万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1182)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(142)―万葉集 巻十四 三四四四

●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(142)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(142)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢

               (作者未詳 巻十四 三四四四)

 

≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね

 

(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみる)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)茎韮(くくみら):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。

(注)なふ 助動詞特殊型:《接続》動詞の未然形に付く。〔打消〕…ない。…ぬ。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。

東歌には、このような生活に密着した歌が多いのである。同じ働くなら明るく楽しくといった感じで、歌われ、共感に価する歌は歌い継がれ、また伝播していったものと思われる。

掛け合い的な歌やリズミカルな歌が多いのは、集団で作業することが多かったからであろう。今では機械化されて歌どころではないが、田植え歌や茶摘み歌といったものを思い浮かべるとその背景が少しは理解できるのである。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その322)」で紹介している。

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次の歌をみてみよう。

 

◆筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母

                 (作者未詳 巻十四 三三五一)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)に雪かも降(ふ)らるいなをかも愛(かな)しき子(こ)ろが布(にの)乾(ほ)さるかも

 

(訳)筑波嶺に雪が降っているのかな、いや、違うのかな。いとしいあの子が布を乾かしているのかな。(同上)

(注)降らる:「降れる」の東国形。

(注)いなをかも【否をかも】分類連語:いや、そうではないのかな。違うのだろうか。 ⇒

なりたち 感動詞「いな」+間投助詞「を」+係助詞「かも」(学研)

(注)ニノ:「ヌノ」の訛り。

(注)乾さる:「乾せる」の東国形。

 

 この歌(常陸国の歌)に関して、犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」(新潮文庫)の中で「昔の常陸国武蔵国というのは、貢物として布を多く出していたところなんです。だからこれは、そういう布を晒す人たちの間でうたわれた歌であり、生活の必要が生んだ歌、(中略)だからこれは労働作業歌。」と書かれている。

 

 

 

 

◆多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎

                  (作者未詳 巻十四 三三七三)

 

≪書き下し≫多摩川(たまがは)にさらす手作(てづく)りさらさらになにぞこの子のここだ愛(かな)しき

 

(訳)多摩川にさらす手織の布ではないが、さらにさらに、何でこの子がこんなにもかわいくってたまらないのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「さらさらに」を起こす。

(注)さらす【晒す・曝す】他動詞:①外気・風雨・日光の当たるにまかせて放置する。②布を白くするために、何度も水で洗ったり日に干したりする。③人目にさらす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意

(注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研) ここでは②の意

 

 リズミカルで、心情そのままの思いを詠っている。労働作業歌であろう。

 もう一首みてみよう。

 

◆可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟

                  (作者未詳 巻十四 三四〇四)

 

≪書き下し≫上つ毛野(かみつけの)安蘇(あそ)のま麻群(そむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ

 

(訳)上野の安蘇の群れ立つ麻、その麻の群れを抱きかかえて引き抜くように、しっかと抱いて寝るけれど、それでも満ち足りない。ああ、俺はどうしたらいいのか。(同上)

(注)上野 分類地名:旧国名東山道十三か国の一つ。今の群馬県。古くは「下野(しもつけ)」と共に毛野(けの)の国に属していたが、大化改新のとき分かれて「上毛野」となった。上州(じようしゆう)。 ※「かみつけの(上毛野)」↓「かみつけ」↓「かうづけ」と変化した語。(学研)

(注)安蘇:安蘇は麻緒(アサオ)の略かもしれません。麻を産するため、この名前があると和名抄は解しています。下野国志にも安蘇の名前は麻より出でしとあり、現に馬門に麻田明神があります。(佐野市HP)

(注)あど 副詞:どのように。どうして。 ※「など」の上代の東国方言か。(学研)

 

  麻の産地安蘇の労働作業歌であろう。

 「安蘇のま麻群(そむら)」「かき抱(むだ)き」「寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ」のこのリズム感が心地良い。

 歌の内容は、麻の大きな束をしっかりと抱きかかえているように、いとしい子を抱きしめて寝ても、寝ても、寝ても寝たりない、わたしゃどうしたらいいのかね、と詠っている。実際の体験そのものをある意味素直に詠っているのである。露骨と言えばそれまでであるが、生き生きとして、それでいて下品さをみじんも感じさせない。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1071)」で紹介している。

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 これらの歌は、東国の地名、方言や訛り、発想の素朴性など。「東歌」の要件は満たしている。民謡とか労働歌を考えてみると「五七五七七」という枠に必ずしも捉われていない。

しかし、巻十四の「東歌」は完璧なまでに「五七五七七」にはまっている。ここに労働歌や民謡が「五七五七七」枠に東歌ぽく再構築されたのではないかと言う疑問が生じて来る。

 

神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、「決定的なのは、東歌が定型短歌に統一されているという動かしがたい事実」と、ズバッと言い切られ、労働に結びついた、あるいは素朴な性愛表現や方言などを有していることについては、「古代宮廷が、世界の組織の証として東国の風俗歌舞をもとめたものであって、東国性をよそおうことがそこでは必要だった」(同著)と書かれておられる。

 労働に結びついた等の特異な内容に、東国の地名、さらには方言といった要素を「東国の在地性」という言葉で表現されている。

 そして、万葉集における「巻十四の位置づけ」について、「東国にも定型の短歌が浸透しているのを示すということです。それは中央の歌とは異なるかたちであらわれて東国性を示しますが、東歌によって、東国までも中央とおなじ定型短歌におおわれて、ひとつの歌の世界をつくるものとして確認されることとなります。そうした歌の世界をあらしめるものとして東歌の本質を見るべきです。それが『万葉集』における巻十四なのです」と述べられている。

 

 万葉集の一つの力を見せつけられたように思う。

 万葉集は、単なる歌集ではない。秘めたる力を垣間見たように感じられた。

 

 

 春日大社神苑萬葉・植物解説板によると、「『みら』は『韮(ニラ)』の古名で『コミラ』・『フタモジ』の異名もあり中国の南西部が原産地で、古来より葉を野菜として食べるために畑で栽培された多年草である。ニンニク・ネギ・ヒルラッキョウと共に『五葷(ゴクン)』と呼ばれ、匂いの強い5種の野菜の一つである。『くくみら』はニラの花茎のことで『茎韮(クキニラ)』の意味である。(後略)」と書かれている。

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「ニラ」:「園芸通信」(サカタのタネHP)より引用させていただきました。

 

 話がそれますが、ニラといえば、以前、岡山に出張した時に、黄ニラ寿司を食べたことがあった。やわらかく甘みがあっておいしかった記憶がある。あれ以来、めったにお目にかからないが、店頭で見つけた時は買い求めるようにしている。

黄ニラは、トンネル栽培などで日光を遮断して作るそうである。

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「黄ニラ」 JA晴れの国岡山より引用させていただきました。

 廣野 卓氏は、その著「食の万葉集」(中公新書)の中で、三四四四歌に関して、「籠一杯つんだニラは、その日のうちに食べきれるものではない。塩漬けなどにして貯蔵するためにつんでいるのである。(中略)古代では主食にかぎらず、漬けものや魚介類の干ものなど、収穫期に一年間の食料を確保するという切実な問題をかかえていた。そのために青菜の漬けものなどが底をつく早春は、若菜の芽生えがまたれるのである。」と書かれている。

 

 歌を通して当時の生活様式などを知ることができる。口誦から記録への過渡期にあった万葉集は、っと思わずうなってしまう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「園芸通信」(サカタのタネHP)

★「JA晴れの国岡山」