万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1088)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(48)―万葉集 巻七 一一三三

●歌は、「すめろきの神の宮人ところづらいやとこしくに我れかへり見む」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(48)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(48)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見

             (作者未詳 巻七 一一三三)

 

≪書き下し≫すめろきの神の宮人(みやひと)ところづらいやとこしくに我(わ)れかへり見む

 

(訳)代々の大君に仕えてきた大宮人たち、その大宮人たちと同じように、われらもいついつまでもやってきて、この吉野を見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ところずら〔‐づら〕【野老葛】[枕]① 同音の繰り返しで「常(とこ)しく」にかかる。② 芋を掘るとき、つるをたどるところから、「尋(と)め行く」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 一一三〇から一一三四歌の題詞は「吉野作」である。この五首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その343)」で紹介している。

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 「ところづら」を詠んだ歌(こちらも枕詞として使われている)がもう一首あるのでみてみよう。

 

高橋虫麻呂の「見菟原處女墓歌一首幷短歌」<菟原娘子(うなひをとめ)が墓を見る歌一首 幷せて短歌>」である。

 

◆葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壮士 宇奈比壮士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壮士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原壮士伊 仰天 ▼於良妣 ▽地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬尉蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 壮士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨  

                  (高橋虫麻呂 巻九 一八〇九)

  •  ▼は「口へん+リ」=さけび
  •  ▽は「足へん+昆」=ふむ

 

≪書き下し≫葦屋(あしのや)の 菟原娘子の 八年子(やとせご)の 片(かた)生(お)ひの時ゆ 小放(をばな)り 髪たくまでに 並び居(を)る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 隠(こも)りて居(を)せば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問(と)ふ時 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) 菟原(うなひ)壮士(をとこ)の 伏屋(ふせや)焚(た)き すすし競(きほ)ひ 相(あひ)よばひ しける時は 焼太刀(やきたち)の 手(た)かみ押(お)しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負(お)ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向(むか)ひ 競(きほ)ひし時に 我妹子(わぎもこ)が 母に語らくしつたまき いやしき我(わ)がゆゑ ますらをの 争(あらそ)ふ見れば 生(い)けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉(よみ)に待たむと 隠(こも)り沼(ぬ)の 下延(したは)へ置きて うち嘆き 妹が去(い)ぬれば 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) その夜(よ)夢(いめ)見 とり続(つつ)き 追ひ行きければ 後(おく)れたる 菟原(うなひ)壮士(をとこ)い 天(あめ)仰(あふ)ぎ 叫びおらび 地(つち)を踏(ふ)み きかみたけびて もころ男(を)に 負けてはあらじと 懸(か)け佩(は)きの 小太刀(をだち)取り佩(は)き ところづら 尋(と)め行きければ 親族(うから)どち い行き集(つど)ひ 長き代(よ)に 標(しるし)にせむと 遠き代に 語り継(つ)がむと 娘子墓(をとめはか) 中(なか)に造り置き 壮士墓(をとこはか) このもかのもに 造り置ける 故縁(ゆゑよし)聞きて 知らねども 新喪(にひも)のごとも 哭(ね)泣きつるかも

 

(訳)葦屋の菟原娘子(うないおとめ)が、八つばかりのまだ幼い時分から、振り分け髪を櫛上(くしあ)げて束ねる年頃まで、隣近所の人にさえ姿を見せず、家(うち)にこもりっきりでいたので、一目見たいとやきもきして、まるで垣根のように取り囲んで男たちが妻どいした時、中でも茅渟壮士(ちぬおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)とが、最後までわれこそはとはやりにはやって互いに負けじと妻どいに来たが、その時には、焼き鍛えた太刀(たち)の柄(つか)を握りしめ、白木の弓や靫(ゆき)を背負って、娘子のためなら水の中火の中も辞せずと必死に争ったものだが、その時に、いとしいその子が母にうち明けたことには、「物の数でもない私のようなもののために、立派な男(お)の子が張り合っているのを見ると、たとえ生きていたとしても添い遂げられるはずはありません。いっそ黄泉の国でお待ちしましょう」と、本心を心の底に秘めたまま、嘆きながらこの子が行ってしまったところ、茅渟壮士はその夜夢に見、すぐさまあとを追って行ってしまったので、後れをとった菟原壮士は、天を仰いで叫びわめき、地団駄踏んで歯ぎしりし、あんな奴に負けてなるかと、肩掛けの太刀を身に着け、あの世まで追いかけて行ってしまった。それで、この人たちは身内の者が寄り集まって、行く末かけての記念にしようと、遠いのちの世まで語り継いでゆこうと、娘子の墓を真ん中に造り、壮士の墓を左と右に造って残したというその謂(い)われを聞いて、遠い世のゆかりもな人のことではあるが、今亡くなった身内の喪のように、大声をあげて泣いてしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かたおひ【片生ひ】名詞:まだ十分に成長していないこと。また、その年ごろ。 ※「かた」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はなり【放り】:少女の、振り分けに垂らしたまま束ねない髪。また、その髪形の少女。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)たく【綰く】他動詞:髪をかき上げて束ねる。(学研)

