万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1174)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(134)―万葉集 巻二十 四三二六

●歌は、「父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来たるまで」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(134)万葉歌碑<プレート>(壬生部足国)



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(134)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆父母我 等能々ゝ志利弊乃 母ゝ余具佐 母ゝ与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖

               (壬生部足国 巻二十 四三二六)

 

≪書き下し≫父母が殿(との)の後方(しりへ)のももよ草(ぐさ)百代(ももよ)いでませ我(わ)が来(きた)るまで

 

(訳)父さん母さんが住む母屋(おもや)の裏手のももよ草、そのももよというではないが、どうか百歳(ももよ)までお達者で。私が帰って来るまで。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ももよ草:未詳 上三句は序。「百代」を起こす。

 

 左注は、「右一首同郡生玉部足國」<右の一首は、同(おな)じき郡(こほり)の壬生部(みぶべ)足国(たりくに)>である。

(注)みぶべ【壬生部】〔名〕 令制前、王子の養育に奉仕するために設定された部(べ)。壬生。(weblio辞書 精選版日本国語大辞典

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その656)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

四三二一から四三二七歌の歌群の左注は、「二月の六日、防人部領使(さきもりのことりづかひ)遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首 但有拙劣歌十一首不取載之」<二月六日に、防人(さきもりの)部領使(ことりつかひ)遠江 (とほつあふみ)の国のの史生(ししやう)坂本朝臣人上(さかもとのあそみひとかみ)。進(たてまつ)る歌の数(かず)十八首。ただし拙劣(せつれつ)の歌十一首有るは取り載(の)せず。>である。

 

 防人と言えば、東国の農民や庶民出身とのイメージが強いが、足国の様に、天皇の皇子などを養育する役所所属で、「父母が殿の」と詠うように、それなりの住居を持っている者も含まれているのである。収録されている、すなわち家持のお目にかなった歌の歌い手はほとんどが役所所属でそれなりの教養があった人たちなのであろう。拙劣歌や歌を提出しなかった、というかできないような人たちが大勢いたのであろう。

 

 父母や愛しい妻との別れを詠んだ歌はさらっと歌っているがそれだけに歌の底に隠れている思いが痛々しい。

 

 この歌群からみてみよう。

 

◆和我都麻波 伊多久古非良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受

                  (若倭部身麻呂 巻二十 四三二三)

 

≪書き下し≫我が妻(つま)はいたく恋ひらし飲む水に影(かげ)さへ見えてよに忘られず

 

(訳)おれの妻は、ひどくこのおれを恋しがっているらしい。飲む水の上に影まで映って見えて、ちっとも忘れられない。(同上)

(注)よに【世に】副詞:①たいそう。非常に。まったく。②〔下に打消の語を伴って〕決して。全然。(学研)

 

 

◆等伎騰吉乃 波奈波佐家登母 奈尓須礼曽 波々登布波奈乃 佐吉泥己受祁牟

                  (丈部真麻呂 巻二十 四四二三)

 

≪書き下し≫時々(ときどき)の花は咲けども何すれぞ母(はは)とふ花の咲き出(で)来(こ)ずけむ

 

(訳)四季折々の花は咲くけれど、何でまあ、これまで母という花が咲き出てこなかったのであろう。(同上)

 

 

◆知ゝ波ゝ母 波奈尓母我毛夜 久佐麻久良 多妣波由久等母 佐々己弖由加牟

                   (丈部黒当 巻二十 四三二五)

 

≪書き下し≫父母(ちちはは)も花にもがもや草枕旅は行くとも捧(さき)ごて行かむ

 

(訳)父さん母さんがせめて花ででもあってくれればよい。そしたら草を枕の旅なんかに行くにしても、捧げ持って行こうものを。(同上)

(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 

◆和我都麻母 畫尓可伎等良無 伊豆麻母加 多妣由久阿礼波 美都々志努波牟

                   (物部古麻呂 巻二十 四三二七)

 

≪書き下し≫我が妻も絵(ゑ)に描(か)き取らむ暇(いつま)もが旅行く我(あ)れは見つつ偲はむ

 

(訳)我が妻をせめて絵に書き写す暇があったならな。長い旅路を行くおれは、それを見ては妻を偲ぼうに。(同上)

 

 

 四三二一から四四二四歌の歌群(中に家持の歌が二十首ある)八十四首の題詞は、「天平勝寶七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌」<天平勝宝(てんびやうしようほう)七歳乙未(きのとひつじ)の二月に、相替(あひかはり)りて筑紫(つくし)に遣(つか)はさゆる諸国の防人等(さきもりら)が歌>である。

(注)防人は、一旦陸路で難波に集結し、あと海路で筑紫に派遣された。三年交替。

 

 防人の任期は三年、毎年三分の一が交替となっていた。主として東国の各国から、防人部領使(さきもりのことりづかひ)が難波まで連れて来て、中央の役人に引き継ぐのである。

 大伴家持は、その中央の役人、すなわち、兵部少輔の任にあたっていたので、防人達の歌が家持にわたり、万葉集に収録されることとなった。しかし、上述の左注にあるように、「拙劣(せつれつ)の歌」は取り上げられなかったのである。全体で見ると、「進(たてまつ)る歌の数(かず)百六十六首。ただし拙劣(せつれつ)の歌八十二首有るは取り載(の)せず」となり八十四首の収録と相成ったのである。

 

 国別の内訳は、遠江七首、相模三首、駿河十首、上総十三首、常陸十首、下野十一首、下総十一首、信濃三首、上野四首、武蔵十二首である。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『ももよぐさ』については『露草(ツユクサ)』・『菊(キク)』・『柳蓬(ヤナギヨモギ)』などの植物と言う説と、不明と言う説があるが、もっとも有力なのが『菊』である。『菊』は中国最古の薬書である『神農本草経(シンノウホンゾウキョウ)』をはじめ、いくつかの書物に登場する多年草で『延年草(エンネンソウ)』・『不老長寿(フロウチョウジュ)の花』・『寿客(ジュキャク)』などと呼ばれ長生きの薬草とされてきた。(中略)現在の菊の原種は兵庫県県花になっている『野路菊(ノジギク)』だろうと言われている。『ももよぐさ』の名は『百歳(モモヨ)【百代】』まで長生きできる薬草からとも言われ、菊のエッセンスが鎮静(チンセイ)・血圧低下作用、各種の病原菌に対する抑制効果などがあることからも、菊を指すと考えられる。」と書かれている。

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ノジギク」 姫路市HP「のじぎくの開花情報」から引用させていただきました。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版日本国語大辞典

★「姫路市HP」