万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1142)ー奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(102)―万葉集 巻十六 三八二九

●歌は、「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ我にな見えそ水葱の羹は」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(102)万葉歌碑<プレート>(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(102)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物

             (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)

 ※▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」

 

≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は

 

(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>の中の一首で、題詞は、「詠酢醤蒜鯛水葱歌」<酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1116)」でもう一つの植物「水葱(なぎ)」や」「酢醤(ひしおす)」とともに紹介している。

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「蒜」が詠われているのは、万葉集では、この一首のみである。

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「『ひる』は『忍辱(ニンニク)【葫】』・『野蒜

ノビル)』・『根葱(ネギ)【葱】』などの山野に自生する多年草の総称で、名の由来は、生のまま噛んで食べるとヒリヒリと辛味が強く、口を刺激することが語源となったという。『野蒜(ノビル)』は春に、道端や田のへり、野原などで細い茎や葉をくねらせて群生する。(中略)禅寺の『葷酒(クンシュ)山門に入るを許さず』の『葷(クン)』とは、口に辛く、臭みの強い草のことで、又、酒は文字通り『サケ』のことで修行僧の心を乱すものとされたのである。」のと書かれている。(解説文は、残念ながら写真が不鮮明なため解読しづらい所がありますが、転記ミスがありましたらご容赦下さい。)

 

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「ひる」(ノビル) (weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。)

 

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「ひる」(ノビル) (weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。)

 

 

 

 「鯛」を詠んだ歌は、万葉集ではもう一首収録されている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「詠水江浦嶋子一首 幷短歌」<水江みづのえ)の浦(うら)の島子(しまこ)を詠む一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)水江の浦の島子:摂津(大阪)の住吉の人か。

 

◆春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 ▼袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

  ▼は「口偏にリ」=「叫(さけ)ぶ」

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七四〇)

 

≪書き下し≫春の日の 霞(かす)める時に 住吉(すみのへ)の 岸に出で居(い)て 釣船‘つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江(みづのへ)の 浦(うら)の島子(しまこ)の 鰹(かつを)釣り 鯛(たひ)釣りほこり 七日(なぬか)まで 家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕(こ)ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向(むか)ひ 相(あひ)とぶらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神(かみ)の宮(みや)の 内のへの 妙(たへ)なる殿(との)に たづさはり ふたり入り居(ゐ)て 老(おひ)もせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間(よのなか)の 愚(おろ)か人ひと)の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母(ちちはは)に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 我(わ)れは来(き)なむと 言ひければ 妹(いも)が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢(あ)はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅(かた)めし言(こと)を 住吉(すみのへ)に 帰り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あらしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間(あひだ)に 垣もなく 家失(う)せめやと この箱を 開(ひら)きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉(たま)櫛笥(くしげ) 少(すこ)し開くに 白雲(しらくも)の 箱より出(い)でて 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失(けう)せぬ 若ありし 肌(はだ)も皺(しわ)みぬ 黒くありし 髪(かみ)も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後(のち)つひに 命(いのち)死にける 水江(みづのへ)の 浦(うら)の島子(しまこ)が 家ところ見ゆ

 

(訳)春の日の霞んでいる時などに、住吉の崖(がけ)に佇(たたず)んで沖行く釣り舟が波に揺れているさまを見ていると、過ぎ去った遠い世の事どもがひとしお偲(しの)ばれるのであります。あの水江の浦の島子が、鰹を釣り鯛を釣って夢中になり、七日経っても家にも帰らず、はるか彼方(かなた)わたつみの国との境までも越えて漕いで行って、わたつみの神のお姫様にひっこり行き逢い、言葉を掛け合っい話がきまったので、行末を契って常世の国に至り着き、わたつみの宮殿の奥の奥にある神々しい御殿に、手を取り合って二人きりで入ったまま、年取ることも死ぬこともなくいついつまでも生きていられたというのに、この世の愚か人島子がいとしい人にうち明けたのであった。「ほんのしばらく家に帰って父さんや母さんに事情を話し、明日にでも私は帰って来たい」と。こううち明けると、いとしい人が言うには、「ここ常世の国にまた帰って来て、今のように過ごそうと思うのでしたら、この櫛笥、これを開けないで下さい。けっして」と。ああ、そんなにも堅く堅く約束したことであったのに、島子は住吉に帰って来て、家を探しても家も見つからず、里を探しても里も見当たらないので、これはおかしい、変だと思い、そこで思案を重ねたあげく、「家を出てからたった三年の間に、垣根ばかりか家までもが消え失せるなんていうことがあるものか」と、「この箱を開けて見たならば、きっと元どおりの家が現われるにちがいない」と。そこで櫛笥をおそるおそる開けたとたんに、白い雲が箱からむくむくと立ち昇って常世の国の方へたなびいて行ったので、飛び上がりわめき散らして袖を振り、ころげ廻(まわ)って地団駄を踏み続けてうちに、にわかに気を失ってしまった。若々しかった肌も皺だらけになってしまった。黒かった髪もまっ白になってしまった。そしてそのあとは息も絶え絶えとなり、あげくの果てには死んでしまったという、その水江の浦の島子の家のあった跡がここに見えるのであります。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とをらふ【撓らふ】自動詞:揺れ動く。(学研)

