万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1155)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(115)―万葉集 巻九 一七四二

●歌は、「しなでる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て・・・」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(115)万葉歌碑<プレート>(高橋虫麻呂



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(115)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

                 (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)

 

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1137)」でも紹介している。この時は、植物は「橿」であったが、今回は「やまあゐ」である。なお、「その1137」では、高橋虫麻呂の人となりにも迫るべく全歌を紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『山藍(ヤマアイ)』は山地の木の下などに群生する雌雄異株の多年草で、葉は濃い緑色で一年中あざやかに輝いている。

 早春に緑白色の小さな穂状(ホジョウ)の花を付け、昔はこの草の生の根を搗(つ)いて汁を取り、衣を染めた。白い根は乾燥すると藍色(アイイロ)になり、染める力は弱いが藍染めに使う栽培種の『タデアイ』に対し、山に自生するので『山藍(ヤマアイ)』の名が付いた。(中略)徳島の県花になっている花は『タデアイ』であるが、万葉のころの藍は『山藍(ヤマアイ)』であった。」と書かれている。

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「やまあゐ」 一般社団法人「和ハーブ協会」HPより引用させていただきました。

 

一七四二歌の「山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て」と詠われているように生活に密着した衣の染めに関連した歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その952)」でいくつか紹介している。

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 「紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き」と詠われているが、女性の美しさを強調している歌が多いのである。

「くれないの(赤)裳」は万葉集では六首が詠われている。これをみてみよう。

 

 

題詞は、「後人追和之詩三首 帥老」<後人の追和(ついわ)する歌三首 帥老(そちろう)>で、その内の一首で詠まれている。

 

◆麻都良河波 可波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良武

                  (大伴旅人 巻五 八六一)

 

≪書き下し≫松浦川(まつらがは)川の瀬早み紅(くれない)の裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れて鮎か釣るらむ 

 

(訳)松浦川の川の瀬が早いので、娘子たちは紅の裳裾をあでやかに濡らしながら、今頃、鮎を釣っていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆紅 衣染 雖欲 著丹穗哉 人可知

                  (作者未詳 巻七 一二九七)

 

≪書き下し≫紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき

 

(訳)紅色に衣を染めたいと思うけれども、その着物を着て色が目立ったら、人に気づかれてしまうだろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)紅に衣染めまく欲しけども:求婚を受け入れたいと思うが、の譬喩

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)

(注の注)赤系統の色には「にほふ」がよくつかわれている。

 

 

◆立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎

                   (作者未詳 巻十一 二五五〇)

 

≪書き下し≫立ちて思ひ居(ゐ)てもぞ思ふ紅(くれなゐ)の赤裳(あかも)裾引(すそび)き去(い)にし姿を

 

(訳)立っても思われ、坐っても思われてならない。紅染(べにぞ)めの赤裳の裾を引きながら、歩み去って行ったあの姿が。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆・・・乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 ゝ保比ゝ豆知弖・・・

                 (大伴家持 巻十七 三九六九)

 

≪書き下し≫・・・娘子(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)の裾(すそ)の 春雨(はるさめ)に にほひひづちて・・・

 

(訳)・・・娘子たちが春菜を摘まれるとて、紅の赤裳の裾が春雨に濡(ぬ)れてひときわ照り映(は)えながら・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)摘ます:摘むの敬語形

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)

(注の注)にほひひづちて:濡れて色が一層映える様をいう。

 

 

◆・・・春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆・・・

                   (大伴池主 巻十七 三九七三)

 

≪書き下し≫・・・春の野に すみれを摘むと 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘女(をとめ)らは・・・

 

(訳)・・・その春の野で菫を摘むとて、まっ白な袖を折り返し、色鮮やかな赤裳の裾を引きながら、娘子たちは・・・(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その702)」で紹介している。

 ➡ こちら702

 

 「紅(くれなゐ)の赤裳(あかも)裾引(すそび)き」、「紅(くれない)の裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れて」、「紅に衣染めまく欲しけども」、「紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)の裾(すそ)の 春雨(はるさめ)に にほひひづちて」、読んでいるだけでもその情景は目に浮かんでくる。万葉の時代も今も、紅色に対する思いは同じなのである。赤裳も水に濡れると一層赤色が引き立つ。

 

 「紅」に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その992)」でも紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「万葉集にあらわされた染め」 清水裕子・佐々木和也 著 (宇都宮大学 学術情報リポジトリ

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「歌の解説と万葉集」 (柏原市HP)

★「一般社団法人 和ハーブ協会 HP」