万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1128)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(88)―万葉集 巻二十 四四六五

●歌は、「・・・すめろきの神の御代よりはじ弓を手握り持たし真鹿子矢を手挟み添えて・・・」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(88)万葉歌碑<プレート>(大伴家持


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(88)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四四六五から四四七〇歌の歌群の左注は、「以前歌六首六月十七日大伴宿祢家持作」<以前(さき)の歌六首は、六月の十七日に大伴宿禰家持作る>である。

 

 四四六五から四四六七歌の題詞は、「喩族歌一首幷短歌」<族(うがら)を喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

 

◆比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎ゝ 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都ゝ 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓 美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代ゝゝ 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母

               (大伴家持 巻二十 四四六五)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の門(と)開き 高千穂の 岳(たけ)に天降(あも)りし すめろきの 神の御代(みよ)より はじ弓を 手(た)握(にぎ)り持たし 真鹿子矢(まかごや)を 手挟(たばさ)み添へて 大久米(おほくめ)の ますらたけをを 先に立て 靫(ゆき)取り負(お)ほせ 山川を 岩根(いはね)さくみて 踏み通り 国(くに)求(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向(ことむ)け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕(つか)へまつりて 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原の 畝傍(うねび)の宮に 宮柱(みやばしら) 太知(ふとし)り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろき)の 天の日継(ひつぎ)と 継ぎてくる 君の御代(みよ)御代(みよ) 隠さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極(きは)め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 言(こと)立(だ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負(お)へる ますらをの伴(とも)

 

(訳)遥かなる天つ空の戸、高天原(たかまのはら)の天の戸を開いて、葦原(あしはら)の国高千穂(たかちほ)の岳(たけ)に天降(あまくだ)られた皇祖(すめろき)の神の御代から、はじ木の弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、真鹿子矢(まかごや)を手挟み添え、大久米のますら健男(たけお)を前に立てて靫を背負わせ、山も川も、岩根を押し分けて踏み通り、居(い)つくべき国を探し求めては、荒ぶる神々をさとし、従わぬ人びとをも柔らげ、この国を掃き清めお仕え申し上げて、蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の山に、宮柱を太々と構えて天の下をお治めになった天皇(すめろき)、その尊い御末(みすえ)として引き継いでは繰り返す大君の御代御代のその御代ごとに、曇りのない誠の心をありったけ日継ぎの君に捧げつくして、ずっとお仕え申してきた先祖代々の大伴の家の役目であるぞと、ことさらお言葉に言い表わして、我が大君がお授け下さった、その祖(おや)の役目を継ぎ来り継ぎ行く子々孫々、その子々孫々のいよいよ相続くように、いや継ぎ継ぎに、目に見る人に語り継ぎに讃め伝えて、耳に聞く人は末々の手本(かがみ)にもしようものを、ああ、貶(おとし)めてはもったいない清らかな継ぎ来り継ぎ行くべき名なのだ。おろそかに軽く考えて、かりそめにも祖先の名を絶やすでないぞ。大伴の氏と、由来高く清き名に支えられている、ますらおたちよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)はじ弓:やまはぜで作った弓

(注)真鹿子矢(まかごや):鹿の角などを用いた矢か。

(注)あたらし【惜し】もったいない。惜しい。※参考「あたらし」と「をし」の違い 「を(惜)し」が自分のことについていうのに対し、「あたらし」は外から客観的に見た気持ちをいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。 ※上代語。(学研)

(注)むなこと【空言・虚言】名詞:うそ。裏付けのない言葉。(学研)

(注の注)むなことも:かりそめにも

 

続いて短歌二首をみてみよう。

 

◆之奇志麻乃 夜末等能久尓ゝ 安氣良氣伎 名尓於布等毛能乎 己許呂都刀米与

                  (大伴家持 巻二十 四四六六)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国に明(あき)らけき名に負(お)ふ伴(とも)の男(を)心つとめよ

 

(訳)磯城島の大和の国に、隠れもなき由来高き名に支えられている大伴の者どもよ、心奮い立たせて努めよ。(同上)

(注)しきしまの【磯城島の・敷島の】分類枕詞:「磯城島」の宮がある国の意で国名「大和」に、また、転じて、日本国を表す「やまと」にかかる。(学研)

(注)あきらけし【明らけし】形容詞:①清らかだ。けがれがない。②はっきりしている。③賢明だ。聡明(そうめい)だ。(学研))

