万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1145)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(105)―万葉集 巻十四 三四二四

●歌は、「下つ毛野三毳の山のこ楢のすまぐはし子ろは誰か笥か持たむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(105)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(105)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟

               (作者未詳 巻十四 三四二四)

 

≪書き下し≫下(しも)つ毛(け)野(の)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のすまぐはし子ろは誰(た)か笥(け)か持たむ

 

(訳)下野の三毳の山に生(お)い立つ小楢の木、そのみずみずしい若葉のように、目にもさわやかなあの子は、いったい誰のお椀(わん)を世話することになるのかなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)下野:栃木県

(注)三毳の山:佐野市東方の山。大田和山ともいう。

(注)す+形容詞:( 接頭 ) 形容詞などに付いて、普通の程度を超えている意を添える。 「 -早い」 「 -ばしこい」(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)まぐわし -ぐはし【目細し】:見た目に美しい。(同上)

(注)け【笥】名詞:容器。入れ物。特に、食器。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 左注は、「右二首下野國歌」<右の二首は下野の国の歌>とある。

 

 この歌ならびにもう一首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その215改)で紹介している。

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 植物解説板はなく、歌碑(プレート)に、「こなら(万葉名)」、「コナラ(現代名)」と記されているだけである。

 

 

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コナラ (三鷹市HPより引用させていただきました。)

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コナラのドングリ (三鷹市HPより引用させていただきました。)



 歌にある「笥(け)」は、食器のことであり、「笥を持つ」とは、家事をすることを意味している。「誰(た)か笥(け)か持たむ」は誰のところの家事をするのだろう、すなわち、誰に嫁ぐのだろうと、気にしつつ、すこしやっかみをもった歌である。

 

 「笥」を詠んだ歌といえば、有間皇子の次の歌が浮かんでくる。歌をみてみよう。

 

◆家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛

               (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家(いへ)なれば笥(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎の葉に盛って神祭りをする。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)旅:「家」と「旅」との対比は、行路を嘆く歌の型。

 

 有間皇子の「自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首」(一四一、一四二歌)ならびに「長忌寸意吉麻呂、結び松を見て哀咽(かな)しぶ歌二首」(一四三、一四四歌)、「山上臣憶良が追和(ついわ)の歌一首」(一四五歌)、「大宝元年辛丑(かのとうし)に、紀伊の国に幸(いでま)す時に、結び松を見る歌一首 柿本朝臣人麻呂が歌集の中に出づ」(一四六歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その478)」で紹介している。

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 「笥(け)」は、やきものの茶碗のようなものと考えてよいだろう。ただ、この時代は今でいう、陶器や磁器はまだ生産されていなかったので、多分須恵器であろう。

 有間皇子の「笥(け)」については、「家なれば笥に盛る飯」とあることから、神へのお供えに使っていたとすると、灰黒色の須恵器でなく、弥生式土器の流れをくむ土師器(はじのうつわ)であったと考えられる。いまでも神社などで使われている素焼きの「かわらけ」のようなものであろう。

 

 

 やきものに関連する語句が詠まれている万葉集の歌を幾つかみてみよう。

 

■■豆器■■

 まず、取り上げたいのは、「豆器(とうき)」である。この「豆」という字は、足付器の象形文字で、「豆器」は、ここは高坏の類をいうのである。須恵器であるが、後の時代に作られる「陶器(とうき)」と同じ読みをするのがおもしろい。

 

四〇八六から四〇八八歌の 題詞は、「同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首」<同じき月の九日に、諸僚、少目(せうさくわん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいはたけ)が館(たち)に会(あ)ひて飲宴(うたげ)す。時に、主人(あるじ)、白合(ゆり)の花縵(はなかづら)三枚を造りて、豆器(とうき)に畳(かさ)ね置き、賓客(ひんきゃく)に捧げ贈る。おのもおのもこの縵を賦(ふ)して作る三首>である。

(注)豆器:「豆」は足付食器の象形文字。ここは高坏の類。

 

 題詞ならびに四〇八六から四〇八八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。

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■■高坏■■

 「高坏」という言葉は、三八八〇歌に見られる。みてみよう。

 

◆・・・辛塩(からしほ)に こごと揉(も)み 高坏(たかつき)に盛り 机に立てて・・・

                   (作者未詳 巻十六 三八八〇)

 

(訳)・・・辛塩でごしごし揉んで、足付き皿に盛り上げて、机のうえにきちんと立てて・・・(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こごと:ごしごしと

(注の注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

 

 

■■土師■■

 次は、巻十六の「嗤(わら)ふ歌」の一首である。

 