(注)うつゆふの【虚木綿の】「こもり」、「真狭(まさき)」、「まさき国」、「こもる」にかかる枕詞(weblio辞書 Wiktionary日本語版)

(注)てしか 終助詞:《接続》活用語の連用形に付く。〔自己の願望〕…したらいいなあ。…(し)たいものだ。 ※上代語。完了の助動詞「つ」の連用形に願望の終助詞「しか」が付いて一語化したもの。中古以降「てしが」。(学研)

(注の補)いぶせし 形容詞:①気が晴れない。うっとうしい。②気がかりである。③不快だ。気づまりだ。 ⇒ 参考 「いぶせし」と「いぶかし」の違い 「いぶせし」は、どうしようもなくて気が晴れない。「いぶかし」はようすがわからないので明らかにしたいという気持ちが強い。(学研)

(注)かきほ【垣穂】名詞:垣。垣根。(学研)

(注)ふせやたき【伏せ屋焚き】:「すすし」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary日本語版)

(注)すすしきほふ【すすし競ふ】自動詞:進んでせり合う。勇んで争う。(学研)

(注)手かみ押しねり:柄頭を押しひねり

(注)ゆき【靫・靱】名詞:武具の一種。細長い箱型をした、矢を携行する道具で、中に矢を差し入れて背負う。 ※中世以降は「ゆぎ」。(学研)

(注)しづたまき【倭文手纏】分類枕詞:「倭文(しづ)」で作った腕輪の意味で、粗末なものとされたところから「数にもあらぬ」「賤(いや)しき」にかかる。 ※上代は「しつたまき」。(学研)

(注)ししくしろ【肉串ろ】:「熟睡(うまい)」、「黄泉(よみ)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary日本語版)

(注)こもりぬの【隠り沼の】分類枕詞:「隠(こも)り沼(ぬ)」は茂った草の下にあって見えないことから、「下(した)」にかかる。(学研)

(注)したばふ【下延ふ】自動詞:ひそかに恋い慕う。「したはふ」とも。(学研)

(注)菟原壮士いの「い」間投助詞:《接続》体言や活用語の連体形に付く。〔強調〕…こそ。とくにその。 ※上代語。 ⇒  参考主語の下に付く「い」を格助詞、副助詞「し」・係助詞「は」の上に付く「い」を副助詞とする説がある。(学研)

(注)きかみたけぶ:歯ぎしりしいきり立って

(注)もこ【婿】: 相手。仲間。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ところずら〔‐づら〕【野老葛】【一】[名]トコロの古名。【二】[枕]:① 同音の繰り返しで「常(とこ)しく」にかかる。② 芋を掘るとき、つるをたどるところから、「尋(と)め行く」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)このもかのも【此の面彼の面】分類連語:①こちら側とあちら側。②あちらこちら。そこここ。(学研)

 

 田辺福麻呂の菟原娘子(うなひをとめ)伝説歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その562)」で紹介している。

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 大伴家持の菟原娘子(うなひをとめ)伝説歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その947)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『野老(トコロ)』は蔓性の雌雄異株の山野に生える多年草で別名『鬼野老(オニドコロ)』のこととも言われ『山の芋』にも似ている。老人にはヒゲがあり、海老(エビ)にもヒゲがある。トコロにもヒゲ根があるので海の老(エビ)に対し『野にある老』と書いて『トコロ』と読む。(後略)」と書かれている。

 埼玉県に「所沢」という地名があるが、元々は「野老澤」と書いていたという。

 

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「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」HPより引用。させていただきました  

 

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所沢市の市標(所沢市HPより引用させていただきました)


所沢市のHPに、「市章は、所沢の地名の由来の一つともいわれているヤマノイモ科の多年生つる草の「野老(ところ)」の葉を図案化したものです。まわりはカタカナのワを3つあわせたもので、「和」をモットーにした市づくりを表しています。市旗として使う場合、旗の地色は白、市章部分は緑の染め抜きとされています。」と書かれている。

 

  

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 Wiktionary日本語版」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「所沢市HP」

★「狭山丘陵いきものふれあいの里センターHP」