万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1169)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(129)―万葉集 巻十六 三八八五

●歌は、「・・・あしひきの この片山に二つ立つ櫟が本に梓弓八つ手挟み・・・  」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(129)万葉歌碑<プレート>(乞食者の歌)



●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(129)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多ゝ弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 白賞尼

                (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫いとこ 汝背(なせ)の君 居(を)り居(を)りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生(い)け捕(ど)りに 八つ捕り持ち来(き) その皮を 畳(たたみ)に刺(さ)し 八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本(もと)に 梓弓(あづさゆみ) 八(や)つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我(わ)れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我(わ)れは仕(つか)へむ 我(わ)が角(つの)は み笠(かさ)のはやし 我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず) 我(わ)が毛らは み筆(ふみて)はやし 我(わ)が皮は み箱の皮に 我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし 老い果てぬ 我(あ)が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)しはやさに 申(まを)しはやさに

 

(訳)あいやお立ち合い、愛(いと)しのお立ち合い、じっと家に居続けてさてさてどこかへお出かけなんてえのは、からっきし億劫(おつくう)なもんだわ、その韓(から)の国の虎、あの虎というおっかない神を、生け捕りに八頭(やつつ)もひっ捕らまえて来てわさ、その皮を畳に張って作るなんぞその八重畳、その八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、ここな端山(はやま)に並び立つ、二つの櫟(いちい)の根っこのもとで、梓弓(あずさゆみ)八(やつ)つ手狭み、ひめ鏑(かぶら)八(やつ)つ手狭み、このあっちが獲物を待ってうずくまっていたとしなされ、その時雄鹿が一つ出て来てひょこっとつっ立ってこう嘆いたわいさ、「射られてもうすぐ私は死ぬはずの身。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちましょう。私の角はお笠の材料(たね)、私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)、私の肌毛はお筆の材料(たね)、私の皮はお手箱の覆い、私の肉はお膾(なます)の材料(たね)、私の肝もお膾の材料(たね)、私の胃袋(ゆげ)はお塩辛の材料(たね)。そうそう、今や老い果てようとするこの私めの身一つに、七重も八重も花が咲いた花が咲いたと、賑々(にぎにぎ)しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」とな。(伊藤 博 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いとこ【愛子】名詞:いとしい人。▽男女を問わず愛(いと)しい人を親しんで呼ぶ語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)「いとこ 汝背(なせ)の君」:相手を親しんでの呼びかけ。聴衆あての表現。

(注)をり【居り】自動詞:①座っている。腰をおろしている。②いる。存在する。(学研)

(注)もの【物】名詞:①物。衣服・飲食物・楽器など形のある存在。▽前後の関係からそれとわかるので明示せずにいう。②物事。もの。芸能・音楽・行事など形のない存在。▽前後の関係からそれとわかる事柄を明示せずにいう。③もの。こと。▽思ったり話したりすることの内容。④人。者。◇「者」とも書く。⑤ある所。⑥怨霊(おんりよう)。鬼神。物の怪(け)。超自然的な恐ろしい存在。(学研)ここでは⑤の意。

(注の注)「居(を)り居(を)りて物にい行くとは(こしを落ち着けていてさてどこぞへ出かけるというのは)」は序。「韓国(辛くつらい国の意)」を起こす。

(注)「韓国の虎といふ神を生け捕りに八つ捕り持ち来その皮を畳に刺」は「八重畳」の序になっている。

(注)やへだたみ【八重畳】( 名 ):幾重にも重ねて敷いた敷物。神座として用いる。( 枕詞 ):幾重にも重ねるところから、「へ(重)」と同音の地名「平群(へぐり)」にかかる。 (学研)

(注)平群の山:奈良県生駒市の南部から生駒郡平群町にかけての山地。

(注)くすりがり【薬狩】名詞:陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、山野で、薬になる鹿(しか)の若角や薬草を採取した行事。[季語] 夏。薬猟(学研)

(注)はやし:栄えさせる意の「栄す」の名詞形。装飾や材料を意味する。

(注の注)み笠のはやし:お笠の材料の意。

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)なます【鱠・膾】名詞:魚介・鳥獣の生肉を細かく刻んだもの。後世では、それを酢などであえた料理。さらに後には、大根・人参などを混ぜたり、野菜のみのものにもいう。(学研)

(注)みげ【胘】① 牛・鹿・羊などの胃袋。塩辛などにした。② 牛・鹿・羊などの糞(ふん)。〈和名抄〉(weblio辞書 デジタル大辞泉

 題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠ふ歌二首>である。

(注)ほかひびと【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。

 

 左注は、「右歌一首為鹿述痛作之也」<右の歌一首は鹿のために痛みを述べて作る>である。

 

 「八つ捕り持ち来その皮を畳に刺し八重畳」、「四月と五月との間に」、「二つ立つ櫟(いちひ)が本に」、「梓弓八つ手挟(たばさ)みひめ鏑八つ手挟み鹿(しし)待つと」、「我が身一つに 七重花咲く八重花咲くと」と数字を詠み込みよりリズミカルは調子を醸し出している。

 「我が角はみ笠のはやし 我が耳はみ墨坩 我が目らはますみの鏡 我が爪は み弓の弓弭 我が毛らは み筆はやし 我が皮は み箱の皮に」と見立ての用途を詠いあげ、「我)が肉はみ膾はやし 我が肝もみ膾はやし 我がみげはみ塩のはやし」と実際の材料としての用途を詠い上げている。」

 

 後半の所で、万葉びとの食生活の一端を垣間見ることができるのである。

 廣野 卓氏は、三八八五歌に関して、その著「食の万葉集中公新書)の中で、「シカの肉はどのように調理しても美味だが、ここでは膾にされる。(中略)肝も膾に調理されているが、肝は肉以上に美味であり栄養価も高い。みげ(胃)は塩もみしたものを瓶などに漬けこんで、万葉びとは歯ごたえのある食味を味わっている。『語源辞典』によると膾は、生宍(なましし)であり、生肉・刺身であると解説している。『和名抄』も、膾を奈万須(なます)と訓んで「細切りの肉なり」と解説している。」と書かれている。

 

 「薬狩り」「み狩」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1064)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『一位樫(イチイガシ)』は約30メートル程の巨木になる雌雄同株の常緑高木で『一位(イチイ)』とか、『一位(イチイ)の木』と呼ばれている。5月に若葉とともに黄褐色の雄花が尾状に垂れ下がって咲き、秋に果実が成熟し、一般に『どんぐり』と呼ばれ食用にされた。

 春日大社萬葉植物園の大池中央(中ノ島)の一位樫は、奈良市指定文化財(天然記念物)である。(後略)」と書かれている。

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春日大社萬葉植物園HP「園内のご案内」より引用させていただきました。

 「乞食者詠二首」のもう一首三八八六歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1087)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「春日大社萬葉植物園HP」