万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1113)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(73)―巻八 一四九〇

●歌は、「ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫く日をいまだ遠みか」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(73)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(73)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆霍公鳥 雖待不来喧 菖蒲草 玉尓貫日乎 未遠美香

                (大伴家持 巻八 一四九〇)

 

≪書き下し≫ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか

 

(訳)時鳥は、待っているけれどいっこうに来て鳴こうとはしないのか。あやめ草を薬玉(くすだま)にさし通す日が、まだ遠い先の日のせいであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまにぬく【玉爾貫、珠爾貫、玉貫、球貫】:真珠などの宝玉や特別な石・植物を玉にして緒(糸・紐)に貫き通す。玉と霊・魂のタマとは語源を同じくする。タマはすべての生命・存在の根源にかかわって畏怖と信仰の対象となり、玉はタマの寄り籠る器として観想され、呪術や神事に用いられる。この古代相を基層とした語。①万葉集には、生命力旺盛な呪物竹を玉に用いた例がある。「斎瓮(いはひべ)を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を しじに貫き垂れ」(3-379)、「枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ」(3-420)。②植物の花や実を緒に貫いて環状に結び、手や頸に巻いたり頭に載せて鬘(かづら)にする。万葉集では橘、菖蒲(あやめぐさ)(現在のしょうぶ)、楝(あふち)(せんだん)。このうち「たまにぬく」の用例は橘と菖蒲に集中し、それぞれが単独であったり「あやめぐさ 花橘を 玉に貫き」(3-423)、「あやめ草 花橘に 貫き交じへ」(18-4101)、「あやめ草 花橘に 合へも貫く」(18-4102)のように2種を交えて貫く形で詠まれる。さらに霍公鳥(ほととぎす)の声を重ねて「ほととぎす 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き」(3-423)、「あやめぐさ 花橘を 娘子らが 玉貫くまでに…(中略)…鳴きとよむれど なにか飽き足らむ」(19-4166)と歌う(この例延約40)。古今集以降には見られない取り合わせで、万葉独特の表現世界を持つ。菖蒲と橘の玉を、平安朝以降盛んになる中国渡来の、5月5日端午の節句の薬玉と見る説(『拾穂抄』以降最も多い)もあるが、『荊楚歳時記』の浴蘭節やいわゆる薬玉の様式は希薄である。歌は万葉後期大伴家持周辺にほぼ限られており、節句を契機として、4・5月の季節を古代に回帰する発想で賛美し、風流を極めて歌を楽しんだと考えられる。「たまにぬく」はむしろ記紀神話の「玉の御統(みすまる)」(多くの玉を緒に貫き統べる)が発想の基底にあるか。「玉の御統」は玲瓏と音を発する。霍公鳥の声が玉に合え貫くとは、その音に擬えた神秘な声という神話的発想があったか。(「万葉神事語辞典」國學院大學デジタル・ミュージアム

 

 「あやめ草」は、現在のショウブと同じものである。サトイモ科の多年草で、香気が強い。この強い香りから、邪気払い、疫病除けに効くと古くから考えられていた。

 

万葉集で詠われている菖蒲草の歌は十二首である。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その972)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『あやめぐさ』は水辺や湿地に自生する常緑多年草の菖蒲を言い、葉は似ているがアヤメ科のアヤメや花菖蒲とは別種である。(中略)独特の香気があり、その匂いが邪気を払い、疫病を除くものとして『端午の節句』に用い、春日大社の『菖蒲祭』では神前に粽(チマキ)のお供えと菖蒲と蓬(ヨモギ)の小束を献じて祭礼が行われる。又、境内にある社殿や建物の屋根に菖蒲と蓬(ヨモギ)の小束を放り上げて邪気を祓う。」と書かれている。

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「屋根に放り上げられた菖蒲と蓬の小束」(春日大社HP「年中行事」から引用させていただきました。)

 

 

 

より理解を深めるべく上記引用の「万葉神事語辞典(國學院大學デジタル・ミュージアム)」に出て来る歌をみてみよう。

 

 古代の人は、成長する植物に威大な生命力を感じ、呪力がこもっていると信じていた。

まず、生命力旺盛な呪物竹の玉を貫いた例(三七九、四二〇歌)をみてみよう。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

                (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君:ここでは、亡夫宿奈麻呂

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(602)」他で紹介している。

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題詞は、「石田王卒之時丹生王作歌一首 幷短歌」<石田王(いはたのおほきみ)が卒(みまか)りし時に、丹生王(にふのおほきみ)が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆名湯竹乃 十縁皇子 狭丹頬相 吾大王者 隠久乃 始瀬乃山尓 神左備尓 伊都伎坐等 玉梓乃 人曽言鶴 於余頭礼可 吾聞都流 狂言加 我間都流母 天地尓 悔事乃 世開乃 悔言者 天雲乃 曽久敝能極 天地乃 至流左右二 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸尓 御諸乎立而 枕邊尓 齋戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原尓 出立而 潔身而麻之乎 高山乃 石穂乃上尓 伊座都類香物

