万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1096)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(56)―万葉集 巻十七 四〇一六

●歌は、「婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(56)万葉歌碑<プレート>(高市黒人

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(56)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆賣比能野能 須ゝ吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊

             (高市黒人 巻十七 四〇一六)

 

≪書き下し≫婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日(けふ)し悲しく思ほゆ

 

(訳)婦負(めひ)の野のすすきを押し靡かせて降り積もる雪、この雪の中で一夜の宿を借りる今日は、ひとしお悲しく思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)婦負(めひ)の野:富山市から、その南にかけての野。

 

 この歌に歌われている「すすき」については、漢字では「芒」、国字では「薄」と書く。文学的には花穂の姿が獣の尾に似ていることから「尾花」と称されれる。万葉集では十五首ほど詠まれている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その350)」で紹介している。

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 題詞は、「高市連黑人歌一首 年月不審」<高市連黒人が歌一首 年月審らかにあらず>である。

 

 左注は、「右傳誦此歌三國真人五百國是也」<右、この歌を伝誦するは、三国真人五百国(みくにのまひといほくに)ぞ>である。

 

 この歌の前に収録されている四〇一一から四〇一五歌は、題詞「放逸(のが)れたる鷹(たか)を思ひて夢(いめ)見(み)、感悦(よろこ)びて作る歌一首 幷(あは)せて短歌」である。

 四〇一一歌では、「・・・さ慣(な)らへる鷹(たか)はなけむと心には思ひほこりて笑(ゑ)まひつつ・・・」「・・・三島野をそがひに見つつ二上(ふたがみ)の山飛び越え雲隠り翔(かけ)り去(い)にき・・・」(これほど手慣れた鷹は他にはあるまいと、心中得意になってほくそ笑みながら・・・)楽しみにしていた鷹なのに(三島野をうしろにしながら、二上の山を飛び越えて、雲に隠れて飛んで・・・)逃げてしまった(憤りを隠した)悲しみと、夢に間もなく見つかるとのお告げがあったという喜びという(恨みをのぞいた)歌を詠っているのである。

 

 歌碑(プレート)の四〇一六歌は、家持が鷹を失った悲しみを披歴した場に置いてその悲しみに応じて唱ったものと考えられている。

 

万葉集には、鷹を詠んだ歌は六首が収録されているが、すべて家持の歌である。

上述の、題詞「放逸(のが)れたる鷹(たか)を思ひて夢(いめ)見(み)、感悦(よろこ)びて作る歌一首 幷(あは)せて短歌」の四〇一一から四〇一四歌の四首と次にあげる二首である。

家持は、鄙びた越中で、鷹狩に興じ気分転換を図っていたのである。逃げた鷹の名前は「大黒」というが、しばらくして「白き大鷹」を飼っていたようである。

この鷹について詠んだ歌をみてみよう。

 

題詞は、「八日詠白太鷹歌一首幷短歌」<八日に、白き大鷹(おほたか)を詠(よ)む歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)おほたか【大鷹】名詞:①雌の鷹。雄よりも体が大きく、「大鷹狩り」に用いる。②「大鷹狩り」の略。雌の鷹を使って冬に行う狩り。(学研)

 

 

◆安志比奇乃 山坂超而 去更 年緒奈我久 科坂在 故志尓之須米婆 大王之 敷座國者 京師乎母 此間毛於夜自等 心尓波 念毛能可良 語左氣 見左久流人眼 乏等 於毛比志繁 曽己由恵尓 情奈具也等 秋附婆 芽子開尓保布 石瀬野尓 馬太伎由吉氐 乎知許知尓 鳥布美立 白塗之 小鈴毛由良尓 安波勢理 布里左氣見都追 伊伎騰保流 許己呂能宇知乎 思延 宇礼之備奈我良 枕附 都麻屋之内尓 鳥座由比 須恵弖曽我飼 真白部乃多可

                (大伴家持 巻十九 四一五四)

