万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1172)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(132)―万葉集 巻九 一七四五

●歌は、「三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(132)万葉歌碑<プレート>(高橋虫麻呂



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(132)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「那賀郡曝井歌一首」<那賀(なか)の郡(こほり)の曝井(さらしゐ)の歌一首>である。

(注)那賀郡:茨城県水戸市の北方

 

◆三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七四五)

 

≪書き下し≫三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが

 

(訳)那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水、その水が絶え間なく湧くように、ひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みつぐりの【三栗の】分類枕詞:栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。「絶えず」を起こす。

 

「曝井」については、茨城県HP「常陸国風土記を訪ねる」に次のように書かれている。

「曝井:近隣の女性たちがここに集い、布を洗って乾したというだけではなく、人々が集う場として、交通の要所としての役割や、男女の交流の場であったと考えられる。現在は『萬葉曝井の森』という公園として整備されており、市民の憩いの場となっている。」

 さらに、常陸国風土記の記載内容が次のように書かれている。

「那賀郡:郡より東北のかた、粟河を挟みて駅家を置く。其より南にあたりて、泉、坂の中に出づ。多に流れて尤清く、曝井と請ふ。泉に縁りて居める村落の婦女、夏の月に会集ひて、布を浣ひ、曝し乾せり。」

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『栗(クリ)』は各地の山地に自生する雌雄同株の落葉高木で、俗に『芝栗(シバグリ)』と呼んでいる小粒の物が野生種である。(中略)雌花は雄花の下に付き、見落としやすい。実は1~3個集まってトゲのある『イガ』に包まれており、名の由来は実の色が黒い、すなわち『黒実(クロミ)』が転じたところから『クリ』と付いた。(後略)」と書かれている。

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奈良市神功「万葉の小径」の栗の木

 

 万葉集には栗を詠んだ歌は三首収録されている。これらについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

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 高橋虫麻呂は、常陸国に下り、地方官として勤務していたと考えられており、その間、藤原宇合の下僚として『常陸国風土記』の編纂に関係していたとする説もある。

虫麻呂の歌は、万葉集には、三十六首収録されているが、常陸国の歌は十一首にのぼる。

すべてみてみよう。

まず一四九七歌からである。

 

題詞は、「惜不登筑波山歌一首」<筑波山(つくはやま)に登らざりしことを惜しむ歌一首>である。

 

◆筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其

                  (高橋虫麻呂 巻八 一四九七)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)に我が行けりせばほととぎす山彦(やまびこ)響(とよ)め鳴かましやそれ

 

(訳)筑波嶺に私が登って行ったとしたら、時鳥が、山をこだまさせて鳴いてくれたでしょうか。果たしてその時鳥が。(同上)

(注)せば 分類連語:もし…だったら。もし…なら。 ⇒参考 多く、下に反実仮想の助動詞「まし」をともない、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意を表す。 ⇒注意 「せば」の形には、サ変の未然形「せ」+接続助詞「ば」の場合もある。 ⇒なりたち 過去の助動詞「き」の未然形+接続助詞「ば」(学研)

 

左注は、「右一首高橋連蟲麻呂之歌中出」<右の一首は、高橋連虫麻呂が歌の中に出づ>である。

 

 

 

題詞は、「手綱濱歌一首」<手綱(たづな)の濱の歌一首>である。

(注)手綱濱:常陸北部の多珂郡。高萩市の海岸。

 

◆遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七四六)

 

≪書き下し≫遠妻(とほづま)し多珂(たか)にありせば知らずとも手綱(たづな)の浜の尋(たづ)ね来(き)なまし

 

(訳)遠く家に残した妻がもしこの多珂の郡にいるのであったなら、たとえ道がわからなくても、手綱の浜の名のように、私は尋ねて来るのだが。(同上)

 

 

題詞は、「検税使大伴卿登筑波山時歌一首 幷短歌」<検税使(けんせいし)大伴卿(おほとものまへつきみ)が筑波山(つくはやま)に登る時の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)検税使:諸国の正税(しょうぜい)と正税帳との照合に派遣される特使。

(注)大伴卿:大伴旅人と思われる。

 

◆衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登峯上乎 公尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者