                  (丹生王 巻三 四二〇)

 

≪書き下し≫なゆ竹の とをよる御子(みこ) さ丹(に)つらふ 我(わ)が大君(おほきみ)は こもりくの 泊瀬(はつせ)の山に 神(かむ)さびに 斎(いつ)きいますと 玉梓(たまづさ)の 人ぞ言ひつる およづれか 我(わ)が聞きつる たはことか 我(わ)が聞きつるも 天地(あめつち)に 悔(くや)しきことの 世間(よのなか)の 悔しきことは 天雲(あまくも)の そくへの極(きは)み 天地の 至れるまでに 杖(つゑ)つきも つかずも行きて 夕占ゆふけ)問(と)ひ 石占(いしうら)もちて 我(わ)が宿に みもろを立てて 枕辺(まくらへ)に 斎瓮(いはひへ)を据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ 木綿(ゆふ)たすき かひなに懸(か)けて 天(あめ)なる ささらの小野(をの)の 七節菅(ななふすげ) 手に取り持ちて ひさかたの 天(あま)の川原(かはら)に 出(い)で立ちて みそぎてましを 高山(たかやま)の 巌(いはほ)の上(うへ)に いませつるかも

 

(訳)なよ竹のようにたおやかな御子、紅顔のわが大君は、隠(こも)り処(どころ)泊瀬の山に神々しく祭られていらっしゃると、使いの者が言って来た。まさかそんなことはあるまいに、人惑わしの空言(そらごと)を私は聞いたのか、とんでもないでたらめ言(ごと)を私はきいたのか。ああ、天地の間で何よりも残念なことで、この世でいちばん残念なことは、天雲の遠くたなびく果て、天と地の接する遠い果てまで、どこまででも、杖(つえ)を突いてでも突かないででも何としてでも行って、夕占もし石占もしてあらかじめ凶事(まがごと)をしるべきであったのに、わが家(や)には祭壇を設け、枕辺には斎瓮(いわいべ)を据えつけ、竹玉をびっしり貫き垂らし、木綿(ゆう)だすきを腕にかけて神に無事を祈るべきだったのに、天上にあるささらの小野の七ふ菅を手に取り持って、天の川原に出かけて禊(みそぎ)をして禍(わざわい)を祓(はら)うべきだったのに、何一つできずじまいで、わが君が高山の巌(いわお)の上におられるままにしてしまったことよ。

万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)なゆたけ【萎竹】名詞:「なよたけ」に同じ。

(注)なよたけの【弱竹の】分類枕詞:①細いしなやかな若竹がたわみやすいところから、「とをよる(=しんなりとたわみ寄る)」にかかる。②しなやかな竹の節(よ)(=ふし)の意で、「よ」と同音の「夜」「世」などにかかる。 ※「なよだけの」「なゆたけの」とも。(学研)

(注)とをよる【撓寄る】自動詞:しなやかにたわむ。(学研)

(注)さにつらふ【さ丹頰ふ】分類連語:(赤みを帯びて)美しく映えている。ほの赤い。 ⇒参考 赤い頰(ほお)をしているの意。「色」「君」「妹(いも)」「紐(ひも)」「もみぢ」などを形容する言葉として用いられており、枕詞(まくらことば)とする説もある。 ⇒

なりたち 接頭語「さ」+名詞「に(丹)」+名詞「つら(頰)」+動詞をつくる接尾語「ふ」(学研)

(注)かむさび【神さび】名詞:神らしい振る舞い。神々(こうごう)しく振る舞うこと。(学研)

(注)たまづさ【玉梓・玉章】名詞:①使者。使い。②便り。手紙。消息。 ⇒参考 「たま(玉)あづさ(梓)」の変化した語。便りを運ぶ使者は、そのしるしに梓の杖を持ったという。(学研)ここでは①の意

(注)およづれ【妖・逆言】名詞:「妖言(およづれごと)」の略。人をまどわすことば。(学研)

(注)そきへ【退き方】名詞:遠く離れたほう。遠方。果て。「そくへ」とも。(学研)

(注)ゆふけ【夕占・夕卜】名詞:夕方、道ばたに立って、道行く人の言葉を聞いて吉凶を占うこと。夕方の辻占(つじうら)。「ゆふうら」とも。 ※上代語。(学研)

(注)いしうら【石占】名詞:上代の占い。石を用い、石の数や軽重、けった方角などによって吉凶を判断した。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)ささらの小野:天にあるという野

(注)ななふすげ【七節菅】〘名〙:(「ふ」は節の意) 節が七つもあるような長いスゲ。一説に、編目が七つもある薦(こも)を織れるような長いスゲ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)てまし 分類連語:きっと…(た)だろうに。▽「…ましかば…てまし」の形で、仮想のことを強調して表す。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研)

 

 

 

祭りなどに参加する人たちは、黄葉、梅、萩、桜、柳などの植物の花や実を挿頭(かざし)にしたり、菖蒲、青柳、橘、梅などを蘰(かづら)として頭に載せていた。万葉集では「たまにぬく」の用例は橘と菖蒲に集中し、それぞれが単独であったり「菖蒲 橘」ように2種を交えて貫く形で詠まれている歌(四二三、四一〇一、四一〇二、四一六六歌)をみていこう。

