万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1109)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(69)―万葉集 巻三 二五六

●歌は、「笥飯の海の庭よくあらし刈菰の乱れて出づ見ゆ海人の釣船」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(69)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(69)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船

     一本云 武庫乃海能 尓波好有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見

               (柿本人麻呂 巻三 二五六)

 

≪書き下し≫笥飯(けひ)の海(うみ)の庭(には)よくあらし刈薦(かりこも)の乱れて出(い)づ見ゆ海人(あま)の釣船(つりぶね)

     一本には「武庫(むこ)の海船庭(ふなには)ならし漁(いざ)りする海人の釣船波の上(うへ)ゆ見ゆ」といふ

 

(訳)笥飯(けい)の海の漁場は風もなく潮の具合もよいらしい。刈薦のように入り乱れて漕ぎ出ているのが見える。たくさんの漁師の釣船が。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(一本の訳)武庫の海、この海は漁場であるらしい。漁をする海人の釣船が波の上に群れているのが見える。

(注)笥飯(けひ)の海:淡路島西岸一帯の海

(注)海の庭:海の仕事場

(注)かりこもの【刈り菰の・刈り薦の】分類枕詞:刈り取った真菰(まこも)が乱れやすいことから「乱る」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

二四九から二五六歌までの歌群の題詞は、「柿本朝臣人麿羈旅歌八首」<柿本朝臣人麻呂が羈旅(きりょ)の歌八首>である。

 

この歌並びに歌群すべての歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その560、561)」で紹介している。 

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羈旅歌八首の内の二五〇歌については、神戸市灘区岩屋中町 敏馬神社に歌碑があり、歌と共にブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その563)」で紹介している。

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春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『真菰(マコモ)』はイネ科の雌雄同種の大型多年草で、戦前は各地の池や沼・小川のふちに高さ1~3メートルにもなって群生し、秋には花が咲き50cmあまりの長い穂が付く。1億数千年前の化石からもマコモが発見されており、今も形を変えることなく生息し続ける貴重な植物である。

 『菰(コモ)』は「組む」から転じた名前で、イネ科の草で『粗く織ったむしろ』をいい、後にいろんな植物でも『むしろ』が作られるようになり、本当のコモを作る草という意味で『真菰(マコモ)』と呼ばれるようになった。(後略)」と書かれている。

 

 

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マコモ」 (草花図鑑 野田市HPより引用させていただきました。)

 

 

 

 

 巻十五の遣新羅使人等の歌の、題詞「當所誦詠古歌」<所に当たりて誦詠(しようえい)する古歌>の中で三六〇六から三六〇九歌の四首は、同じ航路を旅した柿本人麻呂の羇旅の歌八首から四首を選び、現状に合わせて脚色している歌が収録されている。これらをみてみよう。

 

 

◆多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波

                 (巻十五 三六〇六)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)が崎(さき)に廬(いほ)りす我れは

 

(訳)玉藻を刈るおとめという、その処女(おとめ)の地なのに、そこを素通りして、夏草の生い茂る野島の崎で仮の宿りをしている、我らは。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもかる【玉藻刈る】分類枕詞:玉藻を刈り採っている所の意で、海岸の地名「敏馬(みぬめ)」「辛荷(からに)」「乎等女(をとめ)」などに、また、海や水に関係のある「沖」「井堤(ゐで)」などにかかる。(学研)

(注)処女:芦屋市から神戸市東部にかけての地。処女塚がある。

 

処女塚についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その562)」で紹介している。

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左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 敏馬乎須疑弖 又曰 布祢知可豆伎奴」<柿本朝臣人麻呂が歌には「敏馬(みぬめ)を過ぎて」といふ。また「船近(ちか)づきぬ」といふ>である。

 

 

◆之路多倍能 藤江能宇良尓 伊射里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎

                 (巻十五 三六〇七)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の藤江(ふぢえ)の浦に漁(いざ)りする海人(あま)とや見らむ旅行く我(わ)れを

 

(訳)白栲(しろたえ)の藤というではないが、藤江の浦で漁をする海人だと人は見ていることだろうか、都を離れてはるばる船旅を続けて行くわれらであるのに。(同上)

(注)藤江明石市西部

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 安良多倍乃 又曰 須受吉都流 安麻登香見良武」<柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲(あらたへ)のといふ。また「鱸(すずき)釣る海人(あま)とか見らむ」といふ>である。

 

 

◆安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由

                 (巻十五 三六〇八)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)を恋ひ来(く)れば明石(あかし)の門(と)より家(いへ)のあたり見ゆ

 

(訳)都を遠く離れた鄙の地の長い道、その道中ずっと恋い焦がれながらやって来ると、明石の海峡から、我が故郷、家のあたりが見える。(同上)

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 夜麻等思麻見由」<柿本朝臣人麻呂が歌には「大和島(やまとしま)見ゆ」といふ>である。

 

 

◆武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由

                  (巻十五 三六〇九)

 

≪書き下し≫武庫(むこ)の海の庭(には)よくあらし漁(いざ)りする海人(あま)の釣舟(つりぶね)波の上(うへ)ゆ見ゆ

 

(訳)武庫の海の漁場はおだやかで潮の具合もよいらしい。漁をしている海人の釣舟、その舟が今しも波の彼方に浮かんでいる。(同上)

(注)庭:仕事場。ここは漁をする海面。

 

左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 氣比乃宇美能 又曰 可里許毛能 美太礼弖出見由 安麻能都里船」<柿本朝臣人麻呂が歌には、「笥飯(けひ)の海の」といふ。また、「刈り薦の乱れて出(い)づ見(み)ゆ海人の釣舟」といふ>である。

 

遣新羅使等の中で、ショータイムを演出し、長旅の一行を楽しませたり慰めるような担当の人が配置されていたのであろう。もちろん折々に一行の詠う歌を記録している者もいたのだろう。柿本人麻呂歌集や古歌集を持っていったのであろう。木簡に書かれたものを必要なだけ持って行ったのか。

 万葉集以前に存在したであろう柿本人麻呂歌集や古歌集が、万葉集に収録され、存在したであろうことが記録されているだけでも身震いがする。

 万葉集プロジェクトの偉大さがひしひしと伝わって来る。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「草花図鑑」 (野田市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」