 

≪書き下し≫あしひきの 山坂越えて 行きかはる 年の緒(を)長く しなざかる 越(こし)にし住めば 大君(おほきみ)の 敷きます国は 都をも ここも同(おや)じと 心には 思ふものから 語り放(さ)け 見放(さ)くる人目(ひとめ) 乏(とも)しみと 思ひし繁(しげ)し そこゆゑに 心なぐやと 秋(あき)づけば 萩(はぎ)咲きにほふ 石瀬野(いはせの)に 馬(うま)だき行きて をちこちに 鳥踏(ふ)み立て 白塗(しらぬり)の 小鈴(をすず)もゆらに あはせ遣(や)り 振り放(さ)け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉(うれ)しびながら 枕付まくらづ)く 妻屋(つまや)のうちに 鳥座(とぐら)結(ゆ)ひ 据(す)ゑてぞ我が飼ふ 真白斑(ましらふ)の鷹(たか) 

 

(訳)険しい山や坂を越えてはるばるやって来て、改まる年月長く、山野層々と重なって都離れたこの越の国に住んでいると、大君の治めておられる国であるからには、都もここも違わないと心では思ってみるものの、話をして気晴らしをし合って心を慰める人、そんな人もあまりいないこととて、物思いはつのるばかりだ。そういう次第で、心のなごむこともあろうかと、秋ともなれば、萩の花が咲き匂う石瀬野に、馬を駆って出で立ち、あちこちに鳥を追い立てては、鳥に向かって白銀の小鈴の音もさわやかに鷹を放ち遣(や)り、空中かなたに仰ぎ見ながら、悶々(もんもん)の心のうちを晴らして、心嬉しく思い思いしては、枕を付けて寝る妻屋の中に止まり木を作ってそこに大事に据えてわれらが飼っている、この真白斑(ましらふ)の鷹よ。(同上)

(注)しなざかる 分類枕詞:地名「越(こし)(=北陸地方)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)さく【放く・離く】〔動詞の連用形に付いて〕(ア)〔「語る」「問ふ」などに付いて〕気がすむまで…する。…して思いを晴らす。(イ)〔「見さく」の形で〕遠く眺める。はるかに見やる。(学研)

(注)馬だく:馬をあやつる

(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:あちらこちら。(学研)

(注)ふみたつ【踏み立つ】他動詞:地面を踏み鳴らして鳥を追い立てる。(学研)

(注)しらぬり【白塗り】名詞:白く彩色したもの。白土を用いたり銀めっきをしたりする。(学研)

(注)ゆら(に・と)副詞:からから(と)。▽玉や鈴が触れ合う音を表す。(学研)

(注)あはせ遣り:獲物の鳥を目指して手に据えた鷹を放ちやり。

(注)いきどほる【憤る】自動詞:①胸に思いがつかえる。気がふさぐ。②腹を立てる。怒る。(学研) ここでは①の意

(注)とぐら【鳥座・塒】名詞:鳥のとまり木。鳥のねぐら。(学研)

 

短歌もみてみよう。

 

◆矢形尾能 麻之路能鷹乎 尾戸尓須恵 可伎奈泥都追 飼久之余志毛

               (大伴家持 巻十九 四一五五)

 

≪書き下し≫矢形尾(やかたを)の真白(ましろ)の鷹をやどに据ゑ掻(か)き撫(な)で見つつ飼はくしよしも

 

(訳)矢形尾の真白な鷹、この鷹を家の中に据えて、撫でたり見入ったりしながら飼うのはなかなかよいものだ。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その857)」で紹介している。

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 家持は、しなびた越中の地で歌の勉強や中国文学に勤しみ、鷹狩をして「鷹を放ち遣(や)り、空中かなたに仰ぎ見ながら、悶々(もんもん)の心のうちを晴らして」、やが鷹のように、大和の地へ舞い戻るのである。

 しかしそこに家持を待ち受けていたものは・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」