万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1178)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(138)―万葉集 巻十 二一一五

●歌は、「手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも」

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(138)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(138)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜

                   (作者未詳 巻十 二一一五)

 

≪書き下し≫手に取れば袖(そで)さへにほふをみなへしこの白露(しらつゆ)に散らまく惜(を)しも

 

(訳)手に取れば袖までも染まる色美しいおみなえしなのに、この白露のために散るのが今から惜しまれてならない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研) ここでは②の意

(注)白露:漢語「白露」の翻読語。普通秋の露にいう。

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『女郎花(オミナエシ)』は草丈が約1メートル前後の日当たりのよい山野に生える多年草で、秋の七種の一つである。(中略)『女郎花(オミナエシ)』の名の由来は若い女性を意味する『オミナ』にちなんだもので、美女の中でもなお美しい姿の意味であるという説・白い花の『男郎花(オトコエシ)』に対して名付けられた説・黄色い花のオミナエシを『粟花(アワバナ)』・白い花のオトコエシを『米花(コメバナ)』とした説なそがある。(後略)」と書かれている。

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オミナエシとオトコエシ 「みんなの趣味と園芸」 (NHK出版HP)より引用させていただきました。

「をみなえし」を詠んだ歌は十四首収録されている。全てをみてみよう。

 

◆娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞

                  (中臣女郎 巻四 六七五)

 

≪書き下し≫をみなえし佐紀沢(さきさわ)に生(お)ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも

 

(訳)おみなえしが咲くという佐紀沢(さきさわ)に生い茂る花かつみではないが、かつて味わったこともないせつない恋をしています。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)をみなへし【女郎花】名詞:「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary<日本語版>)

(注)さきさわ(佐紀沢):平城京北一帯の水上池あたりが湿地帯であったところから

このように呼ばれていた。

(注)はなかつみ【花かつみ】名詞:水辺に生える草の名。野生のはなしょうぶの一種か。歌では、序詞(じよことば)の末にあって「かつ」を導くために用いられることが多い。「はながつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かつて【曾て・嘗て】副詞:〔下に打消の語を伴って〕①今まで一度も。ついぞ。②決して。まったく。 ⇒ 参考 中古には漢文訓読系の文章にのみ用いられ、和文には出てこない。「かって」と促音にも発音されるようになったのは近世以降。(学研)

 

 六七五から六七九歌の歌群の、題詞は、「中臣女郎(なかとみのいらつめ)贈大伴宿祢家持歌五首」とある。

 この歌並びに他の四首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その30改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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◆姫押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣将服

                 (作者未詳 巻七 一三四六)

 

≪書き下し≫をみなへし佐紀沢(さきさわ)の辺(へ)の真葛原(まくずはら)いつかも繰(く)りて我(わ)が衣(きぬ)に着む

 

(訳)佐紀沢のあたりの葛の生い茂る野原、あの野の葛は、いつになったら糸に操(く)って、私の着物として着ることができるのだろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)をみなへし:「佐紀」にかかる枕詞

(注)上三句は少女の譬え。

 

 

一五三〇、一五三一歌の題詞は、「大宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首」<大宰(だざい)の諸卿大夫(まへつきみたち)幷(あは)せて官人等(たち)、筑前(つくしのみちのくち)の国の蘆城(あしき)の駅家(うまや)にして宴(うたげ)する歌二首>である。

(注)蘆城(あしき):大宰府東南、約4kmの地。

 

◆娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代尓将見

                  (作者未詳 巻八 一五三〇)

 

≪書き下し≫をみなへし秋萩(あきはぎ)交(まじ)る蘆城(あしき)の野(の)今日(けふ)を始めて万世(おろづよ)に見む

 

(訳)おみなえしと秋萩とが入り交じって咲いている蘆城の野よ、この野を今日を始めとしていついつまでもみよう。(同上)

 

 

題詞は、「石川朝臣老夫歌一首」<石川朝臣老夫(いしかはのあそみおきな)が歌一首>である。

 

◆娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去褁跡 為乞兒

                  (石川老夫 巻八 一五三四)

 

≪書き下し≫をみなへし秋萩折れれ玉桙(たまほこ)の道行(みちゆ)きづとと乞(こ)はむ子がため

 

(訳)おみなえしや萩の花を手折っておきなさい。旅のお土産(みやげ)はと言って、せがむいとしい人のために。(同上)

 

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その62改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

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◆姫部思 咲野尓生 白管自 不知事以 所言之吾背

                  (作者未詳 巻十 一九〇五)

 

≪書き下し≫をみなへし佐紀野(さきの)に生(お)ふる白(しら)つつじ知らぬこともち言はれし我(わ)が背(せ)

