万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1160)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(120)―万葉集 巻五 八一〇 書状の書き出し

●歌は、巻五 八一〇「いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ」であるが、歌碑(プレート)には、大伴旅人が都の藤原房前に桐製の琴を贈るに添えた歌の書状の書き出し「大伴旅人謹みて状(まを)す きりの日本(やまと)琴(こと)一面  この琴夢に娘子(をとめ)になりて日はく・・・」が書かれている。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(120)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(120)にある。

 

 書状の内容からみていこう。

 

 書状の書き出しは、「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對馬結石山孫枝」<大伴淡等(おほとものたびと)謹状(きんじょう) 梧桐(ごとう)の日本(やまと)琴(こと)一面 対馬の結石(ゆひし)の山の孫枝(ひこえ)なり>である。

(注)ごとう【梧 桐】: アオギリの異名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)「淡等」:旅人を漢字音で書いたもの

(注)結石(ゆひし)の山:対馬北端の山

(注)孫枝(読み)ヒコエ:枝からさらに分かれ出た小枝。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 前文は、「此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒 晞▼九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴 不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰」<この琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて日(い)はく、『余(われ)、根(ね)を遥島(えうたう)の崇巒(すうらん)に託(よ)せ、幹(から)を九陽(きうやう)の休光(きうくわう)に晒(さら)す。長く煙霞(えんか)を帯びて、山川(さんせん)の阿(くま)に逍遥(せうえう)す。遠く風波(ふうは)を望みて、雁木(がんぼく)の間(あひだ)に出入す。ただに恐る、百年の後(のち)に、空(むな)しく溝壑(こうかく)に朽(く)ちなむことのみを。たまさかに良匠に遭(あ)ひ、斮(き)られて小琴(せうきん)と為(な)る。質麁(あら)く音少なきことを顧(かへり)みず、つねに君子の左琴(さきん)を希(ねが)ふ』といふ。>である。

 

(訳)この琴が、夢に娘子(おとめ)になって現れて言いました。「私は、遠い対馬(つしま)の高山に根をおろし、果てもない大空の光に幹をさらしていました。長らく雲や霞(かすみ)に包まれ、山や川の蔭(かげ)に遊び暮らし、遥かに風や波を眺めて、物の役に立てるかどうかの状態でいました。たった一つの心配は、寿命を終えて空しく谷底深く朽ち果てることでありました。ところが、偶然にも立派な工匠(たくみ)に出逢い、伐(き)られて小さな琴になりました。音質は荒く音量も乏しいことを顧(かえり)みず、徳の高いお方の膝の上に置かれることをずっと願うております。」と。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)遥島:はるか遠い島。ここでは対馬のことをいう。

(注)崇巒:高い嶺。

(注)九陽(読み)きゅうよう〘名〙:太陽。日。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)(注)休光:うるわしい光

(注)逍遥(読み)ショウヨウ [名]:気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)雁木の間:古代中国の思想家、荘子が旅の途中、木こりが木を切り倒していた。「立派な木だから、いい材料になる」。しばらく行くと、親切な村人がごちそうしてくれた。「この雁はよく鳴かないので殺しました」。役に立つから切られるものと、役に立たないから殺されるもの。荘子いわく、「役に立つとか立たないとか考えず生きるのが一番いい」(佐賀新聞LIVE)

(注)百年:人間の寿命➡百年の後>寿命を終えて

(注)溝壑(読み)こうがく:みぞ。どぶ。谷間。(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)君子の左琴:『白虎通』に「琴、禁也、以禦二止淫邪_、正二人心,.一也。」、つまり琴が君子の身を修め心を正しくする器であるといい、そのゆえに『風俗通義』に「君子の常に御する所のもの、琴、最も親密なり、身より離さず」という、「君子左琴」「右書左琴」などの、“君子の楽器としての琴”という通念が生まれて来た。(明治大学大学院紀要 第28集1991.2)

 

そして、「すなはち歌ひて曰はく」とある。

 

◆伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武

                (大伴旅人 巻五 八一〇)

 

≪書き下し≫いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)我(わ)が枕(まくら)かむ

 

(訳)どういう日のどんな時になったら、この声を聞きわけて下さる立派なお方の膝の上を、私は枕にすることができるのでしょうか。(同上)

 

続いて、「僕報詩詠曰」<僕(われ)、詩詠(しえい)に報(こた)へて曰はく、>とあり、

 

◆許等ゝ波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志 

               (大伴旅人 巻五 八一一)

 

≪書き下し≫言(こと)とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴(たな)れの琴にしあるべし

 