(注)ほこる【誇る】自動詞:得意げにする。自慢する。(学研)

(注)七日まで:日数の多いことをいう。

(注)うなさか【海境・海界】名詞:海上遠くにあるとされる海神の国と地上の人の国との境界。海の果て。(学研)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考 「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(学研)

(注)たまさかなり【偶なり】形容動詞:①偶然だ。たまたまだ。②まれだ。ときたまだ。③〔連用形を仮定条件を表す句の中に用いて〕万一。(学研)ここでは①の意

(注)とぶらふ【訪ふ】他動詞:①尋ねる。問う。②訪れる。訪ねる。訪問する。③慰問する。見舞う。④探し求める。⑤追善供養する。冥福(めいふく)を祈る。◇「弔ふ」とも書く。(学研)ここでは①の意

(注)いひなる【言ひ成る】:話のゆきがかりで言ってしまう。話のなりゆきで、そうなる。(学研)

(注)とこよ【常世】名詞:①永久不変。永遠。永久に変わらないこと。②「常世の国」の略。(学研)ここでは②の意→不老不死の国。ここは海神の国

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)ここでは①の意

(注)せけん【世間】名詞:①俗世。俗人。生き物の住むところ。◇仏教語。②世の中。この世。世の中の人々。③あたり一面。外界。④暮らし向き。財産。(学研)ここでは①の意。

(注の注)世間の愚か人の:(作者の批判のことば)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)明日のごと:明日にでも。

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(学研)

(注)そこらくに 副詞:あれほど。十分に。たくさんに。しっかりと。(学研)

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】自動詞:ころげ回る。身もだえてころがる。(学研)

 

反歌もみてみよう。

常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曽也是君

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七四一)

 

≪書き下し≫常世辺(とこよへ)に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)汝(な)が心からおそやこの君

 

(訳)常世の国にいついつまでも住める身の上であったのに、自分自身の浅はかさからそんなことになって、何とまあ愚か者であることか、この浦の島子の君は。(同上)

(注)つるぎたち【剣太刀】分類枕詞:①刀剣は身に帯びることから「身にそふ」にかかる。②刀剣の刃を古くは「な」といったことから「名」「汝(な)」にかかる。③刀剣は研ぐことから「とぐ」にかかる。(学研)

(注)おそや:何と愚かなことか。

 

 高橋虫麻呂についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1137)」でも触れていた。

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tom101010.hatenablog.com

 

 高橋虫麻呂がこの浦島伝説をどう受け取ったかについて、中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)のなかで、「玉篋(たまくしげ)を開いてしまって常世に帰れなくなったしまった浦島に対して『常世に住んでればよかったのに。自分の気持ちからこうなってしまった』浦島よ『何と間抜けなことだ』というのである。これはとりもなおさず虫麻呂自身の願いであり自嘲(じちょう)であっただろう。『常世辺に住むべきものを』、虫麻呂はそう願っていた。彼における伝説とは、そうした現実と対置した非現実だったと思われる。」と書いておられる。

 

 伝説などは、民間ベースの、地域性をもった「口誦」の世界に属している。これらが万葉集にあって「伝説歌」として地方から中央に伝わり、歌として記録されているということは、これらのジャンルにおいても万葉集の果たす役割は相当なものであるといえよう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉」」

★「weblio辞書 植物図鑑」