万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1098)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(58)―万葉集 巻二十 四三五二 

●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。

 

f:id:tom101010:20210713174538j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(58)万葉歌碑<プレート>(丈部鳥)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(58)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

                (丈部鳥 巻二十 四三五二)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ

 

(訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまら【茨・荊】名詞:「いばら」に同じ。※上代の東国方言。「うばら」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。

(注)「延(は)ほ」:「延(は)ふ」の東国系

 

左注は、「右一首天羽郡上丁丈部鳥」<右の一首は天羽(あまは)の郡(こほり)上丁(じやうちゃう)丈部鳥(はせつかべのとり)

(注)天羽郡:千葉県富津市南部一帯

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(355)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 四三四七から四三五九歌までの歌群(十三首)に対する左注は「二月九日上総國防人部領使少目従七位下茨田連沙弥麻呂進歌數十九首 但拙劣歌者不取載之」<二月の九日、上総(かみつふさ)の国(くに)の防人部領使(さきもりのことりづかひ)少目(せうさくわん)従七位下茨田連沙弥麻呂(まむだのむらじさみまろ)。進(たてまつ)る歌の数十九首、ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず>である。

 

 上総国(千葉県中央部)からの防人達は、防人部領使(さきもりのことりづかひ)に連れてこられ、難波の国で中央の役人に引き継がれるのである。

 大伴家持は、中央の役人、兵部少輔としての仕事をしていたので、防人達の歌は家持の手に渡ったのである。この上総国の場合は、十九首が家持の手に渡ったのであるが、「拙劣の歌」六首は没になり、十三首が収録されたのである。

 防人は、壱岐対馬、筑紫など九州北部に配属された主に東国出身の防衛最前線の兵士である。防人歌ともなると、ある意味戦意高揚の意味合いも強く、決意とか誓いと意味合いの「言立て(ことだて)」の歌と考えられるが、万葉集にあっては、「わたくしごと」が大半を占めており、中には家族の歌も含まれている。

 万葉集は、「歌集」であることに徹しているのである。

 

 四三七三歌のように「今日よりはかへりみなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我は」(今日という今日からはうしろなど振り返ったりすることなく、大君の醜の御楯として出立して行くのだ、おれは。<伊藤訳>)というような言立の歌は少なく、また、上総国の歌にもあるように(四三五八歌)、「大君の命畏(かしこ)み」と詠いだすも全体が言立ての歌に徹していないのも見受けられるのである。

 

 上記のような事例を上総の防人歌でみてみよう。

 

 まず、家族の歌の場合である。

 

◆伊閇尓之弖 古非都ゝ安良受波 奈我波氣流 多知尓奈里弖母 伊波非弖之加母

                 (日下部使主三中父 巻二十 四三四七)

 

≪書き下し≫家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける大刀(たち)になりても斎(いは)ひてしかも

 

(訳)家に残って恋い焦がれてなどいないで、お前がいつも腰に帯びる大刀、せめてその大刀にでもなって見守ってやりたい。(同上)

(注)てしかも 終助詞 《接続》活用語の連用形に付く。:〔詠嘆をこめた自己の願望〕…(し)たいものだなあ。 ※上代語。願望の終助詞「てしか」に詠嘆の終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

左注は、「右一首國造丁日下部使主三中之父歌」<右の一首は国造丁(くにのみやるこのちやう)日下部使主三中(くさかべのおみみなか)が父の歌>である。

 

 本人の歌もあるのでみてみよう。

 

◆多良知祢乃 波々乎和加例弖 麻許等和例 多非乃加里保尓 夜須久祢牟加母

                  (日下部使主三中 巻二十 四三四八)

 

≪書き下し≫たらちねの母を別れてまこと我れ旅の仮廬に安く寝むかも

 

(訳)母さん、ああ母さんと別れて、ほんとうにこのおれは、旅の仮小屋なんぞで、気安く眠ることができるであろうか。(同上)

 

 日下部使主三中は、母のことをこれほどに思った歌を詠んでおり、父の歌まで持参しているので、母が詠った歌は、「拙劣(せつれつ)の歌」として「取り載せず」であったかもしれない。

 父の歌の「・・・も」が二カ所あるが「・・・母」としているのは、書き手の遊び心「加母」しれない。

 

「大君の命畏(かしこ)み」と詠いだすも全体が言立ての歌に徹していない事例をみてみよう。

 

 

◆於保伎美乃 美許等加志古美 伊弖久礼婆 和努等里都伎弖 伊比之古奈波毛

                   (物部竜 巻二十 四三五八)

 

≪書き下し≫大君の命畏み出で来れば我の取り付きて言ひし子なはも

 

(訳)大君の仰せを恐れ畏んで、門出をして来た時、おれにしがみついてあれこれ言ったあの子は、ああ。(同上)

(注)「我の」:「我に」の訛りか。

 

 

 任地についてもいないのにもう「帰る」ことに思いを馳せている歌もある。

 

◆都久之閇尓 敝牟加流布祢乃 伊都之加毛 都加敝麻都里弖 久尓々閇牟可毛

                  (若麻続部羊 巻二十 四三五九)

 

≪書き下し≫筑紫辺(つくしへ)に舳(へ)向(む)かる船のいつしかも仕(つか)へまつりて国に舳向かも

 

(訳)筑紫の方へ舳先を向けているこの船は、いつになったら、勤めを終えて故郷(くに)の方に舳先をむけるのであろうか。(同上)

(注)向かる:「向ける」の東国形

(注)向かも:「向かむ」の東国形

 

 「わたくしごと」でも如何かと考える「防人歌」であるが、戦意高揚の阻害要因となると思われる歌まで収録されているところに、万葉集のおおらかさが見て取れるのである。

 ここにも万葉集の魅力が潜んでいるように思える。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『野薔薇(ノイバラ)』は原野に自生する落葉小低木で繁殖力が強く、山野でよく見かけられる。『うまら(茨)』はイバラの古語でトゲあるものの総称を示し、歌中で『道の辺の茨(ウマラ)』と詠われていることから『野薔薇(ノイバラ)』と考えられる。」とある。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」