(訳)うつつには物を言わぬ木ではあっても、あなたのようなお方なら、立派なお方がいつも膝に置く琴に、きっとなることができましょう。(同上)

 

 そして、後文は、「琴娘子答曰 敬奉徳音 幸甚ゝゝ 片時覺 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳 謹状不具」<琴娘子(ことをとめ)答へて曰はく、『敬(つつし)みて徳音(とくいん)を奉(うけたまは)る。幸甚(かうじん)々々』 片時(しまらく)ありて覚(おどろ)き、すなわち夢(いめ)の言(こと)に感(かま)け、慨然止黙(がいぜんもだ)をること得ず。故(そゑ)に、公使(こうし)に附けて、いささかに進御(たてまつ)らくのみ。  謹状 不具(ふぐ)>である。

 

(訳)琴娘子は答えて、「謹んで結構なお言葉を承りました。幸せの限りです」と言いました。 しばらくして私はふと目が覚めて夢の言葉に心むせび、感無量でとても黙っていることができません。そこで、公の使に託して、いささか進呈申し上げます。 謹んで申し上げます。不具。(同上)

 

 そして、日付と相手先名が書かれている。

 

天平元年十月七日附使進上 謹通 中衛高明閤下 謹空」<天平元年十月七日 使い附けて進上(たてまつ)る 謹通(きんつう) 中衛高明閤下(ちゆうゑいかうめいかふか) 謹空>

(注)謹通:謹んで書状をさしあげる

(注)中衛高明:中衛府大将藤原房前

(注)謹空(読み)きんくう〘名〙: (つつしんで空白を残す意) 書状の末尾に添えて敬意を表わす語(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 万葉集巻五は特異な巻といわれる。大伴旅人山上憶良に関わる歌が中心となっている。しかも、年次は神亀五年(728年)から天平五年(733年)という短い期間に集約されている。また、大宰府を場とするものが多く、漢文の手紙、漢文の序、漢詩とともに歌があるという他の巻にない特徴を持っているのである。

 

 この大伴旅人藤原房前にあてた漢文の手紙の中に歌が二首(八一〇、八一一歌)詠まれている。両歌とも一字一音の仮名で書かれている。漢文の手紙とともに歌があるので、「仮名書記」をしたものと考えられるのである。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「『青桐(アオギリ)』は元来熱帯地方に自生する植物で『梧桐(ゴトウ)』は『青桐(アオギリ)』の中国名だが、詩文の上では古くから『桐(キリ)』と通じている。樹皮は緑色で、葉が桐に似ていることから『青桐(アオギリ)』と呼ばれる。(中略)『青桐の日本琴一面』と題する大伴旅人の書状に付随した手紙の後の掲出歌で、一首のみ詠まれた。又、このことに付随して『日本琴(ニホンゴト)【和琴(ワゴン)】』が九州・対馬の『結石山(ユイイシヤマ)』に育った桐の良材で作られたことがわかっている。」と書かれている。

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アオギリ」 「六甲山系植生電子図鑑」(国土交通省近畿地方整備局六甲砂防事務所HP)より引用させていただきました。

 

 旅人は、大宰府に赴任してほどなく、はるばる任地まで同行してくれた妻大伴郎女を亡くしている。

 大宰府赴任は、藤原氏の政治的思惑があったといわれている。そこに妻の死である。

 都からの凶事の知らせや現実に妻を失い、旅人は「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりける」(巻五 七九三歌)と詠っている。

 公私にわたるある種の絶望感から、早く都に戻りたいという望郷の念が一層強まるのである。そこに現実からの逃避が生まれ夢想的な境地にいたるのであろう。そして亡妻思慕歌、讃酒歌、松浦川に遊ぶ歌、望郷歌など多数詠っているのである。

 八一〇歌もしかり。空想と現実の世界の狭間で、故郷に帰りたいと訴えているのであろう。

 

 亡妻思慕歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その895)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 七九三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その909)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 望郷に関わる旅人の本音と建前の件は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その921)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 藤原氏との軋轢は家持を巻き込む。そして名歌が生まれる。万葉集について歌の鑑賞の根底にある歴史の流れをつかまないと歌の本質に迫れないように思う。もっともっと挑戦してこいと万葉集に叱咤、叱咤、叱咤、激励されているように思うのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編 (祥伝社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「佐賀新聞LIVE」

★「明治大学大学院紀要 第28集1991.2」

★「六甲山系植生電子図鑑」(国土交通省近畿地方整備局六甲砂防事務所HP)