―その1118―
●歌は、「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(78)にある。
●歌をみていこう。
◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓
(山上憶良 巻五 七九八)
≪書き下し≫妹(いも)が見し棟(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに
(訳)妻が好んで見た棟(おうち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)楝は、陰暦の三月下旬に咲く、花期は二週間程度。筑紫の楝の花散りゆく様を見て、奈良の楝に思いを馳せて詠っている。
この七九八歌は、歌群の左注に、「神亀(じんき)五年七月二十一日 筑前(つくしのみちのくち)の国守(くにつかみ)山上憶良 上」とあるように、妻を亡くした大伴旅人に奉った七九四歌(長歌「日本挽歌」一首)と七九五から七九九歌(反歌五首)の歌群の一首である。
この歌群には、漢語による前文と漢詩が備わっている。
この歌が収録されている「巻五」は、①大伴旅人と山上憶良の作品が中心、②神亀五年(728年)から天平五年(733年)という短期間の歌が収録されている、③大宰府を場とする歌が中心、④漢文の手紙、前文や漢詩とともに歌がある、といった他の巻にない特徴を有している。
巻五の巻頭歌は、旅人の「大宰帥(だざいのそち)大伴卿、凶問に報(こた)ふる歌一首」(七九三歌)であり、漢文の書簡と歌から構成されている。
旅人の七九三歌「世の中は空しきものと・・・」から憶良の七九九歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて489」」で紹介している。
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「あふち」を詠んだ歌は万葉集では四首ある。これらについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その893)」で紹介している。
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春日大社神苑萬葉植物園・植物説明板によると、「『あふち(楝)』は『栴檀(センダン)』の古名で、暖地の海辺や山地に自生する落葉高木である。葉が鳥の羽のような形で広がり、初夏の頃こずえに薄紫の小花が房状にたくさん咲く。秋には『苦楝皮(クレンピ)』と呼ぶ楕円形(ダエンケイ)の小さな実が黄色に熟す。この実を回虫や条虫の駆除薬に、又、茎や葉は農業用の殺虫剤に利用している。『栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)』といわれるセンダンは、ビャクダン科の常緑高木の『白檀(ビャクダン)』のことである。」と書かれている。
―その1119―
●歌は、「ますらをと思へるものを大刀佩きて可爾波の田居に芹ぞ摘みける」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(79)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「薩妙觀命婦報贈歌一首」<薩妙觀命婦が報(こた)へ贈る歌一首>である。
(注)薩妙観 さつ-みょうかん:「?-? 奈良時代の女官。元正天皇に命婦(みょうぶ)としてつかえる。神亀(じんき)元年(724)河上忌寸(かわかみのいみき)の氏姓をあたえられ,天平(てんぴょう)9年正五位下にすすんだ。歌が「万葉集」におさめられている。唐(とう)(中国)から渡来した薩弘恪(こうかく)の一族ともいわれる。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流
(薩妙観命婦 巻二十 四四五六)
≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける
(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)可爾波(かには):京都府木津川市山城町綺田(かばた)の地
昼は公務に忙しく、夜に公務の合間をぬってわざわざ摘んだ「芹」だと、からかい的に詠んだ歌に対し、絶妙な切り返しで詠んでいる。まさに和(こた)えて和(なご)む歌である。
左注は、「右二首左大臣讀之云尓 左大臣是葛城王 後賜橘姓也」<右二首は、左大臣読みてしか云ふ 左大臣はこれ葛城王にして、 後に橘の姓を賜はる>である。
この歌は、葛城王が任地から歌に添えて芹を薩妙観命婦等(せちめうくわんみやうぶら)に贈った時の歌(四四五五歌)に和(こた)えた歌である。両歌ついてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その277改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)
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春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『芹(せり)』は春に湿地や水田溝などに群生し、夏に向かい小花が集まって咲く多年草である。秋にほふく枝(シ)の枝の節から新苗を出し、翌年春に盛んに成長する、新苗の出る様子が競り合っているように見えるので『せり』の名が付いたようだ。万葉時代、セリは大切な食べ物で春の七草の一つであり、独特の香りと歯ごたえが好まれた。(後略)」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」