万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1102、1103)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(62,63)―万葉集 巻十四 三五〇八、巻五 九〇四

―その1102―

●歌は、「芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらずば我れ恋ひめやも」である。

 

f:id:tom101010:20210717174217j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(62)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(62)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母

               (作者未詳 巻十四 三五〇八)

 

≪書き下し≫芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相見(あひみ)ずあらずば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)のねつこ草、あの一緒に寝た子とめぐり会いさえしなかったら、俺はこんなにも恋い焦がれることはなかったはずだ(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)。

(注)ねつこ草:女の譬え。「寝っ子」を懸ける。

(注)ねつこぐさ【ねつこ草】〘名〙: オキナグサ、また、シバクサとされるが未詳。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 )

(注)あひみる【相見る・逢ひ見る】自動詞:①対面する。②契りを結ぶ。(学研)

 

「ねつこ草」を詠んだ歌は、万葉集ではこの1首だけである

 

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「『ねつこぐさ』と詠まれているのは一首のみで『翁草(オキナグサ)』説が有力であるが、少数意見として『捩花(ネジバナ)』説がある。

『捩花(ネジバナ)』とは和名で、日当たりのよい山野に咲く多年草で群生するともあり、別名『もじずり』とも呼ばれている。

 茎の高さは約30センチほどで、6~7月頃に3~4本のピンク色の花穂がかたまって伸びて咲く。花は小さいが『蘭(ラン)』によく似ている。まっすぐに伸びた茎のまわりに、らせん状にねじれるように連なって小さな花が咲くので『捩花(ネジバナ)』の名が付く。」と書かれている。

 

f:id:tom101010:20210717180112p:plain

オキナグサ 「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)より引用させていただきました。

「寝つ子」と懸け相手の女性を喩えるイメージからすると、ピンク色の捩じれた感じの「ネジバナ」に軍配をあげたいところである。

 

f:id:tom101010:20210717175226j:plain

ネジバナ (平城宮跡で撮影したもの)


 

 

ネジバナは、庭でも咲いているし、平城宮跡では、群生もみられる。かわいらしい花である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(332)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1103―

●歌は、「・・・父母もうへはなさかりさきくさの中にを寝むと愛しくしが語らへば・・・」である。

 

f:id:tom101010:20210717174402j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(63)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(63)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「戀男子名古日歌三首 長一首短二首」<男子(をのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌三首 長一首短二首>である。

 

◆世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼婆 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等ゝ奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃尓 尓布敷可尓 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸ゝ 可多知都久保里 朝ゝ 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣吉 手尓持流 安我古登婆之都 世間之道

                  (山上憶良 巻五 九〇四)

 

 

≪書き下し≫世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も 我(わ)れは何せむ 我(わ)が中(なか)の 生(うま)れ出(い)でたる 白玉(しらたま)の 我(あ)が子古日(ふるひ)は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷栲の 床(とこ)の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆふへ)になれば いざ寝(ね)よと 手をたづさはり 父母(ちちはは)も うへはなさかりり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人と成(な)り出(い)でて 悪(あ)しけくも 良けくも見むと 大船(おおぶね)の 思ひ頼むに 思はぬに 横しま風のに にふふかに 覆(おほ)ひ来れば 為(な)むすべの たどきを知らに 白栲(しろたへ)の たすきを懸(か)け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み 国つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈(こ)ひ禱 (の)めど しましくも 良(よ)けくはなしに やくやくに かたちくつほり 朝(あさ)な朝(さ)な 言ふことやみ たまきはる 命(いのち)絶えぬれ 立ち躍(をど)り 足(あし)すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世の中の道

 

(訳)世間の人が貴び願う七種の宝、そんなものも私にとっては何になろうぞ。われわれ夫婦の間の、願いに願ってようやくうまれてきてくれた白玉のような幼な子古日は、明星の輝く朝になると、寝床のあたりを離れず、立つにつけ座るにつけ、まつわりついてはしゃぎ回り、夕星の出る夕方になると、「さあ寝よう」と手に縋(すが)りつき、「父さんも母さんもそばを離れないでね。ぼく、まん中に寝る」と、かわいらしくもそいつが言うので、早く一人前になってほしい、良きにつけ悪しきにつけそのさまを見たいと楽しみにしていたのに、思いがけず、横ざまのつれない突風がいきなり吹きかかって来たものだから、どうしてよいのか手だてもかわらず、白い襷(たすき)を懸け、鏡を手に持ちかざして、仰いで天の神に祈り、伏して地の神を拝み、治して下さるのも、せめてこのままで生かして下さるのも、神様の思(おぼ)し召(め)しのままですと、ただうろうろと取り乱しながら、ひたすらお祈りしたけれども、ほんの片時も持ち直すことはなく、だんだんと顔かたちがぐったりし、日ごとに物も言わなくなり、とうとう息が絶えてしまったので、思わず跳(と)びあがり、地団駄(じだんだ)踏んで泣き叫び、伏して仰ぎつ、胸を叩(たた)いて嘆きくどいた、だが、そのかいもなく、この手に握りしめていた我が幼な子を飛ばしてしまった。ああ、これが世の中を生きていくということなのか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)七種の宝>しちほう【七宝】: 仏教で、7種の宝。無量寿経では金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)。法華経では金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰(まいかい)。七種(ななくさ)の宝。七珍。しっぽう。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しらたま【白玉・白珠】名詞:白色の美しい玉。また、真珠。愛人や愛児をたとえていうこともある。(学研)

(注)あかほしの【明星の】分類枕詞:「明星」が明け方に出ることから「明く」に、また、それと同音の「飽く」にかかる。(学研)

(注)ゆふつづの【長庚の・夕星の】分類枕詞:「ゆふつづ」が、夕方、西の空に見えることから「夕べ」にかかる。また、「ゆふつづ」が時期によって、明けの明星として東に見え、宵の明星として西の空に見えるところから「か行きかく行き」にかかる。(学研)

(注)うへはなさかり:そばを離れないで、の意か。

(注)さきくさの【三枝の】分類枕詞:「三枝(さきくさ)」は枝などが三つに分かれるところから「三(み)つ」、また「中(なか)」にかかる。「さきくさの三つ葉」(学研)

(注)し【其】代名詞〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕:①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研)ここでは②の意

(注)横しま風:子に取りついた病魔のことか。

(注)にふふかに;俄かに、の意か。

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

(注)あざる【戯る・狂る】自動詞:取り乱して動き回る。(学研)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)やくやく【漸漸】[副]:《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かたちつくほり:「かたち」は顔かたち。「つくほり」はしぼんで勢いがなくなる意か。

 

 憶良ならではの、臨場感、無常感、絶望感溢れる歌である。もうこれ以上は何も書けない雰囲気である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