万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(1179)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(139)―万葉集 巻九〇二

●歌は、「水沫なす微き命も拷縛の千尋にもがとねがひくらしつ」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(139)万葉歌碑<プレート>(山上憶良



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(139)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 ◆水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都

                    (山上憶良 巻五 九〇二)

 

≪書き下し≫水沫(みなわ)なす微(もろ)き命も栲縄(たくなは)の千尋ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ

 

(訳)水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものの、楮(こうぞ)の綱のように千尋ちひろ)の長さほどもあってほしいと願いながら、今日もまた一日を送り過ごしてしまった。(伊藤博著「万葉集 一」(角川ソフィア文庫)より)

(注)みなわ【水泡】:水の泡。はかないものをたとえていう。

(注)たくなわ【栲縄】:楮(こうぞ)などの繊維で作った縄。

(注)ちひろ千尋】:両手を左右に広げた長さ。非常な深さ・長さにいう語。

 

 

 この歌は、題詞、「老身重病經年辛苦及思兒等歌七首  長一首短六首」(老身に病を重ね、経年辛苦し、児等を思ふに及(いた)る歌七首 長一首短六首)のある短歌六首のうちの一つである。

 

 長歌(八九七歌)ならびに短歌(八九八から九〇三歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その44改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 この歌群(倭歌)は、漢文「沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)」と題詞「悲歎俗道假合即離易去難留詩一首幷序」<俗道(ぞくだう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留(とど)みかたきことを悲歎(かな)しぶる詩一首幷(あは)せて序>とある漢詩の三部作になっている。

 山上憶良の生涯の総決算ともいうべき作品群である。

 老齢の身の憶良を襲った病魔、老いたる姿も「言語」というツールのみでリアルに描き、自暴自棄的な心境を客観的に見て、苦しみの中で悶絶しつつも子供に思いをめぐらし冷静さを呼び戻している。

 これ程まで重い歌が世に存在するのであろうか。

 

 「沈痾自哀文」をかいつまんでみてみよう。

 

 「我れ胎生(たいしやう)より今日(このひ)までに、自ら修善(しゆぜん)の志あり、かつての作悪(さあく)の心なし。≪私は母の胎内を出てこの方、みずから修業をして善行を積もうとする志を持ち、ついぞ悪事をなそうという心を抱いたことがない。≫」・・・「三宝を礼拝し」「百神を敬重し」てきたのに、「我れ何の罪を犯(をか)せばかこの重き疾(やまひ)に遭(あ)へる。≪私はどんな罪悪を犯した報いでこんな重い病に襲われることになったのか≫」・・・「ただに年老いたるのみにあらず、またこの病を加ふ。≪単に年老いたばかりか、さらにこんな病を加える身となった≫」・・・「四支(しし)動かず、百節(ひやくせつ)みな疼(いた)み、身体はなはだ重きこと、鈞石(きんせき)を負えるがどとし。≪手足は動かず、関節という関節は悉く痛み、体中の甚だ重いことは、鈞石(おもり)を背負っている感じだ。≫」・・・「布に懸りて立たむと欲(おも)へば、折翼(せつよく)の鳥(とり)のごとし、杖(つゑ)に倚(よ)りて歩(あゆ)まむとすれば、跛足(ひそく)の驢(うさぎうま)のごとし。≪天井からの布にすがって立とうとすると、翼の折れた鳥のようだし、杖を頼りに歩こうとすると、足を披(ひ)きずる驢馬(ろば)のようだ。≫」・・・「今し吾れ、病に悩まさえ、臥坐(ぐわざ)することを得ず。かにかくに、なすところを知ることなし。福(さき)はひなきことの至りて甚だしき、すべて我に集まる。≪今や、私は、病に悩まされ、臥(ふ)したり座ったりすることもままならない。どうにもこうにも、なすすべを知らない。不幸の最たるものが、すべてこの私に集まっている。≫」(訳は「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫によっている)

(注)跛足(ひそく)>「跛」:片方の足に故障があって、歩くときに釣り合いがとれないこと。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)ろ【驢】〘名〙 =ろば(驢馬)(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 続いて漢詩をみてみよう。

 

◆俗道變化猶撃目 人事経紀如申臂 空与浮雲行大虚 心力盡共無所寄

 

≪書き下し≫俗道の変化(へんくわ)は撃目(けきもく)のごとし、

      人事の経紀(けいき)は申臂(しんび)のごとし。

      空(むな)しく浮雲(ふうん)と大虚(たいきよ)を行き、

      心力(しんりき)ともに尽きて寄るところなし。

 

(訳)現世の道程の変転はまばたくほどの短さであるし、人間の生きる死ぬる常理は臂(ひじ)を伸ばすほどの短さである。まさに浮雲とともに空しく大空を漂う思いで、心の力も尽き果てて、我が身を寄せる所とてない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)二

 

 

 そして、倭歌で「・・・老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 許等ゝゝ波 斯奈ゝ等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 宇都弖ゝ波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 可尓久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由」と詠っているのである。

 

≪書き下し≫・・・老(お)いにてある 我(あ)が身の上(うへ)に 病(やまひ)をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜(よる)はも 息(いき)づき明(あ)かし 年長く 病(や)みしわたれば 月重ね 憂(う)へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さはえ)なす 騒(さわ)く子どもを 打棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃(も)えぬ かにかくに 思ひ煩(わづら)ひ 音(ね)のみし泣かゆ

 

 

(訳)・・・老いさらばえて息づくこの私の身の上に病魔まで背負わされている有様なので、昼は昼で嘆き暮らし、夜は夜で溜息(ためいき)ついて明かし、年久しく思い続けてきたので、幾月も愚痴ったりうめいたりして、いっそのこと死んでしまいたいと思うけれども、真夏の蠅(はえ)のように騒ぎ回る子供たち、そいつをほったらかして死ぬことはとてもできず、じっと子供たちを見つめていると、逆に生への熱い思いが燃え立ってくる。こうして、あれやこれやと思い悩んで、泣けて泣けてしょうがない。(同上)

 

 「年長く 病(や)みしわたれば 月重ね 憂(う)へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さはえ)なす 騒(さわ)く子どもを 打棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃(も)えぬ」少しはほっとさせらえるが、憶良の経済力を考えるとやるせない気持ちになる。それにしても重い重い重い歌群である。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『たく』・『たへ』・『ゆふ』は『楮(コウゾ)』のことで、野生種の高さは3~5メートルあり、山野に自生の雌雄同株の落葉低木で栽培も栽培もされる。(中略)古くは樹皮の繊維で楮布(コウゾフ)を織ったが、今では和紙の原料としてなくてはならない物である。『たく』は万葉集では『たへ』・『ゆふ』という言葉と同じ使い方がされており、それらを合わせると140首以上もの歌に登場する。観光地の『由布院(ユフイン)町』の命名奈良時代この地に『栲(タク)』の木が多く群生し、その木の皮で作った『木綿(ユウ)』に由来するらしい。」と書かれている。

 

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楮(コウゾ) weblio辞書 デジタル大辞泉より引用させていただきました。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代十一章」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