                   (高橋虫麻呂 巻九 一七五三)

 

≪書き下し≫衣手(ころもで) 常陸(ひたち)の国の 二並(ふたなら)ぶ 筑波の山を 見まく欲ほ)り 君来ませりと 暑(あつ)けくに 汗掻(か)き投げ 木(こ)の根取り うそぶき登り 峰(を)の上(うへ)を 君に見すれば 男神(ひこかみ)も 許したまひ 女神(ひめかみ)も ちはひたまひて 時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺(つくはね)を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉(うれ)しみと 紐(ひも)の緒(を)解きて 家(いへ)のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡(なび)く 春見ましゆは 夏草(なつくさ)の 茂くはあれど 今日(けふ)の楽(たの)しさ

 

(訳)ここ常陸の国の雌雄並び立つ筑波の山、この山を見たいと我が君がはるばる来られたこととて、真夏の暑い時に汗を手でぬぐい払い投げて、木の根に縋(すが)って喘(あえ)ぎながら登り、頂上を我が君にお見せすると、男神もとくにお許し下さり、女神も霊威をお垂れになって、いつもは時を定めず雲がかかり雨の降るこの筑波嶺なのに、今日ははっきり照らして、気がかりにしていたこの国随一のすばらしさを隈(くま)なく見せて下さったので、嬉しさのあまり着物の紐をほどいて、家にいるううにくつろいで遊ぶ今日一日です。草なよやかな春に見るよりは、夏草が生い茂っているとはいえ、今日の楽しさはまた別格です。(同上)

(注)ころもで【衣手】分類枕詞:袖(そで)を水に浸すことから、「ひたす」と同じ音を含む地名「常陸(ひたち)」にかかる。(学研)

(注)うそぶく【嘯く】自動詞:①口をすぼめて息をつく。息をきらす。②そらとぼける。③口笛を吹く。(学研)ここでは①の意

(注)ちはふ【幸ふ】自動詞:霊力を現して加護する。 ※「ち」は霊力の意。(学研)

(注)ときとなく【時と無く】分類連語:いつと決めずに。いつも。 ⇒なりたち 名詞「とき」+格助詞「と」+形容詞「なし」の連用形(学研)

(注)いぶかる【訝る】自動詞:気がかりに思う。知りたいと思う。 ※上代は「いふかる」。(学研)

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)

 

 反歌もみてみよう。

 

◆今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛

                   (高橋虫麻呂 巻九 一七五四)

 

≪書き下し≫今日(けふ)の日にいかにか及(し)かむ筑波嶺に昔の人の来(き)けむその日も

(訳)今日のこの楽しさにどうして及ぼう。ここ筑波嶺に昔の人がやって来たというその日の楽しさだって。(同上)

(注)しく【如く・及く・若く】自動詞:①追いつく。②匹敵する。及ぶ。(学研)ここでは②の意

 

この歌に関する記載が、「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」の「検税使」の項に次のように掲載されている。

「『検税使』の語の初出は『万葉集』の『検税使大伴卿の、筑波山に登る時の歌一首幷せて短歌』とあり、滝川政次郎によると、これは養老3年(719年)初めに大伴旅人常陸国に派遣されたことではないか、という。この歌は高橋虫麻呂の歌集の中にあり、藤原宇合と虫麻呂との間に密接な関係があり、宇合が常陸守の任にあったのが養老3年7月頃から神亀元年(724年)4月頃までと想定され、大伴旅人が『卿』と呼ばれる従三位に叙せられたのが養老5年(721年)正月5日であることなどから、この歌の作られたのは養老6、7年頃(722年 - 723年)とも推定される」。(脚注ナンバーは削除させていただきました)

 

 

 次は、一七五七、一七五八歌である。

 

題詞は、「登筑波山歌一首幷短歌」<筑波山(つくばやま)に登る歌一首 幷せて短歌>である。

 

草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼

              (高橋虫麻呂 巻九 一七五七)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら) 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる こともありやと 筑波嶺(つくばね)に 登りて見れば 尾花(をばな)散る 師付(しつく)の田居(たい)に 雁(かり)がねも 寒く来鳴(きな)きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に 思ひ摘み来(こ)し 憂(うれ)へはやみぬ

