万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1108)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園   (68)―万葉集 巻十六 八三三二

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園    (68)万葉歌碑<プレート>(忌部首黒麻呂)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園    (68)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

               (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(学研)

 

 題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その209改)」で紹介している。

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 万葉集の歌の中でお下劣な歌になるだろう。このような歌まで収録するところが万葉集のふところの深さといってもよいのだろう。

 「まる(放る)」は、古語で「(大小便を)する」意であるが、「おまる」とのつながりはあるのだろうか。

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「カラタチは中国原産の落葉低木で『唐橘(カラタチバナ)』の呼び名が略されたもの。春、葉が出る前に真っ白い花が咲き、甘い香りを放つ。果実は夏の間は濃い緑色で葉に入り混じって目立ちにくい。晩秋になれば黄色に熟し ピンポン玉ほどになる。ミカンと同じ香りはするが種が多く、酸っぱい上に苦いので食べられない。(後略)」と書かれている。実は漢方で利用されるようである。

 

 作者の忌部黒麻呂の歌は、もう一首収録されている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「夢裏作歌一首」<夢(いめ)の裏(うら)に作る歌一首>である。

 

◆荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲ゝゝ志 吾戀良久者

                  (忌部首黒麻呂 巻十六 三八四八)

 

≪書き下し≫荒城田(あらきだ)の鹿猪田(ししだ)の稲を倉に上(あ)げてあなひねひねし我(あ)が恋ふらくは

 

(訳)開いたばかりの田の、鹿や猪が荒らす山田でやっと獲った稲、その稲をお倉に納めてやたら干稲(ひね)にしてしまうように、ああ何とまあ、ひねびてからからしているんだろう、私の恋は。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)あらきだ【新墾田】:新しく切り開いて作った田。新小田(あらおだ)。(weblo辞書 デジタル大辞泉

(注の注)荒城田の鹿猪田:開墾したての実りの少ない田で、しかも鹿や猪が荒らす田

(注)倉に上げる:税を納めること。

(注)上三句は序。「ひねひねし」を起こす。

(注)ひねひねし[形シク]:いかにも古びている。盛りを過ぎている。(goo辞書)

 

 

左注は、「右歌一首忌部首黒麻呂夢裏作此戀歌贈友 覺而令誦習如前」<右の歌一首は、忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)、夢の裏にこの恋の歌を作りて友に贈る。 覚(おどろ)きて誦習(しようしふ)せしむるに、前(さき)のごとし。>である。

(注)おどろく【驚く】自動詞:①はっと気がつく。②驚く。びっくりする。③はっと目をさます。(学研) ここでは③の意

(注)しょうしゅう【誦習】[名]:(スル)書物などを口に出して繰り返し読むこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うら【裏】名詞:①内側。内部。②表に現れない内容・意味。③裏面。裏。④(衣服の)裏地。⑤連歌(れんが)・俳諧(はいかい)で、二つ折りの懐紙の裏面。また、そこに書かれた句。[反対語]①~⑤表(おもて)。(学研)

 

「荒城田の鹿猪田(開墾したての実りの少ない田で、しかも鹿や猪が荒らす田)」のフレーズで、万葉の時代から、田畑を荒らす鹿や猪などには苦労していたことがうかがえる。

 

遠い所の田んぼを守るためには、田盧(たぶせ)を立てそこで寝泊りもしたようである。

「田盧(たぶせ)」については、大伴坂上郎女の、題詞、「大伴坂上郎女竹田庄作歌二首」<大伴坂上郎女竹田庄(たけたのたどころ)にして作る歌二首>の次の歌に詠われている。

歌をみてみよう。

 

◆然不有 五百代小田乎 苅乱 田盧尓居者 京師所念

                  (大伴坂上郎女 巻八 一五九二)

 

≪書き下し≫しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田盧(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ

 

(訳)それほど広いとも思われぬ五百代(いおしろ)の田んぼなのに、刈り乱したままで、いつまでも田中の仮小屋暮らしをしているものだから、都が偲ばれてならない。(同上)

(注)たぶせ【田伏せ】:耕作用に田畑に作る仮小屋。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その81改)」で紹介している。

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 山の中などに作った田んぼなどは鹿や猪から守る必要があるので「山田守(やまだもる)」と詠まれている。この歌をみてみよう。

 

◆足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞為八方 山田守酢兒

                   (作者未詳 巻十 二一五六)

 

≪書き下し≫あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田守(も)らす子

 

(訳)日の射すこととてない山陰で鳴く鹿の声をいつも聞いておられることでしょうか。山田の番をしていらっしゃるあなたは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とかげ【常陰】名詞:(山の陰など)いつも日の当たらない場所(学研)

(注)山田守る 読み方:ヤマダモル:鳥獣に田を荒らされぬように番をすること、またその人(weblio辞書 季語・季題辞典)

 

 

◆足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久

                 (作者未詳 巻十一 二六四九)

 

≪書き下し≫あしひきの山田守(も)る翁(をぢ)が置く鹿火(かひ)の下焦(したこ)がれのみ我(あ)が恋ひ居(を)らく

 

(訳)山の田んぼを見張る翁(おきな)の焚(た)く鹿遣(かや)りの火が燻(いぶ)るように、胸の底でくすぶってばかり、私は恋い焦がれている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かびや【鹿火屋/蚊火屋】《「かひや」とも》田畑を鹿や猪(いのしし)などから守るために火をたく番小屋。一説に、蚊やり火をたく小屋とも。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)上三句は序。「下焦がれ」を起こす。

 

 

 農耕の様子も歌によって知ることができる。万葉集自体に事典的側面も有している。一つの歌がトリガーとなって新たな境地へ誘ってくれるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 季語・季題辞典」