万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1124)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(84)―万葉集 巻七 一一一九

●歌は、「行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の檜原は」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(84)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(84)にある。

 

●歌をみていこう。

 

  題詞は、「詠葉」<葉を詠む>である。

 

◆徃川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之桧原者

                 (柿本人麻呂歌集 巻七 一一一九)

 

≪書き下し≫行く川の過ぎにし人の手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪(みわ)の桧原(ひはら)は

 

(訳)行く川の流れのように、現(うつ)し世を消え去って行った人びとが手折って挿頭(かざし)にしないので、しょんぼりと立っている。三輪の檜原は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うらぶる 自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ひばら【檜原】名詞:檜(ひのき)の生い茂っている原。奈良時代では初瀬(はつせ)・巻向(まきむく)・三輪(みわ)のあたりの檜原が有名だった。「ひはら」とも。(学研)

 

左注は、「右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出」<右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。>である。

 

 もう一首もみてみよう。

 

◆古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜原尓 挿頭折兼

                 (柿本人麻呂歌集 巻七 一一一八)

 

≪書き下し≫いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の檜原にかざし折けむ

 

(訳)遠く過ぎ去った時代にここを訪れた人も、われわれのように、三輪の檜原(ひはら)で檜の枝葉を手折って挿頭(かざし)にさしたことであろうか。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)いにしへ【古へ・古】名詞:①遠い昔。▽経験したことのない遠い過去。②以前。▽経験したことのある近い過去。③昔の人。過去のこと。 ⇒参考 「いにしへ」と「むかし」の違い 「いにしへ」は遠い昔・以前(=近い過去)のように時間の経過を意識しているが、類義語の「むかし」は、漠然とした過去(=ずっと以前・かつて)を表している。(学研)

(注)かざし折けむ:生命力を身につけるため、檜の枝を髪にさしたであろうか。

(注の注)かざし【挿頭】名詞:花やその枝、のちには造花を、頭髪や冠などに挿すこと。また、その挿したもの。髪飾り。(学研)

 

 一一一八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その63改)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『桧(ヒノキ)』は大木が多く、日本特産の高さ3~40メートルにもなる雌雄同種の常緑高木で、山林の代用である。

 万葉名の『檜(ヒ)』は『ノキ』が略されこの名が付くが、大昔はこの木をこすり合わせて火をおこしたことから『火の木』の意味を持ったのが名の由来である。(中略)木材は独特の香りがあり、色・艶(ツヤ)・木目ともに美しく、堅く腐食しにくいため用途も多い。神社・仏閣の建築には欠かせない存在で『桧皮葺(ヒワダブキ)』の屋根は曲線も美しく優美だが、近年は材料になる『桧皮(ヒワダ)』が激減し、屋根を葺(フ)く技術者も少なくなっている。」と書かれている。

 

 万葉集には、「檜原」が詠まれたのは六首、「檜乃嬬手」「檜山」「檜橋」の形で三首が収録されている。

 「檜原」が詠まれた他の四首からみていこう。

 

◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨

               (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇九二)

 

≪書き下し≫鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも

 

(訳)噂にだけ聞いていた纏向の檜原の山、その山を、今日この目ではっきり見た。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)なるかみ【鳴る神】名詞:かみなり。雷鳴。[季語] 夏。 ⇒参考「かみなり」は「神鳴り」、「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。(学研)

 

 当時、巻向の檜原の山と言えば、誰一人知らないものはいないほどであったのだろう。雷鳴のような評判を聞いているとの歌いだしが物語っている。

 

 題詞は「詠山」である。

   

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その66改)」で紹介している。

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◆三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之檜原 所念鴨

                 (作者未詳 巻七 一〇九五)

 

≪書き下し≫みもろつく三輪山(みわやま)見ればこもりくの泊瀬(はつせ)の檜原(ひはら)思ほゆるかも

 

(訳)檜林(ひのきばやし)の続く三輪山を見ると、泊瀬の檜原、あの檜原のさまが思いだされる。(同上)

