三八五三~三八五四歌)

 Eグループ:国名を題詞に掲げる歌の類(三八七六~三八八四歌)

 

 このグループに属さない歌は文字通り「有由縁(ゆゑよし)ある雑歌(ざうか)」である。

 仮に「その他グループ」としておこう。

歌碑(プレート)の三八八六歌などがこれに属する。

 

 

 Aグループから順に、これまで見て来た代表的な歌碑をとりあげてみよう。

 

■Aグループ

◆春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 其一

                  (作者未詳    巻十六 三七八六)

 

≪書き下し≫春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも その一

 

(訳)春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)にしようと私が心に思い込んでいた桜の花、その花ははや散って行ってしまったのだ、ああ。 その一 (同上)

(注)挿頭にせむ:髪飾りにしようと。妻にすることの譬え。

 

この歌は巻十六の巻頭歌である。

この歌ならびに、その二(三七八七歌)および歌の由縁となった物語についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その134改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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■Bグループ

◆事之有者 小泊瀬山乃 石城尓母 隠者共尓 莫思吾背

                 (作者未詳 巻十六 三八〇六)

 

≪書き下し≫事しあらば小泊瀬山(をばつせやま)の石城(いはき)にも隠(こも)らばともにな思ひそ我(わ)が背

 

(訳)私たちの仲に邪魔が入ろうものなら、恐ろしい小泊瀬(おばつせ)山の岸壁に閉じ籠るなら閉じ籠るでずっと一緒にいます。くよくよしないで。あなた。(同上)

(注)事:男女間の障害。

(注)小泊瀬:「泊瀬」は葬地として知られていた。「小」は接頭語。

(注)いはき【岩城/石城】① 岩で囲まれた、石のとりでのような所。岩窟(がんくつ) ② 棺を納める石室。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは①の意

 

左注は、「右傳云 時有女子 不知父母竊接壮士也 壮士悚惕其親呵嘖稍有猶預之意 因此娘子裁作斯歌贈與其夫也」<右は、伝へて云(い)はく、『あるとき、女子(をみなご)あり。父母(おや)に知らせず、竊(ひそ)かに壮士(をとこ)に接(まじは)る。壮士、その親の呵嘖(ころ)はむことを悚惕(おそ)りて、やくやくに猶予(たゆた)ふ意(こころ)あり。これによりて、娘子、この歌を裁作(つく)りて、その夫(つま)に贈り与ふ』といふ>である。

(注)かしゃく【呵責/呵嘖】[名](スル)厳しくとがめてしかること。責めさいなむこと。かせき。(コトバンク デジタル大辞泉

(注の注)悚惕    しょうてき :恐怖で震えること。恐れおののくこと。(辞典オンライン 国語辞典)

(注)やくやく:次第に、段々と。

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)ここでは②の意

 

Aグループでは、由縁となった物語が題詞的に配置されていたが、Bグループでは、物語が左注に配置されている。

 

■Cグループ

◆刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武

                  (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二四)

 

≪書き下し≫さし鍋(なべ)に湯沸(わ)かせ子ども櫟津(いちひつ)の檜橋(ひばし)より来(こ)む狐(きつね)に浴(あ)むさむ

 

(訳)さし鍋の中に湯を沸かせよ、ご一同。櫟津(いちいつ)の檜橋(ひばし)を渡って、コムコムとやって来る狐に浴びせてやるのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さしなべ【銚子】:注ぎ口のある鍋。さすなべ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ):持統・文武朝の歌人。物名歌の名人。

 

 題詞は、「長忌寸意吉麻呂歌八首」とある。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて53改」」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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「長忌寸意吉麻呂歌八首」すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その380)」で紹介している。

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■Dグループ

◆寺ゝ之 女餓鬼申久 大神之 男餓鬼被給而 其子将播

                 (池田朝臣 巻十六 三八四〇)

 

≪書き下し≫寺々(てらでら)の女餓鬼(めがき)申(まを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)賜(たば)りてその子産(う)ませはむ

 

(訳)寺々の女餓鬼(めがき)どもが口々に申しとる。大神(おおみわ)の男餓鬼(おがき)をお下げ渡しいただき、そいつの子を産み散らしたとな。(同上)

(注)まをさく【申さく・白さく】:「まうさく」に同じ。 ※派生語。 ⇒参考「まうさく」の古い形。中古以降「まうさく」に変化した。 ⇒ なりたち動詞「まをす」の未然形+接尾語「く」(学研)

(注の注)まうさく【申さく】:申すことには。▽「言はく」の謙譲語。(学研)

(注)がき【餓鬼】① 《〈梵〉pretaの訳。薜茘多(へいれいた)と音写》生前の悪行のために餓鬼道に落ち、いつも飢えと渇きに苦しむ亡者。② 「餓鬼道」の略。③ 《食物をがつがつ食うところから》子供を卑しんでいう語。「手に負えない餓鬼だ」(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)おほかみ【大神】名詞:大御神(おおみかみ)。神様。▽「神」の尊敬語。 ※「おほ」は接頭語。(学研)

(注)たばる【賜る・給ばる】他動詞:いただく。▽「受く」「もらふ」の謙譲語。 ※謙譲の動詞「たまはる」の変化した語。上代語。(学研)

 

  この歌の題詞は、「池田朝臣嗤大神朝臣奥守歌一首 池田朝臣名忘失也」<池田朝臣(いけだのあそみ)、大神朝臣奥守(おほみわのあそみおきもり)を嗤(わら)ふ歌一首 池田朝臣が名は、忘失せり>である。

 

この歌ならびに三八四一歌、題詞「大神朝臣奥守報嗤歌一首」<大神朝臣奥守が報(こた)へて嗤ふ歌一首>については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その13改)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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■Eグループ

◆豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武

(作者未詳 巻十六 三八七六)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘むとや妹がみ袖濡れけむ

 

(訳)豊国の企救(きく)の池にある菱の実、その実を摘もうとでもして、あの女(ひと)のお袖があんなに濡れたのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)企救(きく):北九州市周防灘沿岸の旧都名。フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』の小倉市の歴史の項に「律令制下では豊前国企救郡(きくぐん)の一地域となる。」とある。

(注)袖濡れえむ:自分への恋の涙で濡れたと思いなしての表現。

 

 題詞は、「豊前國白水郎歌一首」<豊前(とよのみちのくち)の国の白水郎(あま)の歌一首>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その886)」で紹介している。

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 以上、代表的な歌をみても、巻十六は、特異な巻になっていることが理解できるのである。万葉集を「歌物語」的位置づけで見た場合、特別編とか別冊特集とかに相当するとみてもよいだろう。

 万葉集万葉集たる所以がここにもあるように改めて感じたのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』