万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1149)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(109)―万葉集 巻三 三二二

●歌は、「・・・み湯の上の木群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり鳴く鳥の声も変らず・・・」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(109)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(109)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 敲思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸

               (山部赤人 巻三 三二二)

 

≪書き下し≫すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山(しまやま)の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予の高嶺(たかね)の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌(うた)思ひ 辞(こと)思ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ

 

(訳)代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉(ゆ)はたくさんあるけれども中でも島も山も足り整った国と聞こえる、いかめしくも険しい伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭(いざにわ)に立たれて、歌の想いを練り詞(ことば)を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も次々と生い茂っている。鳴く鳥の声もずっと盛んである。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸(いでまし)の跡所(あとどころ)は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」

(注)ことごと【尽・悉】副詞:①すべて。全部。残らず。②まったく。完全に。(学研) ここでは①の意

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)射狭庭の岡:温泉の裏にある岡の名

 

 題詞は、「山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首幷短歌」<山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)伊予の温泉:愛媛県松山市道後温泉

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その700)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『臣の木(オミノキ)』は永遠を象徴する木とされる『モミ』のことで、世界に約50種ある常緑針葉樹である。深い緑色の細長い扁平の葉が密に互生し、幼い内は樹高が低く周囲の他の樹木の木漏れ日の中で育つが、成木になると直立する幹は50m以上にも達する。(中略)寒さには極めて強く、冬の木枯らしにも緑の葉を絶やさないことから希望と堅実さを与えてくれる木ともされ、現在ではクリスマス・ツリーに用いられる。」と書かれている。

 

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「モミの木」 生薬ものしり事典99「クリスマスツリーに使われる神聖なモミの木」から引用させていただきました。(YomeisyuHP)

 

 山部赤人の歌については、これまでも何度か紹介してきた。

今回は、山部赤人の歌を全てながめ、歌人として万葉集にどのように位置づけられているかに迫ってみよう。

 題詞と歌番号をみていこう。

 

■山部宿禰赤人、富士ふじ)の山(やま)を望(み)る歌一首 幷(あは)せて短歌

                    巻三 三一七、三一八

■山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首 幷せて短歌 

                    巻三 三二二、三二三

■神岳(かみをか)に登りて、山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌

                    巻三 三二四、三二五

■山部宿禰赤人が歌六

                    巻三 三五七~三六二

■山部宿禰赤人、春日野(かすがの)に登りて作る歌一首 併せて短歌

                    巻三 三七二、三七三

■山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池(しま)を詠む歌一首

                    巻三 三七八

■山部宿禰赤人が歌一首

                    巻三 三八四

■勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままのをとめ)が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌<東の俗語には「かづしかのままのてご」といふ>

                    巻三 四三一~四三三

神亀(じんき)元年甲子(きのえね)の冬の十月五日に、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌

                    巻六 九一七~九一九

■山部宿禰赤人が作る歌二首 併せて短歌

                    巻六 九二三~九二五

                    巻六 九二六~九二七

■山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌

                    巻六 九三三~九三四

■山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌

                    巻六 九三八~九四一

■唐荷(からに)の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌

                    巻六 九四二~九四五

■敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌

                    巻六 九四六、九四七

■<春の三月に、難波の宮に幸(いでま)す時の歌六首>

                    巻六 一〇〇一

  左注に「右の一首は山部宿禰赤人が作」

■八年丙子(ひのえね)の夏の六月に、吉野の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時に、山部宿禰赤人、詔(みことのり)に応(こた)へて作る歌一首 併せて短歌

                    巻六 一〇〇五、一〇〇六

■山部宿禰赤人が歌四首

                    巻八 一四二四~一四二七

■山部宿禰赤人が歌一首

                    巻八 一四三一

■山部宿禰赤人が歌一首

                    巻八 一四七一

■山部宿禰赤人、春鶯(しゆなう)を詠む歌一首

                    巻十七 三九一五

 

 山部赤人は、万葉第三期の宮廷歌人である。

 上記の九一七歌(紀伊)、九二三歌(吉野)、九二六歌(吉野)、九三八歌(印南野)、一〇〇五歌(吉野)の詠い出しは「やすみしし我(わ)ご大君(おほきみ)」とあるが、歌の内容そのものはその地を讃美し、そのことで間接的に天皇を讃えているのである。

 歌碑の三二二歌も、「すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども」と詠い出し、伊予の情景を讃美し、「遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ」と間接的に讃えているのである。

 

 九二三から九二七歌について、また赤人の吉野の自然を目の当たりにし美の創作にかられた情景歌人たるところについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125改)で紹介している。

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 明日香の古き都(三二四歌)についても、「みもろの 神(かむ)なび山に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生ひたる 栂の木の」と連綿と続いた明日香の情景を詠い、「見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ いにしへ思へば」と明日香への慕情を詠っているのである。

