万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1171)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(131)―万葉集 巻十九 四一四〇

●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(131)万葉歌碑<プレート>(大伴家持



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(131)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

                  (大伴家持 巻十九  四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)<はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その497)」他で紹介している。

 ➡ こちら497

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『李(スモモ)』は中国原産の相当古い時代に日本に渡来した落葉小高木、春に葉より先に花柄を伸ばし、真っ白の花が枝いっぱいに咲く。果実は球形で毛はなく、赤紫色、又は黄色に熟す。完全に熟すと比較的甘いが通常やや酸味が強いことから『酸桃(スモモ)』と名付けられる。(中略)中国では『李下に冠を正さず・・・』とスモモの木の下で冠を直すとスモモの実を盗む者と疑われるので、君子はこのような行為を避けなければいけないという教えとなり、実が好まれた様子もうかがえる。」と書かれている。

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「スモモの花」 「みんなの趣味と園芸」 NHK出版HPより引用させていただきました。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1001)」他で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

四一三九、四一四〇歌の題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作歌二首」<天平勝宝二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。

 

四一三九歌もみてみよう。

 

◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

               (大伴家持 巻十九 四一三九)

         ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 すもも、ももも果物であるが、花を詠っている。万葉集には、「すもも」を詠ったのは、この歌のみで、「もも」或は「毛桃」を詠った歌は七首収録されている。

「もも」も「桃の木(一三五六歌)」、「桃染の(二九七〇歌)、「桃の花(四一三九、四一九二歌)、「毛桃本茂く(一三五八歌)」、「毛桃の下に(一八八九歌)」、「毛桃の本繁く(二八三四歌)と木や花、染めについてであり、果実そのものは詠われていない。

 日本古来のモモは在来種のヤマモモ(ヤマモモ科)の栽培品種化したもので微毛がある。(毛桃と呼ばれた)果実は大きくない。現在の大きなモモ(バラ科)は中国から伝来し、こちらが「桃」と呼ばれるようになった。

 そのほかの果物を探してみると、「梨」、「柿」、「ミカン」などがあるが万葉集ではどのように扱われているかみてみよう。

 

「梨」については、万葉集では三首収録されている。万葉集に果物そのものを詠った歌を探してみよう。

 三八三四歌「梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く」(作者未詳)は、植物が歌題として出されたものを詠ったもので、果物を意識したものとは限らない。また他の二首(二一八八、二一八九歌)はいずれも「妻梨(無し)の木」と掛詞的に使われている。

 

 三八三四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1138)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 「柿」も当時は渋柿であり、果実として詠った歌は見当たらない。

 

 「橘」は七十二首も詠われており、その存在感は群を抜いている。橘を詠った家持の歌をみてみよう。

 

題詞は、「橘歌一首 幷短歌」<橘(たちばな)の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆可氣麻久母 安夜尓加之古思 皇神祖<乃> 可見能大御世尓 田道間守 常世尓和多利 夜保許毛知 麻為泥許之登吉 時<及>能 香久乃菓子乎 可之古久母 能許之多麻敝礼 國毛勢尓 於非多知左加延 波流左礼婆 孫枝毛伊都追 保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具播之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追 手尓麻吉弖 見礼騰毛安加受 秋豆氣婆 之具礼乃雨零 阿之比奇能 夜麻能許奴礼波 久礼奈為尓 仁保比知礼止毛 多知波奈乃 成流其實者 比太照尓 伊夜見我保之久 美由伎布流 冬尓伊多礼婆 霜於氣騰母 其葉毛可礼受 常磐奈須 伊夜佐加波延尓 之可礼許曽 神乃御代欲理 与呂之奈倍 此橘乎 等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母

                   (大伴家持 巻十八 四一一一)

 

≪書き下し≫かけまくも あやに畏(かしこ)し 天皇(すめろき)の 神(かみ)の大御代(おほみよ)に 田道間守(たぢまもり) 常世(とこよ)に渡り 八桙(やほこ)持ち 参(ま)ゐ出(で)来(こ)し時 時じくの かくの菓(このみ)を 畏(かしこ)くも 残したまへれ 国も狭(せ)に 生(お)ひ立ち栄(さか)え 春されば 孫枝(ひこえ)萌(も)いつつ ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花(はつはな)を 枝(えだ)に手折(たを)りて 娘子(をとめ)らに つとにも遣(や)りみ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)にも扱(こき)入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実(み)は 玉に貫(ぬ)きつつ 手に巻きて 見れども飽(あ)かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末(こぬれ)は 紅(くれなゐ)に にほひ散れども 橘(たちばな)の なれるその実は ひた照りに いや見が欲(ほ)しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐(ときは)なす いやさかはえに しかれこそ 神(かみ)の御代(みよ)より よろしなへ この橘を 時じく かくの菓(このみ)の実と 名付けけらしも