 

(訳)草を枕の旅の憂い、この憂いを紛らわすよすがもあろうかと、筑波嶺に登って見晴らすと、尾花の散る師付の田んぼには、雁も飛来して寒々と鳴いている。新治の鳥羽の湖にも、秋風に白波が立っている。筑波嶺のこの光景を目にして、長い旅の日数に積もりに積もっていた憂いは、跡形もなく鎮まった。(同上)

(注)師付(しつく):筑波山東麓の地。国府のあった石岡市の西郊。

(注)新治:筑波山北西の郡名

(注)鳥羽の淡海:下妻市大宝八幡宮周辺にあった沼。

(注)よけく【良けく・善けく】:よいこと。 ※派生語。上代語。(学研)

(注)-がり 【許】接尾語〔人を表す名詞・代名詞に付いて〕…のもとに。…の所へ。(学研)

 

 

◆筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遣 黄葉手折奈

            (高橋虫麻呂 巻九 一七五八)

 

≪書き下し≫筑波嶺の裾(すそ)みの田居(たゐ)に秋田刈る妹(いも)がり遣(や)らむ黄葉(もみぢ)手折(たを)らな

 

(訳)筑波嶺の山裾の田んぼで秋田を刈っているかわいい子に遣(や)るためのもみじ、そのもみじを手折ろう。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その186)」で紹介している。

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 続いて一七五九、一七六〇歌である。

 

題詞は、「登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首 幷短歌」<筑波嶺(つくはね)に登りて嬥歌会(かがひ)為(す)る日に作る歌一首 幷(あは)せえ短歌>である。

(注)嬥歌>歌垣【うたがき】:古代の風習で,春秋に多数の男女が飲食を携えて山の高みや市などに集い,歌舞を行ったり,求愛して性を解放したりする行事。東国の方言で【かがい】といった。万葉集常陸(ひたち)国風土記に見え,常陸筑波山や大和の海柘榴市(つばいち)で行われたものが名高い。貴族の間で行われるようになると野趣を失い,踏歌(とうか)がこれに代わった。(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

◆鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女壮士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 <嬥歌者東俗語曰賀我比]>

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七五九)

 

≪書き下し≫鷲(わし)の棲(す)む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上(うへ)に 率(あども)ひて 娘子(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻(ひとづま)に 我(わ)も交(まじ)はらむ 我(わ)が妻に 人も言(こと)とへ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日(けふ)のみは めぐしもな見そ 事もとがむな <嬥歌は、東の俗語(くにひとのことば)には「かがひ」といふ>

 

(訳)鷲の巣くう筑波に山中(やまなか)の裳羽服津(もはきつ)、その津のあたりに、声掛け合って誘い合わせた若い男女が集まって来て唱(うた)って踊るこのかがいの晩には、人妻におれも交わろう。おれの女房に人も言い寄るがよい。この山を支配する神様が、遠い昔からお許し下さっている行事なのだ。今日一日だけは、あわれだなと思って見て下さるな。何をしてもとがめ立てして下さるな。(同上)

(注)鷲(わし)の棲(す)む:恐しい深山を表すための形容。

(注)裳羽服津:どこか不明。常陸風土記には東峰女山の側の泉に集まったと記す。

(注)あどもふ【率ふ】他動詞:ひきつれる。 ※上代語。(学研)

(注)かがふ【嬥歌ふ】自動詞:男女が集まって飲食し、踊り歌う。(学研)

(注)うしはく【領く】他動詞:支配する。領有する。 ※上代語。(学研)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)

 

反歌

 

男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉

                 (高橋虫麻呂 巻九 一七六〇)

 

≪書き下し≫男神(ひこかみ)に雲立ち上(のぼ)りしぐれ降り濡(ぬ)れ通るとも我(わ)れ帰らめや

 

(訳)男神の嶺(みね)に雲が湧き上がってしぐれが降り、びしょ濡(ぬ)れになろうとも、楽しみ半ばで帰ったりするものか。(同上)

 

左注は、「右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出」<右の件(くだ)りの歌は、高橋連虫麻呂が歌集の中に出づ>である。