 

 

◆都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之師曽乃名曽                           (大伴家持 巻二十 四四六七)

 

≪書き下し≫剣大刀(つるぎたち)いよよ磨(と)ぐべしいにしへゆさやけく負ひて来(き)にしその名ぞ

 

(訳)剣太刀を研ぐというではないが心をいよいよ磨ぎ澄まして張りつめるべきだ。遠く遥かな御代から紛れもなく負い持って来た大伴という由来高き名なのだ。(同上)

(注)いよよ【愈】副詞:なおその上に。いよいよ。いっそう。(学研)

(注)ゆ 格助詞:《接続》体言、活用語の連体形に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段〕…で。…によって。④〔比較の基準〕…より。 ⇒ 参考 上代の歌語。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入ると「より」に統一された。(学研)

(注)さやけし【清けし・明けし】形容詞:①明るい。明るくてすがすがしい。清い。②すがすがしい。きよく澄んでいる。 ⇒ 参考 「さやけし」と「きよし」の違い 「さやけし」は、「光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす」を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、「さやけし」は対象から受ける感じ、「きよし」は対象そのもののようすをいうことが多い。(学研)

 

 四四六五から四四六七歌の歌群の左注は、「右縁淡海真人三船讒言出雲守大伴古慈斐宿祢解任 是以家持作此歌也」<右は、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)が讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いずものかみ)大伴古慈斐宿禰(おほとものこしびのすくね)、任(にん)を解(と)かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る>である。

 

 

他の三首もみてみよう。

 

 四四六八、四四六九歌の題詞は、「臥病悲無常欲修道作歌二首」<病に臥して無常(むじやうを悲しび、道を修めむと欲(おも)ひて作る歌二首>である。

(注)道:仏の道

 

 

◆宇都世美波 加受奈吉身奈利 夜麻加波乃 佐夜氣吉見都 美知乎多豆祢米

                (大伴家持 巻二十 四四六八)

 

≪書き下し≫うつせみは数なき身なり山川(やまかは)のさやけき見つつ道を尋(たづ)ねな

 

(訳)生きてこの世に在る人間というものはいくばくもないはかない命を持つ身なのだ。山川の澄みきった地に入り込んで悟りの道を辿(たど)って行きたいものだ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かずなし【数無し】形容詞:①物の数にも入らない。はかない。②数えきれないほど多い。無数である。(学研) ここでは①の意

(注)さやけし【清けし・明けし】形容詞:①明るい。明るくてすがすがしい。清い。②すがすがしい。きよく澄んでいる。 ⇒ 参考「さやけし」と「きよし」の違い 「さやけし」は、「光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす」を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、「さやけし」は対象から受ける感じ、「きよし」は対象そのもののようすをいうことが多い。(学研)

 

 もう一首の方もみてみよう。

 

◆和多流日能 加氣尓伎保比弖 多豆祢弖奈 伎欲吉曽能美知 末多母安奈美無多米)

               (大伴家持 巻二十 四四六九)

 

≪書き下し≫渡る日の影に競(きほ)ひて尋(たづ)ねてな清(きよ)きその道またもあはむため

 

(訳)空を渡る日の光に負けずに日々勉めて、尋ね求めたいものだ、清らかな悟りの道を。再びあの佳き世に出逢(であ)うために。(同上)

(注)かげ【影・景】名詞:①(日・月・灯火などの)光。②(人や物の)姿・形。③(心に思い浮かべる)顔・姿。面影。④(人や物の)影。⑤(実体のない)影。(学研) ここでは①の意

(注)きほふ【競ふ】自動詞:①争う。張り合う。②先を争って散る。散り乱れる。(学研)

 

 

◆美都煩奈須 可礼流身曽等波 之礼ゝ杼母 奈保之祢我比都 知等世能伊乃知乎

                 (大伴家持 巻二十 四四七〇)

 

≪書き下し≫水泡(みつぼ)なす仮(か)れる身ぞとは知れれどもなほし願ひつ千年(ちとせ)の命(いのち)を

 

(訳)水粒(みずつぶ)のようなはかない身だとは、充分に承知しているけれども、それでもやはり願わずにはいられない。千年の命を。

(注)みつぼ>みなわ【水泡】名詞:水の泡。はかないものをたとえていう。 ※「水(み)な泡(あわ)」の変化した語。「な」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