 

 

題詞は、「同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首」<同じく石田王(いはたのおほきみ)が卒(みまか)りし時に、山前王(やまさきのおほきみ)が哀傷(かな)しびて作る歌一首>である。

 

◆角障経 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲花橘乎 玉尓貫<一云貫交> 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 析挿頭跡 延葛乃 弥遠永<一云田葛根乃 弥遠長尓> 萬世尓 不絶等念而<一云大舟之念憑而> 将通 君乎婆明日従<一云君乎従明日者> 外尓可聞見牟

               (山前王 巻三 四二三)

 

≪書き下し≫つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 玉に貫(ぬ)き<一には「貫(ぬ)き交(か)へ」といふ> かづらにせむと 九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみぢは)を 折りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く<一には「葛(くず)の根のいや遠長に」といふ> 万代(よろづよ)に 絶えじと思ひて<一には「大船の思ひたのみて」といふ> 通ひけむ 君をば明日(あす)ゆ<一には「君を明日ゆは」といふ> 外(よそ)にかも見む

 

(訳)あの磐余の道を毎朝帰って行かれたお方が、道すがらさぞや思ったであろうことは、ほととぎすの鳴く五月には、ともにあやめ草や花橘を玉のように糸に通して<貫き交えて>髪飾りにしようと、九月の時雨の頃には、ともに黄葉を手折って髪に挿そうと、そして、這う葛のようにますます末長く<葛の根のようにいよいよ末長く>いついつまでも仲睦(むつ)まじくしようと、こう思って<大船に乗ったように頼みにしきって>通ったことであろう、その君を事もあろうに明日からはこの世ならぬ外の人として見るというのか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首或云柿本朝臣人麻呂作」<右の一首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ>である。

 

 

題詞は、「為贈京家願真珠歌一首并短歌」<京の家に贈るために、真珠(しらたま)を願ふ歌一首并せて短歌>である。

 

珠洲乃安麻能 於伎都美可未尓 伊和多利弖 可都伎等流登伊布 安波妣多麻 伊保知毛我母 波之吉餘之 都麻乃美許等能 許呂毛泥乃 和可礼之等吉欲 奴婆玉乃 夜床加多古左里 安佐祢我美 可伎母氣頭良受 伊泥氐許之 月日余美都追 奈氣久良牟 心奈具佐尓 保登等藝須 伎奈久五月能 安夜女具佐 波奈多知波奈尓 奴吉麻自倍 可頭良尓世餘等 都追美氐夜良牟

              (大伴家持 巻十八 四一〇一)

 

≪書き下し≫珠洲(すす)の海人(あま)の 沖つ御神(みかみ)に い渡りて 潜(かづ)き取るといふ 鰒玉(あはびたま) 五百箇(いほち)もがも はしきよし 妻の命(みこと)の 衣手(ころもで)の 別れし時よ ぬばたまの 夜(よ)床(とこ)片(かた)さり 朝寝髪 掻(か)きも梳(けづ)らず 出(い)でて来(こ)し 月日数(よ)みつつ 嘆くらむ 心(こころ)なぐさに ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 花橘(はなたちばな)に 貫(ぬ)き交(まじ)へ かづらにせよと 包(つつ)みて(や)遣らむ

 

(訳)珠洲の海人たちが、沖辺はるかに浮かぶ神の島まで渡って、水底にもぐって採るという真珠、その真珠がどっさり五百の余もほしいものだ。ああ、今頃、あのいとしい妻なるお方が、二人で交わした寝た袖(そで)を分かって別れたあの時から、夜床の片方をあけて休み、朝の乱れ髪を梳りもしないで、私が都を出て来てからの月日を指折り数えて嘆いているにちがいない。そんな心のせめてもの慰めに、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲草や橘の花に緒を通して蘰にしなさいと、その真珠をたいせつに包んで送ってやりたい。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆白玉乎 都ゝ美氐夜良婆 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 安倍母奴久我祢

               (大伴家持 巻十八 四一〇二)

 

≪書き下し≫白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね

 

(訳)神の島の真珠を、大切に包んで送ってやったなら、あの子は、それをそのまま菖蒲草や橘の花に交えて通しもするだろうに。(同上)

 

 

◆・・・うぐひすの 現(うつ)し真子(まこ)かも あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 娘子(をとめ)らが 玉貫(ぬ)くまでに・・・

               (大伴家持 巻十九 四一六六)

 

(訳)・・・まさしく鴬(うぐいす)のいとし子なのだな、菖蒲(あやめ)や花橘をおとめらが薬玉(くすだま)に通す五月まで・・・(同上)

 

 

 歌によって、当時の人々の信仰、祭りの仕方、風俗等々が知りえるのである。歌による記録、あらためて万葉集のすごさを思い知らされるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫) 

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタル・ミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「年中行事」 (春日大社HP)