 

 歌の内容に思わずドキッとしてしまうが、中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)のなかで、「・・・ここに伝わる嬥歌会(かがひ)を歌って、その交合を述べ、『人妻に 吾も交(まじ)らむ わが妻に 他(ひと)も言問(ことと)へ』(巻九、一七五九)といい、反歌に『時雨(しぐれ)にずぶ濡(ぬ)れになっても、わたしは帰らない』と歌っている。これを事実と解すると卑俗な歌になってしまうが、卑官虫麻呂が妻をともなって任国に赴任しているはずはない。これはひとつの習俗の伝承を詠んだにすぎないのである。」と書かれている。

 

 次は、大伴旅人と別れる時の歌である。

 

題詞は、「鹿嶋郡苅野橋別大伴卿歌一首 幷短歌」<鹿島(かしま)の郡(こほり)苅野(かるの)橋にして、大伴卿と別るる歌一首 幷(あは)せて短歌>

(注)鹿島の郡:茨城県鉾田市鹿嶋市神栖市一帯。

(注)苅野:鹿島神宮南の神之池(ごうのいけ)から出た川が利根川に注ぐあたりか。

 

◆牡牛乃 三宅之滷尓 指向 鹿嶋之埼尓 狭丹塗之 小船儲 玉纒之 小梶繁貫 夕塩之 満乃登等美尓 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢尓 後奈美居而 反側 戀香裳将居 足垂之 泣耳八将哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者

                   (高橋虫麻呂 巻九 一七八〇)

 

≪書き下し≫牡牛(ことひうし)の 三宅(みやけ)の潟(かた)に さし向(むか)ふ 鹿島(かしま)の崎(さき)に さ丹(に)塗りの 小舟(をぶね)を設(ま)け 玉巻きの 小楫(をかじ)繁貫(しじぬ)き 夕潮(ゆふしほ)の 満ちのとどみに 御船子(みふなこ)を 率(あども)ひたてて 呼びたてて 御船出(い)でなば 浜も狭(せ)に 後(おく)れ並(な)み居(ゐ)て 臥(こ)いまろび 恋ひかも居(を)らむ 足すりし 音(ね)のみや泣かむ 海上(うなかみ)の その津を指(さ)して 君が漕(こ)ぎ去(い)なば

 

(訳)牡牛の三宅の潟に向かい合う鹿島の崎で、赤く塗った御船を準備し、玉を飾った櫂(かい)を舷(ふなばた)一面に貫き並べ、夕潮が満ちきった時に、漕ぎ手たちを駆り集め、掛け声立てて御船が漕ぎ出して行ったならば、私どもあとに残る者は、鹿島の浜も狭まるばかりにひしめき合って、ころげ廻(まわ)っておあとを恋い慕うことでしょう。地団駄踏んでただ泣き叫ぶことでしょう。お隣海上の郡の、その三宅の港をさしてあなた様が漕ぎ別れて行ってしまったならば。(同上)

(注)牡牛の:「三宅(銚子市三宅町)」にかかる枕詞。力強い雄牛で貢物を運ぶ屯倉(みやけ)の意。

(注)しじぬく【繁貫く】他動詞:(船のかいなどを)たくさん取り付ける。(学研)

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】自動詞:ころげ回る。身もだえてころがる。(学研)

(注)海上(うなかみ):千葉県銚子市付近の郡名。

 

 

◆海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八

                  (高橋虫麻呂 巻九 一七八一)

 

≪書き下し≫海つ道(ぢ)のなぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出(ふなで)すべしや

 

(訳)せめて海路のおだやかな時にでもお渡りになればよいのに。こんなにひどく立つ波の中を船出などなさるべきではないでしょう。(同上)

 

左注は、「右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出」<右の二首は、高橋連虫麻呂が歌集の中に出づ>である。

 

 

 高橋虫麻呂は、東国に赴任している時の歌は、見てきたように非現実の夢想的な歌が多い。家持は、越中にあって、「こんな鄙びた地でやってられない」と愚痴っぽい歌を詠ったのと違うのも身分による違いなのかもしれない。

 虫麻呂の人となりは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1137)」で紹介している・

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」