 

(訳)口の端に上(のぼ)すのさえ恐れ多いこと、神の御裔(みすえ)の遥か遠い天皇(すめろぎ)の御代に、田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)の国に渡って、八鉾(やほこ)を掲げて帰朝した時、時じくのかくの木(こ)の実(み)を、恐れ多くものちの世にお残しになったころ、その木は、国も狭しと生い立ち栄え、春ともなれば新たに孫枝(ひこえ)が次々と芽生え、時鳥の鳴く五月には、その初花を枝ごと手折って、包んで娘子(おとめ)に贈り物としたり、枝からしごいて着物の袖にも入れたり、あまりの気高さに枝に置いたまま枯らしてしまったりもし、熟(う)れて落ちる実は薬玉(くすだま)として緒に通して、手に巻きつけていくら見ても見飽きることがない。秋が深まるにつれてしぐれが降り、山の木々の梢(こずえ)は紅に色づいて散るけれども、橘の枝に生(な)っているその実は、あたり一面にますます照り映えていっそう目がひきつけられるばかり、雪の降る冬ともなると、霜が置いてもその葉も枯れず、いつもいつも盛りの時を見せる岩のようにますます照り栄(さか)えるばかり・・・、それだからこそ、遠く遥かなる神の御代から、いみじくもこの橘を、時じくのかくの木の実と、名づけたのであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち 動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(学研)

(注)たぢまもり【田道間守】:古代の伝説上の人物。新羅(しらぎ)王子天日矛(あめのひぼこ)の子孫。記紀によれば、第11代垂仁天皇の勅により、常世(とこよ)の国から非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(橘)を10年かけて持ち帰ったが、すでに天皇は亡くなっていたので、悲嘆して陵の前で殉死したと伝えられる。三宅連(みやけのむらじ)の祖。(コトバンク  小学館デジタル大辞泉

(注)時じくのかくの菓(このみ):橘の実をほめる語。

(注の注)ときじく【時じく】の香(かく)の菓(このみ・み):(冬期にもしぼむことなく、採っても長く芳香を保つところから) タチバナの実のこと。かくのみ。かくのこのみ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あゆる実:こぼれ落ちる実

(注)いやさか【弥栄】:[名]ますます栄えること。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

 

 反歌もみてみよう。

 

◆橘波 花尓毛實尓母 美都礼騰母 移夜時自久尓 奈保之見我保之

                   (大伴家持 巻十八 四一一二)

 

≪書き下し≫橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲(ほ)し

 

(訳)橘は、花の時にも実の時にもこの目に見ているけれども、見れば見るほどいつと時を定めずに、なおその上むしょうに見たくて仕方がない。(同上)

 

左注は、「閏五月廿三日大伴宿祢家持作之」<閏(うるふ)の五月の二十三日に、大伴宿禰家持作る>である。

 

 

 この歌をみると、大伴家持の庇護者であった橘諸兄を意識し橘の讃歌となっている。また橘が日本に伝来した経緯についても語られている。

 廣野 卓氏は、その著「食の万葉集」(中公新書)のなかで、「タチバナは食用ミカンの古名で、キシュウミカン(コミカン)が古来のタチバナの系統を引く『新日本植物図鑑』は解説し、また、『古事記』や『記紀』には、垂仁天皇が田道間守(たじまもり)に命じて、常世国(とこよのくに)から非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)をもち帰らせたが、この田道間守が持ち帰ったことから、タチバナと名付けられたとものべている。」と書かれている。

 

コトバンク (小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)で「菓子」を検索してみると次のように書かれている。 

 「菓子(かし):食事のほかに茶うけなどに食べる嗜好品(しこうひん)の一種。古くは植物の果実を用い『果子』とも書いた。『果』は『菓』の本字で、ともに『木の実』を意味する。日本で『くだもの』というのも『木の物』の意味である。『続日本紀(しょくにほんぎ)』天平(てんぴょう)8年(736)11月条に「橘(たちばな)は果子の長上、人の好む所」とあり、『日葡(にっぽ)辞書』(1603刊)にも『菓子Quaxi(クワシ)、果実、とくに食後の果物をいう』とある。」

 

万葉歌碑巡りで訪れた粟嶋神社(和歌山県海南市)の前に広がるミカン畑

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和歌山県海南市下津町方 粟嶋神社前のミカン畑(キシュウミカン)



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味と園芸」 (NHK出版HP)

 

20230330「日本古来のモモは在来種のヤマモモ(ヤマモモ科)の栽培品種化したもので微毛がある。(毛桃と呼ばれた)果実は大きくない。」に訂正させていただきました。(読者様からのご指摘があり訂正しました。ありがとうございました)