万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1134)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(94)―万葉集 巻十一 二六五六

●歌は、「天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(94)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(94)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆天飛也 軽乃社之 斎槻 幾世及将有 隠嬬其毛

                                     (作者未詳 十一 二六五六)

 

≪書き下し≫天(あま)飛(と)ぶや 軽(かる)の社(やしろ)の斎(いは)ひ槻(つき)幾代(いくよ)まであらむ隠(こも)り妻(づま)ぞも

 

(訳)天飛ぶ雁というわけではないが、軽の社の槻の木、その神木がいつの世までもあるように、あなたはいつまでも忍び妻のままでいるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

(注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。 ※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(学研)

(注)ぞも 分類連語:〔疑問表現を伴って〕…であるのかな。▽詠嘆を込めて疑問の気持ちを強調する意を表す。 ※上代は「そも」とも。 ⇒なりたち 係助詞「ぞ」+終助詞「も」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その136改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 巻十一の二六五六から二六六三歌の歌群は、部立「寄物陳思」の神祇に関する歌が収録されている。

(注)じんぎ【神祇】:天の神と地の神。天神地祇。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 言いたいのは、「幾代まであらむ隠り妻ぞも」であり、「軽の社の斎ひ槻」は譬喩的に使われている。隠り妻のことをこのように詠うのは、罰当たりな事か、いや、早く正式に結ばれたいとする思いを逆説的に述べた歌なのだろう。おおらかな万葉びとの思いが伝わって来る。

 

 どのような歌が収録されているかを見るべく他の七首をみてみよう。

 

 

◆神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物

                  (作者未詳 巻十一 二六五七)

 

≪書き下し>神(かむ)なびにひもろき立てて斎(いは)へども人の心はまもりあへぬもの

 

(訳)神域にひもろきを立てて、どんなに慎んでお祭りしてみたところで、人の心というものは守りきれないものだ。(同上)

(注)かむなび【神奈備】名詞:神が天から降りて来てよりつく場所。山や森など。「かみなび」「かんなび」とも。(学研)

(注)ひもろき【神籬】名詞:祭りのとき、神の宿る所として立てる、神聖な木。上代には、神霊が宿るとされた老木・森などの周囲に常磐木(ときわぎ)を植え、玉垣をめぐらし、その地を神座とした。のちには、庭上・室内には四方に小柱を立て、しめ縄をめぐらし、中央に榊(さかき)を立てるようにした。 ※古くは「ひぼろぎ」。後世は「ひもろぎ」とも。

学研)

 

 神に対するご都合主義的な考えは、今も昔も変わらない。

 

 

◆天雲之 八重雲隠 鳴神之 音耳尓八方 聞度南

                  (作者未詳 巻十一 二六五八)

≪書き下し≫天雲(あまくも)の八重(やへ)雲隠(くもがく)り鳴る神(かみ)の音(おと)のみにやも聞きわたりなむ

 

(訳)天雲の八重雲の奥に隠れて鳴り響く雷のように、あの方の噂を耳にするだけで過ごしてゆかねばならないのか。(同上)

(注)なるかみの【鳴る神の】分類枕詞:「雷の」の意から、「音(おと)」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。「音のみに聞く」を起こす。

(注の注)おとにきく【音に聞く】分類連語:①うわさに聞く。②有名だ。評判が高い。(学研)

(注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。 ⇒語法 「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考 「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち 係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)

(注)ききわたる【聞き渡る】他動詞:長い間聞き続ける。いつも聞く。(学研)

 

 

◆争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓

                  (作者未詳 巻十一 二六五九)

 

≪書き下し≫争(あらそ)へば神も憎(にく)ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに

 

(訳)人の噂にむきに逆らったりすれば神さまもお嫌いになる。まあいいわ、世間で私といい仲だと言い寄せられているあの方を好ましくないと思っているわけではないから。(同上)

(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち 副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)

(注)よそふる君が憎くあらなくに:世間が関係づけている君がいやなわけではないのだから。

 

 人の噂に上らないように慎重に行動する歌が多いが、これは逆に人の噂の呪力を自分サイドに取り込んで結ばれたいとする歌である。心理作戦に長けた歌である。

 

 

◆夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無

                  (作者未詳 巻十一 二六六〇)

 