 

 

 家持は、天平勝宝三年(751年)に少納言に任ぜられ越中生活に終わりをつげ都にもどるのである。しかし、大伴家と橘家があがめる聖武天皇は病気がちで、力を持たれなくなっていた。さらに橘諸兄藤原仲麻呂の巧みな謀略により、政治的には影を潜めていくのである。

光明皇太后孝謙天皇藤原仲麻呂の勢力の台頭が著しくなってくるのである。光明皇太后藤原不比等の娘で、孝謙天皇不比等の孫にあたる。仲麻呂不比等の孫である。即ち藤原氏が権力を握って来るのである。

 

 天平勝宝八歳(756年)二月、大伴家がよりどころにしていた左大臣橘諸兄藤原仲麻呂一派に誣告され、自ら官を退くという事態に追い込まれたのである。

さらに同年五月三日、聖武太上天皇崩御されたのである。

その同年五月十日、大伴一族の長老格の大伴古慈悲が朝廷を誹謗したかどで捕えられたのである。仲麻呂の讒言によるものであったという。

仲麻呂のあからさまな挑戦である。

驚いた氏の上(かみ)の家持がこの歌を詠み、反仲麻呂に立ち上がらないことの意思表明を行ったのである。しかし、この期に及んでこの歌がどれほどの力をもったのであろうか。また家持も一族にあってどれほどの指導力を有していたのか。

 

大伴一族の大半は、藤原氏の勢力に反発する橘奈良麻呂を中核に、佐伯氏らとともに藤原仲麻呂打倒をはかるも告発や密告により連座した者は根こそぎ葬られたのである。

 

 橘奈良麻呂の変と家持の立ち位置についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1044)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると。「『はじ』は山野に自生する高さ5~10mの雌雄異株の落葉小高木の『山黄櫨(ヤマハゼ)』のことで、別名『はにし』と呼ばれる。(中略)『漆(ウルシ)』などと同じ仲間で『ウルシ』・『ハゼ』の呼び名は、紅葉の『美し(ウツクシ)つまり『うるはし』が二つに分かれて『ウルシ』と『ハゼ』になったと言う説もある。実【タネ】を蒸して抽出した汁からロウがとれ『和蝋燭(ワロウソク)』が作られる。油煙も少なく、少しの風では消えにくいので昔から仏壇等のお灯明(トウミョウ)とし使われたが、現在は琉球から伝わった『琉球黄櫨(リュウキュウハゼ)【別名で黄櫨(ハゼノキ)】』が主な材料である。別名『ロウノキ』とも呼ばれ、樹皮は染料にもなる。』と書かれている。

 

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紅葉したヤマハゼ(広島大学デジタル博物館HPより引用させていただきました。)

 

 

 「はじ弓」の他に、万葉集には、「真弓」、「梓弓」が登場する。

 

 「真弓」を詠った歌をみてみよう。

 

◆葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼

               (作者未詳 巻十一 二六三九)

 

≪書き下し≫葛城(かづらき)の襲津彦(そつびこ)真弓(まゆみ)新木(あらき)にも頼めや君が我(わ)が名告(の)りけむ

 

(訳)葛城(かつらぎ)の襲津彦(そつびこ)の持ち弓、その材の新木さながらにこの私を信じ切ってくださった上で、あなたは私の名を他人(ひと)にあかされたのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)葛城襲津彦:4世紀後半ごろの豪族。大和の人。武内宿禰(たけのうちのすくね)の子。大和朝廷に仕え、その娘、磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后とされる。(コトバンク デジタル大辞泉)葛城氏の祖とされる。

(注)けむ 助動詞《接続》活用語の連用形に付く。〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。 ▽上に疑問を表す語を伴う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を439」」で紹介している。

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 「梓弓」に歌もみてみよう。

 

◆梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋

                                  (作者未詳 巻十一 二六三八)

 

≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のはら野(の)に鳥猟(とがり)する君が弓絃(ゆづる)の絶えむと思へや

 

(訳)末の原野で鷹狩をする我が君の弓の弦が切れることなどないように、二人の仲が切れようなどとはとても思えない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上四句は序。「絶えむと思へや」に譬喩。

(注)末(すゑ):和泉(大阪府南部)の陶邑か。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1040)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「広島大学デジタル博物館HP」