●歌は、「君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(85)にある。
●歌をみていこう。
◆君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉
(柿本人麻呂歌集 巻七 一二四九)
≪書き下し≫君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘むと我(わ)が染(そ)めし袖濡れにけるか
(訳)あの方に差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘もうとして、私が染めて作った着物の袖がすっかり濡れてしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)浮沼(うきぬ)の池;所在未詳
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その285)」で紹介している。
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万葉集には、「菱」を詠んだ歌はもう一首収録されている。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その285)」でも紹介しているが掲載してみる。
◆豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武
(作者未詳 巻十六 三八七六)
≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘むとや妹がみ袖濡れけむ
(訳)豊国の企救(きく)の池にある菱の実、その実を摘もうとでもして、あの女(ひと)のお袖があんなに濡れたのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)企救(きく):北九州市周防灘沿岸の旧都名。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の小倉市の歴史の項に「律令制下では豊前国企救郡(きくぐん)の一地域となる。」とある。
(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。ここでは(菱の)実と解釈。
(注)袖濡れけむ:自分への恋の涙で濡れたと思いなしての表現。
題詞は、「豊前國白水郎歌一首」<豊前(とよのみちのくち)の国の白水郎(あま)の歌一首>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その886)」で、昨年(令和二年)十一月十六日に北九州市小倉北区の勝山公園万葉の庭に行った時の歌碑とともに紹介している。
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一二四九歌では、袖が濡れるほど「君がため」に菱の実を摘みましたよ、すなわち君への思いの深さを濡れるで言い表している。三八七六歌では、あの子は、袖を濡らしてまで菱の実を摘んでくれている、それほどまでの自分への思いを感じて詠っているのである。
一生懸命につくす、袖を濡らしても実を採る、すなわち相手への思いの深さを素直に詠っている。次の歌もみてみよう。
題詞は「紀女郎▼物贈友歌一首 女郎名曰小鹿也」<紀女郎、裹(つつ)める物を友に贈る歌一首 女郎、名を小鹿といふ>である。
(注)▼は「果」の下に「衣」で「つつめる」
(注の注)裹(つつ)める物:海藻に包んだ贈り物
◆風高 邊者雖吹 為妹 袖左倍所沾而 苅流玉藻焉
(紀女郎 巻四 七八二)
≪書き下し≫風高く辺(へ)には吹けども妹(いも)がため袖さへ濡(ぬ)れて刈れる玉藻(たまも)ぞ
(訳)風が空高くわたり岸辺には激しい波が寄せていましたが、その波に袖(そで)まで濡(ぬ)らして、あなたのために刈りとった藻なのですよ、これは。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)刈れる玉藻(たまも)ぞ:包んだ藻だけを言い、中味を伏せているのは、機智。
袖を濡らしてまでも採った海藻で包んだ物ですよ、と中味の価値を間接的にアピールする効果的な歌となっている。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1114)」で紹介している。
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袖を濡らすものは、池や川、海の水だけではない。特に悲しい思いの涙は袖をたっぷり濡らすのである。次の歌をみてみよう。
◆阿之可伎能 久麻刀尓多知弖 和藝毛古我 蘇弖母志保々尓 奈伎志曽母波由
(刑部直千国 巻二十 四三五七)
≪書き下し≫葦垣(あしかき)の隈処(くまと)に立ちて我妹子(わぎもこ)が袖もしほほに泣きしぞ思(も)はゆ
(訳)葦垣の隅っこに立って、いとしいあの子が袖も絞るばかりに泣き濡(ぬ)れていた姿、その姿が思い出されてならない。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)くまと【隈所・隈処】名詞:物陰。隠れた所。(学研)
(注)しほほに 副詞:びっしょりと。ぐっしょりと。▽涙などにぬれるようすを表す。(学研)
防人として任に着くべく妻と別れて来たが、妻の見せた悲しみの涙を「袖もしおほに」と詠っている。
悲しみの涙は、計り知れないほど流すと詠うことでその悲しみの度合いを訴えているのである。次もみてみよう。
◆六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖将乾哉 於君不相四手
(作者未詳 巻十 一九九五)
≪書き下し≫六月(みなつき)の地(つち)さへ裂けて照る日にも我(わ)が袖(そで)干(ひ)めや君に逢はずして
(訳)六月の、地さえも裂けて照りつける日射しにも、私の袖の乾くことなどけっしてありません。あなたにお逢いすることができないので。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みなづき【水無月・六月】名詞:陰暦六月の別名。この月で夏が終わる。 ※「な」は「の」の意の上代の格助詞。田に水を引く月の意か。「水無月」は後世の当て字。(学研)
六月の日射しにも乾くことがないほど私の袖は、止めどもなく濡れて、濡れていると逢えない悲しみの深さを涙の量で訴えているのである。季節までも引きずり込んだ巧みな歌である。
春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『菱(ヒシ)』は池や沼・よどんだ川の水面に群生する一年生の水生植物で、細い茎が水中に伸び、各節から細かい根を出して繁殖する。葉は名の通りひし形で放射状に広がり、長い葉柄(ハガラ)がある。その中程に内部がスポンジ状に膨らんだところがあり、その膨らみに空気が含まれ、浮袋の働きをする。
夏に白い花が葉の内から水面に顔をのぞかせるが、あまりに小さいので見逃しがちである。三角形の果実は表面が初めは緑色だが、成長するにしたがって次第に黒くて固いものになり、二本の黒いトゲが両面につく。
トゲが二本のものを『菱(ヒシ)』と呼び、トゲが四本で小型のものが『ヒメビシ』、大型のものが『オニビシ』である。(後略)」と書かれている。
その実が食用になる。見かけによらず中味は美味で、栗に似た上品な味がするそうである。
濡れるという時間軸で、悲しみの深さをなどを詠っている歌を見てきたが、弟の大津皇子を大和に送り出す大伯皇女の悲しみの深さを「暁(あかつき)露に我(わ)が立ち濡れし」と詠った歌の重みをあらためて感じてみよう。
◆吾勢祜乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
(大伯皇女 巻二 一〇五)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜更けて暁(あかつき)露に我(わ)が立ち濡れし
(訳)わが弟を大和へ送り帰さねばならぬと、夜も更けて朝方近くまで立ちつくし、暁の露に私はしとどに濡れた。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その429)で三重県多気郡明和町斎宮 斎王の森の歌碑とともに紹介している。
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自然と共にある万葉びとの感性に時を超えて感動を引き起こす。素朴で心からの叫びが胸を打つ。
古今集や新古今集と違った粗野であるがかえって美しさを感じさせる。万葉集のすばらしさよ。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」