万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1092)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(52)―万葉集 巻四 六七五

●歌は、「をみなえし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(52)万葉歌碑<プレート>(中臣女郎)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(52)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞

                  (中臣女郎 巻四 六七五)

 

≪書き下し≫をみなえし佐紀沢(さきさわ)に生(お)ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも

 

(訳)おみなえしが咲くという佐紀沢(さきさわ)に生い茂る花かつみではないが、かつて味わったこともないせつない恋をしています。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「をみなえし」:「佐紀」の枕詞。咲くの意。

(注)さきさわ(佐紀沢):平城京北一帯の水上池あたりが湿地帯であったところから

このように呼ばれていた。

(注)はなかつみ【花かつみ】名詞:水辺に生える草の名。野生のはなしょうぶの一種か。歌では、序詞(じよことば)の末にあって「かつ」を導くために用いられることが多い。芭蕉(ばしよう)が『奥の細道』に記したように、陸奥(みちのく)の安積(あさか)の沼(=今の福島県郡山(こおりやま)市の安積山公園あたりにあった沼)の「花かつみ」が名高い。「はながつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かつて【曾て・嘗て】副詞:〔下に打消の語を伴って〕①今まで一度も。ついぞ。②決して。まったく。 ⇒ 参考 中古には漢文訓読系の文章にのみ用いられ、和文には出てこない。「かって」と促音にも発音されるようになったのは近世以降。(学研)

 

六七五から六七九歌の歌群の、題詞は、「中臣女郎(なかとみのいらつめ)贈大伴宿祢家持歌五首」とある。

 この歌並びに他の四首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その30改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

六七五から六七九歌の歌群の、題詞は、「中臣女郎(なかとみのいらつめ)贈大伴宿祢家持歌五首」とある。 他の四首もみてみよう。

 下記のとおり、「原文」・「書き下し」・「訳」の統一フォームで五首とも書き改めた。これをブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その30改)」にも反映させた。重複しますがご容赦願いたい、

 

 

◆海底 奥乎深目手 吾念有 君二波将相 年者経十万

                  (中臣女郎 巻四 六七六)

 

≪書き下し≫海(わた)の底奥(おき)を深めて我(あ)が思へる君には逢はむ年は経(へ)ぬとも

 

(訳)海の底のように心の奥底に秘めて私が思っているあの人には、きっと逢いたい。年月はどんなに経(た)とうとも(同上)

(注)わたのそこ【海の底】分類枕詞:海の奥深い所の意から「沖(おき)」にかかる。(学研)

 

 

春日山 朝居雲乃 欝 不知人尓毛 戀物香聞

                  (中臣女郎 巻四 六七七) 

 

≪書き下し≫春日山(かすがやま)朝居(ゐ)る雲のおほほしく知らぬ人にも恋ふるものかも

 

(訳)それにしても、人というものは、春日山に朝かかっている雲のように、見通しのない晴れぬ気持ちで、まだ見たこともない人に心を燃やすことがあるものだなあ。(同上)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

 

◆直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼

                  (中臣女郎 巻四 六七八)

 

≪書き下し≫直(ただ)に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向(むか)ふ我(あ)が恋やまめ

 

(訳)じかにあの人に逢ってこの目でとらえてその時こそ、この命がけの恋もはおさまるのでしょうが・・・。はたしてそれができるかどうか。(同上)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(学研)

(注)いのちにむかふ【命に向かふ】分類連語:命に匹敵する。命がけである。(学研)

 

 

◆不欲常云者 将強哉吾背 菅根之 念乱而 戀管母将有

                  (中臣女郎 巻四 六七九)

 

≪書き下し≫いなと言はば強(し)ひめや我(わ)が背菅(すが)の根(ね)の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ

 

(訳)いやだとおっしゃるのなら無理じいするものですか、あなた。長い菅の根のように思い乱れながらも、私はいつまでもお慕いすることにします。(同上)

(注)いな【否】感動詞:①いえ。いいえ。▽相手の問いに対して、それを否定するときに発する語。②いやだ。いいえ。▽相手の言動に対する不同意を表す語。(学研)

(注)すがのねの【菅の根の】分類枕詞:①すげの根が長く乱れはびこることから「長(なが)」や「乱る」、また、「思ひ乱る」にかかる。②同音「ね」の繰り返しで「ねもころ」にかかる。(学研)

 

 大伴家持の女性遍歴は有名である。笠女郎、山口女王、大神(おおみわ)女郎、河内百枝娘子(こうちのももえのおとめ)、巫部麻蘇娘子(かむなぎのへのまそのおとめ)、粟田女娘子(あわためのおとめ)、豊前国娘子大宅女(おおやけめ)、安都扉娘子(あとのとびらのおとめ)、丹波大女娘子(たにわのおおめのおとめ)他が家持に歌を贈っている。

 現在であれば、スキャンダラスな週刊誌並みの記事が万葉集には歌の形の告白で収録されている。

 家持は、万葉集の編纂に関与しているが、自分が贈った歌や返歌などはほとんど収録されていない。

 もてぶりと冷静な対応をアピールしているのか。

 正妻の坂上大嬢との歌のやり取りは、克明に収録しているから、大嬢をいかに愛していたかを相対的に効果的に情報操作をしていたのかもしれない。

 万葉集も考えてみれば、当時の情報伝達手段として考えられていたのであろう。

 日本書記、古事記の性格と万葉集の位置づけを考えれば面白くなってくる。

 この点については後日の課題としたい。

 

 話を元に戻して、中臣女郎は家持に、この五首を贈っている。まだ見ぬ家持を慕っている歌であるが、家持の方といえば、彼からの歌はなく極めてクールである。

 六七九歌「いなと言はば強(し)ひめや我(わ)が背菅(すが)の根(ね)の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ」は、強烈なメッセージであるが。

 

 

「はなかつみ」について、春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『はなかつみ』は古来から難解植物の一つとされており『真菰(マコモ)』・『姫シャガ』・『葦(アシ)』・「野花菖蒲(ノハナショウブ)」・『赤沼あやめ』等の説がある。

 『姫シャガ』説は、福島県郡山市松尾芭蕉の『奥の細道』から採用し『安積沼跡(アサカヌマアト)に碑を建てている。

 『姫シャガ』は低い山地の林の下に自生する多年草で、葉は剣形で先がとがってり、一般的に知られている『著莪(シャガ)』より全体に小型できゃしゃである。(後略)」と書かれている。

 

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ヒメシャガ」(郡山市HPから引用させていただきました)

               

 五月二十八日に、平城宮跡界隈プチぶらりで撮影した歌碑の写真を掲載いたします。(二年ぶりに訪れました。)

 

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佐紀町水上池北万葉歌碑(中臣女郎)佐紀町20210528撮影


 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「郡山市HP」