(注)みもろつく【御諸つく】枕詞:「御諸」を築く意で、神をまつった場所の名、「鹿背(かせ)山」および「三輪(みわ)山」にかかる。一説に「御諸斎(いつ)く」で、御諸を斎き奉る所の意からかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(訳)こもりくの【隠り口の】分類枕詞:大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。(学研)

 

 

◆巻向之 檜原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方

                  (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一四)

 

≪書き下し≫巻向の檜原に立てる春霞おほにし思はばなづみ來(こ)めやも

 

(訳)この巻向の檜原にぼんやりと立ち込めている春霞、その春霞のように、この地をなおざりに思うのであったら、何で歩きにくい道をこんなに苦労してまでやって来るものか。(同上)

(注)上三句は序。「おほに」を起こす。

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。※「おぼなり」とも。上代語。(学研)

 

 

◆巻向之 檜原毛未雲居者 子松之末由 沫雪流

                (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一四)

 

≪書き下し≫巻向の檜原(ひはら)もいまだ雲居(くもい)ねば小松が末(うれ)ゆ沫雪(あわゆき)流る

 

(訳)巻向の檜原にもまだ雲がかかっていないのに、松の梢からはやもう泡雪が流れてくる。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その75改)」で紹介している。

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 続いて「檜乃嬬手」「檜山」「檜橋」を詠った歌をみてみよう。

 

 まず「檜乃嬬手(檜のつまで)=檜の丸太」を詠っている歌からみてみよう。

 

 題詞は、「藤原宮之役民作歌」<藤原の宮の役民(えきみん)の作る歌>である。

 

◆八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 檜乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須郎牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

                        (藤原宮之役民 巻一 五〇)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君 高照らす 日の荒田への御子(みこ) 荒栲(あらたへ)の 藤原が上(うへ)に 食(お)す国を 見(み)したまはむと みあらかは 高知(たかし)らむと 神(かむ)ながら 思ほすなへに 天地(あめつち)も 寄りてあれこそ 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 真木(まき)さく 檜(ひ)のつまでを もののふの 八十(やそ)宇治川(うぢうぢがわ)に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒(さわ)く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨(かも)じもの  水に浮き居(い)て 我が作る 日の御門(みかど)に 知らぬ国 寄し巨勢道(こせぢ)より 我(わ)が国は 常世(とこよ)にならむ 図(あや)負(お)へる くすしき亀(かめ)も  新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木(まき)のつまでを 百(もも)足(た)らず 筏(いかだ)に作り 泝(のぼ)すらむ いそはく見れば 神(かむ)からならし

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらが大君、高く天上を照らしたまう日の御子は、荒栲(あらたえ)の藤原の地で国じゅうをお治めになろうと、宮殿をば高々とお造りになろうと、神として思し召しになるそのお考えのままに、天地(あめつち)の神も大君に心服しているからこそ、豊(ゆた)けき近江の国の、衣手の田上山(たなかみやま)の立派な檜(ひのき)丸太(まるた)、その丸太を、もののふの八十(やそ)の宇治川(うじがわ)に、玉藻のように軽々と浮かべ流しているものだから、それを引き取ろうとせわしく働く大君の民も、家のことを忘れ、我が身のこともすっかり忘れ、鴨のように軽々と水に浮きながら、われらが造る日の宮廷(みかど)に、支配の及ばぬ異国をば寄しこせというその巨勢の方から、我が国は常世の国になるであろうという瑞(みず)に兆(しるし)を背に負うた神秘の亀も、新しい代を祝福して出ずるという泉の川に持ち運んだ檜の丸太、ああその丸太をがっしり筏に組んで、川を泝(さかのぼ)らせているのであろう。天地の神も大君の民も、先を争って精出しているのを見ると、これはまさに大君の神慮のままであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あらたへの 【荒妙の】分類枕詞:藤(ふじ)の繊維で作った粗末な布を「あらたへ」というところから、「藤江」「藤原」などの地名にかかる。