 柿本人麻呂の「近江荒都の歌」の三〇歌と比べてみると、「ひじりの御世ゆ生れましし 神のことごと」「天の下 知らしめししを 大和を置きて」と、神としてこの世に姿を現され神武天皇以降統治されて大和を打ち捨てて、近江の国の大津の宮を治めるというまさに神のなせる業と畏怖していた人麻呂の目の前の現実は、「春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる 大宮」であり、その廃墟を「見れば悲しも」と廃墟に重なる人麻呂自身の空虚感を歌い上げている。

ある意味時間軸で、展開してきた絶対的なものが途切れ、その座標軸の空間軸に広がる廃墟という現実、そしてそのことが現実なのに信じられないというギャップのとてつもない大きさを読むほどに感じさせるのである。

 

 赤人の「神岳(かみをか)に登りて、作る歌一」については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その170)」で紹介している。

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人麻呂の「近江荒都の歌」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1141)」で紹介している。

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 難波の宮(九三三歌)の場合は情景とは異なるが、「天地の 遠きがごとく 日月(ひつき)の 長きがごとく」と詠い出し、淡路の野島(のしま)の海人(あま)の奉仕を通して天皇を讃えているのである。

 

 山部赤人は、情景歌人と言われるが、その代表例は何といっても「富士(ふじ)の山(やま)を望(み)る歌」(三一七、三一八歌)であろう。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(416)」で紹介している。

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 中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「情景の美しさは富士を詠んだ歌(巻三 三一七・三一八)でも真間(まま)の手児名(てこな)を詠んだ歌(巻三 四三一~四三三)でも同じである。」と書かれている。こちらの歌もみてみよう。

題詞は、「過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌  東俗語云可豆思賀能麻末能弖胡」<勝鹿(かつしかの)真間(まま)の娘子(をとめ)が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷(あは)せて短歌  東の俗語には「かづしかのままのてご」といふ >である。

 

◆古昔 有家武人之 倭文幡乃 帶解替而 廬屋立 妻問為家武 勝壮鹿乃 真間之手兒名之 奥槨乎 此間登波聞杼 真木葉哉 茂有良武 松之根也 遠久寸 言耳毛 名耳母吾者 不可忘

                   (山部赤人 巻三 四三一)

 

≪書き下し≫いにしへに ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯解き交(か)へて 伏屋(ふせや)立て 妻(つま)どひしけむ 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てごな)が 奥(おく)つ城(き)を こことは聞けど 真木(まき)の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみも我(われ)は 忘らゆましじ

 

(訳)ずっとずっと以前、このあたりにいたという男が、倭文織(しずお)りの帯を解きあって、寝屋を設けて共寝をしたという、葛飾(かつしか)の真間の手児名の墓どころ、その墓どころはここだとは聞くけれど、真木の葉が茂っているからであろうか、松の根が伸び年古(ふ)りたからであろうか、その墓の跡はわからないが、昔の話だけでも、手児名の名だけでも、私は、忘れることができない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しづはた【倭文機】名詞:「倭文(しづ)」を織る織機。またそれで織った「倭文」。※上代は「しつはた」。(学研)

(注の注)しづ【倭文】名詞:日本固有の織物の一種。梶(かじ)や麻などから作った横糸を青・赤などに染めて、乱れ模様に織ったもの。倭文織。 ※唐から伝来した綾(あや)に対して、日本(=倭)固有の織物の意。上代は「しつ」。(学研)

 

反歌もみてみよう。

 

◆吾毛見都 人尓毛将告 勝壮鹿之 間ゝ能手兒名之 奥津城處

                   (山部赤人 巻三 四三二)

 

≪書き下し≫我(わ)れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥(おく)つ城(き)ところ

 

(訳)私もこの目でたしかに見た。人にもここだと語って聞かせよう。葛飾の真間の手児奈のこの墓どころを。(同上)

 

 

◆勝壮鹿乃 真ゝ乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念

                  (山部赤人 巻三 四三三)

 

≪書き下し≫勝鹿の真間の入江(いりえ)にうち靡(なび)く玉藻(たまも)刈りけむ手児名し思ほゆ

 

(訳)昔、この葛飾の真間の入江で、波に靡く美しい藻を刈ったという手児奈のことが、はるかに偲(しの)ばれる。(同上)

 

明日香の古き都(三二四歌)の歌について、中西 進氏は、同著の中で、「いわばそのものの宿す空虚さといってよかろう。自然はいかにも都にふさわしいのに、そこには都だけが存在しない。ぽかんと穴のあいた自然。」と書かれているが、この手児奈伝説の歌も、美しい自然のなかに現実的に存在する空虚さを詠ったものであろう。

 

 「山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌(巻六 九三八~九四一)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その628)」で紹介している。

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「唐荷(からに)の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 併せて短歌(巻六 九四二~九四五)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その687)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「生薬ものしり事典99」 (YomeisyuHP)