≪書き下し≫夜(よ)並(なら)べて君を来(き)ませとちはやぶる神の社(やしろ)を祷(の)まぬ日はなし

 

(訳)毎晩続けて、あなた、どうかいらしてと、霊験あらたかな神の社に祈らぬ日など一日もありません。(同上)

(注)なぶ【並ぶ】他動詞:並べる。(学研)

(注)ちはやぶる【千早振る】分類枕詞:①荒々しい「氏(うぢ)」ということから、地名「宇治(うぢ)」にかかる。「ちはやぶる宇治の」。

②荒々しい神ということから、「神」および「神」を含む語、「神」の名、「神社」の名などにかかる(学研)

 

 文字通り神頼みの歌である。

 

 

◆霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 恡無

                  (作者未詳 巻十一 二六六一)

 

≪書き下し≫霊(たま)ぢはふ神も我(わ)れをば打棄(うつ)てこそしゑや命(いのち)の惜(を)しけくもなし

 

(訳)霊験あらたかな神様も、今はもうこの私を見捨てて下さいまし。ええもこんな命なんか惜しくはありません。(同上)

(注)たまぢはふ【霊幸ふ】[動ハ四]霊力をふるって加護する。 [補説] 一説に「神」にかかる枕詞とする。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)こそ 終助詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)

(注)しゑや 感動詞:えい、ままよ。▽物事を思い切るときに発する語。(学研)

(注)をしけく【惜しけく】:惜しいこと。 ※派生語。 ⇒なりたち 形容詞「をし」の上代の未然形+接尾語「く」(学研)

 

 思いを成就させたいと願うもなかなかかなわない、ついには神と取引をしてまでもという執念の歌である。しかしすがるのは神である。歌により、気持ちが相手に通じれ良いのにと願ってしまう。

 

 

◆吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無

                  (作者未詳 巻十一 二六六二)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)にまたも逢(あ)はむとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし

 

(訳)いとしいあの子にもう一度逢わせて下さいと、霊験あらたかな神の社に祈らぬ日など一日もない。(同上)

 

二六六〇歌の類歌である。これも文字通り神頼み。

 

 

◆千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無

                 (作者未詳 巻十一 二六六三)

 

≪書き下し≫ちはやぶる神の斎垣(いかき)も越えぬべし今は我が名(な)の惜しけくもなし

 

(訳)霊験あらたかな神の社の玉垣さえも、越えてしまいそうだ。今となってはもう、私の名前なんかちっとも惜しくはない。(同上)

(注)いがき【斎垣】名詞:(みだりに人の入ることを許さない)神社のまわりの垣。玉垣。瑞垣(みずがき)。「いかき」とも。 ※「い」は神聖の意を表す接頭語。(学研)

(注)べし 助動詞 《接続》(1)活用語の終止形に付く。ただしラ変型活用の語には連体形に付く。(2)上一段活用の語には、「見べし」のように、イ段の音で終わる語形(未然形または連用形)に付くことがある。:①〔推量〕…にちがいない。きっと…だろう。(当然)…しそうだ。▽確信をもって推量する意を表す。②〔意志〕(必ず)…しよう。…するつもりだ。…してやろう。▽強い意志を表す。③〔可能〕…できる。…できそうだ。…できるはずだ。④〔適当・勧誘〕…(する)のがよい。…(する)のが適当である。…(する)のがふさわしい。▽そうするのがいちばんよいという意を表す。⑤〔当然・義務・予定〕…するはずだ。当然…すべきだ。…しなければならない。…することになっている。▽必然的にそうでなければならないという意を表す。⑥〔命令〕…せよ。(学研)ここでは①の意

 

 「ちはやぶる神の斎垣(いかき)も越えぬべし」とまで強く心に思うほど、道ならぬ恋なのであろう。

 

 これらの歌を詠むと、何時の世も、という思いで万葉びとに親近感を覚える。それだけ万葉集の懐は深いのだろう。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると。「萬葉名『つき』・現代名『ケヤキ』」について「『ケヤキ』は高さが30メートルを超え、太さが直系2メートルにもなる落葉高木である。『つき』はケヤキの古名で『強い木』の意味で、ケヤキは『勝(スグ)れている』と言う意味の『ケヤケシ』から生まれた名前である。(中略)美しく、固く、古代には『槻弓(ツキユミ)』も作られた。」と書かれている。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