(注)をす 【食す】:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。<上代語>。

(注)みあらか 【御舎・御殿】名詞:御殿(ごてん)。「み」は接頭語。<上代語>

(注)たかしらす 【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。

(注)いはばしる【石走る・岩走る】:水がしぶきを上げながら岩の上を激しく流れる。

いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。

(注)ころもでの【衣手の】分類枕詞:①袂(たもと)を分かって別れることから「別(わ)く」「別る」にかかる。②袖(そで)が風にひるがえることから「返る」と同音の「帰る」にかかる。③袖の縁で導いた「手(た)」と同音を含む地名「田上山(たなかみやま)」にかかる。

(注)まき【真木・槙】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう 

(注)つまで【枛手】:荒削りした、かどのある材木。角材。 (goo辞書)

(注)たなしる【たな知る】〔「たな」は接頭語〕:十分によく知る。 (weblio辞書 三省堂大辞林

(注)かもじもの【鴨じもの】副詞:鴨のように。

(注)ももたらず【百足らず】分類枕詞:①百に足りない数であるところから「八十(やそ)」「五十(いそ)」に、また「や」や「い」の音から「山田」「筏(いかだ)」などにかかる。

 

 左注は、「右日本紀日 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮」<右は、日本紀には「朱鳥(あかみとり)七年癸巳(みづのとみ)の秋の八月に、藤原の宮地(みやところ)に幸(いでま)す。 八年甲午(きのえうま)の春の正月に、藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌(かのえうま)の朔(つきたち)の乙卯(きのとう)に、藤原の宮に遷(うつ)る」といふ>である。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その246改)」で紹介している。

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 次の歌では「檜山(ひやま)」と詠っている。

 

◆斧取而 丹生桧山 木折来而 筏尓作 二梶貫 礒榜廻乍 嶋傳 雖見不飽 三吉野乃 瀧動々 落白浪

                  (作者未詳 巻十三 三二三二)

 

≪書き下し≫斧(をの)取りて 丹生(にふ)の檜山(ひやま)の 木伐(きこ)り来て 筏(いかだ)に作り 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き 礒(いそ)漕(こ)ぎ廻(み)つつ 島伝(づた)ひ 見れども飽かず み吉野の 滝(たき)もとどろに 落つる白波(しらなみ)

 

(訳)斧を手に取って、丹生(にう)の檜山の木を伐って来て筏に作って、左右の櫂(かい)をしっかと取り付け磯を漕ぎめぐりながら、島伝いにつくづく見るのだが、見ても見ても見飽きることがない。ここみ吉野の、滝もとどろくばかりにごうごうと流れ落ちる白波は。

万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)丹生:吉野川上流一帯の地名。

(注)磯、島:吉野川を海に見立ててほめている。

 

 

 最後は、「檜橋」と詠っている。

 

◆刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武

                  (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二四)

 

≪書き下し≫さし鍋(なべ)に湯沸(わ)かせ子ども櫟津(いちひつ)の檜橋(ひばし)より来(こ)む狐(きつね)に浴(あ)むさむ

 

(訳)さし鍋の中に湯を沸かせよ、ご一同。櫟津(いちいつ)の檜橋(ひばし)を渡って、コムコムとやって来る狐に浴びせてやるのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さすなべ【(銚子)】:柄と注口(つぎぐち)のついた鍋、さしなべ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ):持統・文武朝の歌人。物名歌の名人。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その53改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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 「三輪の檜原」は、一一一八、一一一九歌、「巻向の檜原」は一〇九二、一一二四、二三一四歌で詠われており、いずれも「柿本人麻呂歌集」である。もう一首一〇九五歌では「泊瀬の檜原」と詠われている。

 そして「檜のつまで」「檜山」「檜橋」と詠われているのである。

 

 五〇歌の「藤原宮之役民作歌」(実際はそれなりの官人の作であろう)は、近江の国の田上山から檜を切り出し、宇治川、木津川を経て藤原宮まで運び都の造営に至るドキュメントものである。

 このような歌を作った人に対してはもちろん、収録している万葉集にも脱帽である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂大辞林

★「goo辞書」