◆造駒 土師乃志婢麻呂 白久有者 諾欲将有 其黒色乎

                 (巨勢朝臣豊人 巻十六 三八四五)

 

≪書き下し≫駒(こま)造(つく)る土師(はじ)の志婢麻呂(しびまろ)白くあればうべ欲(ほ)しくあらむその黒き色を

 

(訳)土駒造る土師(はじ)の志婢麻呂、このやっこさんは青(あお)っ白(ちろ)いもんだから、なるほどほしいんだろうよ、あのまっ黒い色がさ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)駒造る:「土師」の枕詞。「駒」は、ここは埴輪の馬をいう。

(注)はじ【土師】名詞:奈良時代以前の氏族の名の一つ。「土師部(はじべ)」を率いて埴輪(はにわ)や土器(=土師器(はじき))の製作などをつかさどった「伴造(とものみやつこ)」。 ※「はにし(土師)」の変化した語。(学研)

(注)土師の志婢麻呂:左注に「大舎人(おほとねり)、土師宿禰水通(はにしのすくねみみち)といふものあり。字(あざな)は、志婢麻呂(しびまろ)といふ」とあり、大伴旅人の宅(いへ)で開かれた「梅花の宴」に参列し八四三歌を詠っている。

 

梅の花折ろかざしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思ふ

                 (土師氏御道 巻五 八四三)

(注)土師氏御道:はにしうぢのみみち

 

■■酒坏■■

 「梅花の宴」には、もう一首八四〇歌に「酒坏(さかづき)」が詠まれている。

 

◆春柳(はるやなぎ)かづらに折りし梅の花誰(た)れか浮かべし酒坏(さかづき)の上(へ)に

                 (壱岐目村氏彼方 巻五 八四〇)

(注)壱岐目村氏彼方:いきのさくわんそんじのをちかた

 

 八四〇、八四三歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その5)」で紹介している。

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 旅人の妹、大伴坂上郎女も「酒坏(さかづき)」を詠っている。歌をみてみよう。

 

◆酒坏(さかづき)に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後(のち)は散りぬともよし

                  (大伴坂上郎女 巻八 一五六五)

 

(訳)盃(さかずき)に梅の花を浮かべて、気心合った者同士で飲み合ったあとならば、梅など散ってしまってもかまわない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)どち 名詞:仲間(なかま)。連れ。(学研)

 

■■一坏・酒壺■■

 大伴旅人の三三八から三五〇歌の「讃酒歌」には、「一坏(ひとつき)」(三三八、三四五歌)、「酒壺(さかつぼ)」(三四三歌)が見られる。

(注)つき【坏・杯】名詞:飲食物を盛る深みのある器。古くは土器、のち、木・金属などでも作った。(学研)

 

 讃酒歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その898-1、898-2)」で紹介している。

 三三八から三四四歌

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 三四五から三五〇歌

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 この時代は、多分集団飲酒の時代であったと考えられるので、「坏」は須恵器の深みのある大きめの器であったとも考えられる。「はい」というと「杯」ないしは「盃」が一般的であるが、これらは、漆塗りであり後の時代のものである。漆塗りのものは素材が木であるから「木へん」になっている。

万葉仮名で使われている「坏」では「土へん」が使われており、素材は土からできたやきものであると考えられる。

 「盃」は土師器の「かわらけ」の大きめの皿のようなものが源流にあり、素焼きであるので、他の食物を盛り付けた後で酒を飲んだら前の食べ物の匂いなどが移り酒がまずくなるので「この皿は皿に非ず、お酒専用」といった意味から作られた俗字である。漢字ではない。

 

■■陶人・瓶■■

 「陶人(すゑひと)の作れる瓶(かめ)」が三八八六歌に見られる。

 

◆・・・初垂(はつたり)を からく垂(た)れ来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日(けふ)行きて 明日(あす)取り持ち来(き)・・・

                  (乞食者が詠う歌 巻十六 三八八六)

 

(訳)・・・塩の初垂り、その辛い辛いやつを溜めて来て、陶部(すえべ)の人が焼いた瓶を、今日一走(ひとつばし)りして明日には早くも持ち帰り・・・(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)陶人:堺市南部にいた須恵器の工人

(注の注)陶荒田神社は、堺市和泉市大阪狭山市にまたがる丘陵地帯にあった陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)と呼ばれる地域の東北端に位置している。陶邑窯跡郡では古墳時代から平安時代までの須恵器などが焼成された。国内最古・最大規模の窯跡群で、「陶邑」の名は『日本書紀』にも見られる。

 

 陶荒田神社についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1040)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「日本陶器の鑑定と観賞」 常石英明 著 (金園社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「三鷹市HP」