万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1151)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(111)―万葉集 巻十 二二七〇

●歌は、「道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(111)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(111)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念

              (作者未詳 巻十 二二七〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の尾花(をばな)が下(した)の思(おも)ひ草(ぐさ)今さらさらに何をか思はむ

 

(訳)道のほとりに茂る尾花の下蔭の思い草、その草のように、今さらうちしおれて何を一人思いわずらったりするものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

(注)思ひ草:一年生寄生植物。ススキ、チガヤ、サトウキビなどに寄生し、その根元にひっそりと花を咲かせる。

 

「思ひ草」を詠んだ歌は、万葉集ではこの1首だけである。

 

 植物解説板はなく、歌碑(プレート)に、「おもひぐさ」とあり、現代名「ナンバンキセル」と書かれているだけである。

 ナンバンキセル万葉集に詠まれている「おもひぐさ」であるかどうかは、古来から意見が分かれているようである。

 

ナンバンギセル」について、次の通り、「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)に書かれているので引用させていただく。

ナンバンギセルは、古くは『万葉集』にも登場する一年草の寄生植物です。日本の野外では主にススキに寄生しますが、ほかのイネ科の植物やミョウガギボウシ、ユッカなどにも寄生し、陸稲やサトウキビの栽培地帯では大害草として嫌われます。

草姿は喫煙具のパイプを立てたような形をしています。萼の先端は鋭くとがり、花は長さ2~3cmで赤紫色、先端はあまり開きません。日本に生えるものは茎が赤茶色か、薄黄色の地に赤茶色の細かな縞状の模様が入ります。茎が黄色で真っ白な花が咲く白花や、茎は黄色で花弁の先端部分のみが赤紫色を帯びる口紅咲きもあります。

変種のヒメナンバンギセル(Aeginetia indica var. sekimotoana)はやや小型で花の先端が青紫色を帯びます。北関東だけに分布し、スゲの仲間のクロヒナスゲにのみ寄生します。」

 

以前に、この歌と巡り逢い、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)で、ナンバンギセルの物憂げな佇まいの花の写真を見て、一度は見てみたいと思っていた。これまでも時々、ススキやオギなどの根元を目で追っていた。 

先日インスタグラムに、「平城京歴史公園」発の、「園内の中央区朝堂院南側オギの根元に、ナンバンキセルが咲いている」との投稿があった。

 見に行きたい。しかし、連日の雨である。8月19日も朝から雨であったが、1時間ごとの予報では15時以降に止んでいる時間帯がある。ここぞとばかり車で出かける。平城宮跡資料館駐車場を目指す。残念ながら、コロナ禍であるので駐車場は閉鎖されている。係りの人に聞くと徒歩による入場は可能とのことである。西大寺方面に戻り、駐車場に車を留め、歩いての再挑戦である。資料館から南下し朱雀門方面を目指す。時折、雨が降ってくるが、幸いに大した雨ではなかった。

 途中のススキやカヤなどが群生しているところの根元を丹念に見て行く。しかし見つからない。

 群生している根元から茎と茎との隙間にチョコリンと可憐に花をのぞかせているイメージを描きながら探し回る。大した雨ではないが、雑草は雨に濡れているので、ズボンの裾も靴もびしょ濡れである。

 漸く、朱雀門近くのオギの群生している根元からすこし歩道寄りの平場に数本固まっている花やつぼみを見つける。思っていたイメージよりお大きめの花であった。まさに姿はキセル状。感動のご対面であった、

 

 歌のように、「道の辺」、「尾花が下」(ここではオギであるが)のロケーション、「今さらさらに何をか思はむ」可憐ななかにしっかりとした自己主張。まさに、これぞ「思ひ草」である。何枚か写真に収める。

 

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ナンバンギセル 20210819平城宮跡歴史公園で撮影

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ナンバンギセル(2) 20210819平城宮跡歴史公園で撮影

 昆虫網を持った少年と母親の二人連れと行違う。母親は、このオギの群生しているところなどもツバメのお宿になるんだよ、と子供に説明している。生きた現地教育である。

 ネットで調べると、平城宮跡公園一帯には数万羽のツバメがねぐらを作っているようである。勉強になりました。

 

 ナンバンギセルの花期は8~10月という。機会を見て、花とツバメのねぐら入りを見てみたいものである。

 

 この歌ならびに平城宮跡公園にナンバンキセルを見に行ったことについて、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1140)」でも書いている。重複しますがご容赦願います。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 今日から九月である。秋である。

 この歌に続く二二七一、二二七二歌は、題詞「花に寄す」で、秋の歌である。これもみてみよう。

 

◆草深三 蟋多 鳴屋前 芽子見公者 何時来益牟

                  (作者未詳 巻十 二二七一)

 

≪書き下し≫草深みこほろぎさはに鳴くやどの萩見に君はいつか来まさむ

 

(訳)草深いのでこおろぎがいっぱい鳴いている我が家の庭、この庭の萩を見に、あなたは、いったいいつおいでになるのですか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

 

 

◆秋就者 水草花乃 阿要奴蟹 思跡不知 直尓不相在者

                  (作者未詳 巻十 二二七二)

 

≪書き下し≫秋(あき)づけば水草(みくさ)の花のあえぬがに思へど知らじ直(ただ)に逢はざれば

 

(訳)秋めいてくると水草の花がこぼれ落ちるばかりに咲くように、私は溢(あふ)れるばかりに思っているのに、あなたはご存じありますまい。じかにお逢いしてはいませんから。(同上)

(注)みくさ【水草】名詞:水草(みずくさ)。水辺に生える草。(学研)

(注)上二句は序。「あえぬ」を起こす。

(注)あゆ【落ゆ】自動詞:①(花・実などが)落ちる。②(血・汗などが)したたり流れる。(学研)

(注)ぬがに 分類連語:今にも…てしまいそうに。今にも…てしまうほどに。 ※上代語。 ⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の終止形+接続助詞「がに」(学研)

 

 

 植物に絡んで気持ちを詠いあげる、自然や植物への観察力があってのたまものである。万葉びとの巧みな詠い込みにいつも感心させられるのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)