(訳)おみなえしの咲きにおうという佐紀野に生い茂る白つつじではないが、我が身のつゆ知らぬことで、人に言い騒がれたあの方よ。(同上)

(注)をみなへし:「佐紀野」の枕詞。

(注)上三句は序。「知らぬ」を起こす。

 

 

◆事更尓 衣者不揩 佳人部為 咲野之芽子尓 丹穂日而将居

              (作者未詳 巻十 二一〇七)

 

≪書き下し≫ことさらに衣(ころも)は摺(す)らじをみなへし佐紀野の萩ににほひて居らむ

 

(訳)わざわざこの着物は摺染めにはすまい。一面に咲き誇るこの佐紀野の萩に染まっていよう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ことさらなり【殊更なり】形容動詞①意図的だ。②格別だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)をみなへし 枕詞:「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 Wiktionary)

(注)佐紀野:平城京北部の野

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(948)」で紹介している。

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◆吾郷尓 今咲花乃 娘部四 不堪情 尚戀二家里

                  (作者未詳 巻十 二二七九)

 

≪書き下し≫我(わ)が里に今咲く花のをみなへし堪(あ)へぬ心になほ恋ひにけり

 

(訳)この里に今まっ盛りに咲く花のおみなえし、そのおみなえしに、とても堪えがたい思いで、今なお恋い焦がれてしまっている。(同上)

(注)上三句は村の娘の譬え。

 

 

三九四三~三九五五歌の歌群の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である。越中の地で家持を歓迎する宴で、越中歌壇の出発点となったと言われている。

 

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

               (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我(わ)が背子がふさ手折(たお)り来(け)る女郎花(をみなへし)かも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね、この女郎花は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)我が背子:客の大伴池主をさしている。

(注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(学研)

 

 

◆乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴

               (大伴池主 巻十七 三九四四)

 

≪書き下し≫をみなへし咲きたる野辺(のへ)を行き廻(めぐ)り君を思ひ出(で)た廻(もとほ)り来(き)ぬ

 

(訳)女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに、あなたを思い出して廻り道をして来てしまいました。(同上)

 

 

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

               (秦忌寸八千嶋 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行(ゆ)きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をじっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)をみなえし:三九四三、三九四四歌の女郎花を承ける

 

上記三歌を含む三九四三~三九五五歌の歌群の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介している。

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題詞は、「天平勝寶五年八月十二日二三大夫等各提壷酒 登高圓野聊述所心作歌三首」<天平勝宝五年の八月の十二日に、二三(ふたりみたり)の大夫等(まへつきみたち)、おのもおのも壺酒(こしゅ)を提(と)りて高円(たかまと)の野に登り、いささかに所心(おもひ)を述べて作る歌三首>である。

 

◆乎美奈弊之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽

                  (大伴家持 巻二十 四二九七)

 

≪書き下し≫をみなへし秋萩しのぎさを鹿(しか)の露別(わ)け鳴かむ高円の野ぞ

 

(訳)おみなえしや秋萩を踏みしだき、雄鹿がしとどに置く露を押し分け押し分け、やがて鳴き立てることであろう、この高円の野は。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

 四三一五から四三二〇歌の歌群の左注は、「右の六首は、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持、独り秋野を憶(おも)ひて、いささかに拙懐(せつくわい)を述べて作る」である。

 

◆多可麻刀能 宮乃須蘇未乃 努都可佐尓 伊麻左家流良武 乎美奈弊之波母

               (大伴家持 巻二十 四三一六)

 

≪書き下し≫高円の宮の裾廻(すそみ)の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも

 

(訳)高円の宮のあちこちの高みで、今頃盛んに咲いているであろう、あのおみなえしの花は、ああ。(同上)

(注)すそみ【裾回・裾廻】名詞:山のふもとの周り。「すそわ」とも。 ※「み」は接尾語。(学研)

(注)のづかさ【野阜・野司】名詞:野原の中の小高い丘。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その37改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

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 「をみなへし」で「佐紀」に懸る枕詞として使われているのは面白い。「佐紀」と「咲き」うまく結びつけたものである。おもしろいと自分の歌にも取り入れて歌に幅を持たしているところに万葉集の果たす役割が大きい。

万葉集は歌物語的娯楽性を有しつつ、歌のテキストとしての機能も果たしている。

漢字表記も「娘部志」、「姫部思」、「佳人部為」、「美人部師」と美しい女性を思わせるところがにくい。一字一音表記でも「乎美奈敝之」と「美」を使っているのは、書き手の気持ちが表れていて微笑ましく思えるのである。。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「みんなの趣味と園芸」 (NHK出版HP)

★「weblio辞書 Wiktionary<日本語版>」