万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1161)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(121)―万葉集 巻八 一六二七

●歌は、「我がやどの時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が笑まひを」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(121)万葉歌碑<プレート>(大伴家持



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(121)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾屋前之 非時藤之 目頰布 今毛見壮鹿 妹之咲容乎

               (大伴家持 巻八 一六二七)

 

≪書き下し≫我がやどの時じき藤のめづらしく今も見てしか妹(いも)が笑(ゑ)まひを

 

(訳)我が家の庭の季節はずれに咲いた藤の花、この花のように、珍しくいとしいものとして今すぐでも見たいものです。あなたの笑顔を。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。※参考上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。(同上)

 

題詞は、「大伴宿祢家持攀非時藤花幷芽子黄葉二物贈坂上大嬢歌二首」<大伴宿祢宿禰家持、時じき藤の花、幷(あは)せて萩の黄葉(もみじ)の二つの物を攀(よ)じて、坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌二首>である。

 

 この歌ならびに一六二八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その302)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『ときじふじ』は本州静岡県より西・四国・九州各地の山林で見られるマメ科の蔓性落葉低木の『ナツフジ』のことである。蔓は右巻きで真夏の頃に藤に似た薄黄緑の長さ12~15センチの白い花房をつけ、長さ1.3~1.5センチの蝶形花を多数開かせ、盆栽用としても人気がある。

『ときじき』とは『時ならぬ』と言う意味の古語で、普通の藤は春に咲くがこの藤は真夏に小ぶりの花が咲くので『時期外れ(ジキハズレ)の藤』ということで『非時藤

トキジフジ』、別名『土用(ドヨウ)藤』と名付けられた。」と書かれている。

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「ナツフジ」 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

 ちなみに、一般にいう「フジ」は「ノダフジ」で、花房は垂れ、長さ30~90cm。ノダは大阪の地名でむかしのフジの名所であったからという。蔓が左巻のものは「ヤマフジ・ノフジ」であり、5~6月に開花する。(野草図鑑 つる植物の巻 長田武政 著・長田喜美子 写真 <保育社>)

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板を読むまで、単なる時期外れの藤をみての歌と思っていたが、別種であると知り歌の意味合いもより深いものとなった。

 

 

 万葉集には、この歌も含めて「藤」を詠んだ歌は二十六首収録されている。「藤波」と詠まれているのはそのうちの十八首である。

(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 藤の外皮の繊維で織った「藤衣」を詠った歌が二首ある。これをみてみよう。

 

題詞は、「大網公人主宴吟歌一首」<大網公人主(おほあみのきみひとぬし)が宴吟(えんぎん)の歌一首>である。

 

◆須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢

                  (大網公人主 巻三 四一三)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼(しほや)き衣(きぬ)の藤衣(ふぢごろも)間遠(まどほ)にしあればいまだ着なれず

 

(訳)須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣(ころも)、その衣はごわごわしていて、時々身に着るだけだから、まだいっこうにしっくりこない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)須磨:神戸市須磨区一帯。

(注)ふぢごろも【藤衣】名詞:ふじやくずなどの外皮の繊維で織った布の衣類。織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた。 ※「藤の衣(ころも)」とも。(学研)

(注の注)藤衣の目が粗いことから逢う感覚が遠く馴染の浅い意を譬える。

(注)まどほ【間遠】名詞:①間隔があいていること。②編み目や織り目があらいこと。(学研)

 

 「藤衣」という響きからくるイメージと異なり「織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた」とは。

四一三歌は、自分の恐らく新妻をおとしめて譬えたのであろうが、譬えられた妻の気持ちや如何。

 長忌寸意吉麻呂の「蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家にあるものは芋の葉にあらし」(巻十六 三八二六)の歌が浮かんでくる。自分の妻をおとしめて笑いをとるとは。

 

 

 もう一首もみてみよう。

 

◆大王之 塩焼海部乃 藤衣 穢者雖為 弥希将見毛

                   (作者未詳 巻十二 二九七一)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の塩焼く海人(あま)の藤衣(ふぢごろも)なれはすれどもいやめづらしも

 

(訳)大君の塩を焼く海人の着る粗末な藤衣、その衣が褻れ汚れているように、ずっと馴れ親しんできたが、あの子はいよいよ目新しくてかわいい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)大君の塩:天皇の塩には敦賀産が用いられていたらしい。

(注)上三句は序。褻(な)れる意で、「なれ」(馴れ親しむ)を起こす。

(注)めづらし【珍し】形容詞:①愛すべきだ。賞美すべきだ。すばらしい。②見慣れない。今までに例がない。③新鮮だ。清新だ。目新しい。(学研)

 

 「大君、藤衣、いやめづらし」とジェットコースターのようなおのろけである。

 

 

 「藤波」以外は、ご当地の藤を詠った「春日野の藤」(一九七四歌)、「伊久里の杜の藤(三九五二歌)があり、「藤の末葉」(三五〇四歌)、「藤の茂み」(四二〇七歌)がある。

 

一九七四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1064)」で、「み狩り」を詠んだ歌の一首として紹介している。

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三九五二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1148)」で、高安王の歌三首のうちの一首として紹介している。

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三五〇四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1146)」で、東歌で「寝る」を詠んだ歌の一首として紹介している。

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四二〇七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その830)」で紹介している。家持が、久米広綱に贈った「霍公鳥を怨恨の歌」である。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「野草図鑑 つる植物の巻」 長田武政 著・長田喜美子 写真 (保育社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 植物図鑑」