●歌は、「紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の衢に逢へる児や誰(三一〇一歌)」と
「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか(三一〇二歌)」である。
●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(144)にある。
●歌をみていこう。
◆紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十衢尓 相兒哉誰
(作者未詳 巻十二 三一〇一)
≪書き下し≫紫(むらさき)は灰(はい)さすものぞ海石榴市(つばきちの)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる子や誰(た)れ
(訳)紫染めには椿の灰を加えるもの。その海石榴市の八十の衢(ちまた)で出逢った子、あなたはいったいどこの誰ですか。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)上二句「紫者 灰指物曽」は懸詞の序で、「海石榴市」を起こす。 ※紫染には、媒染材として椿の灰をつかった。
(注)はひさす【灰差す】分類連語:紫色を染めるのに椿(つばき)の灰を加える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)海石榴市:桜井市金屋。著名な歌垣の地。
(注)衢(ちまた):分かれ道や交差点のことで、道がいくつにも分かれている所は「八衢(やちまた)」と呼ばれていた。海石榴市は四方八方からの主要な街道が交差している場所なので、「八十(やそ)の衢(ちまた)」と表現された。(「万葉のうた 第3回 海石榴市(つばいち)」 奈良県HP)
部立「問答歌」とあり、この歌と次の歌がセットになっている。
◆足千根乃 母之召名乎 雖白 路行人乎 孰跡知而可
(作者未詳 巻十二 三一〇二)
≪書き下し≫たらちねの母が呼ぶ名を申(まを)さめど道行く人を誰と知りてか
(訳)母さんの呼ぶたいせつな私の名を申してよいのだけれど、道の行きずりに出逢ったお方を、どこのどなたと知って申し上げたらよいのでしょうか。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)母が呼ぶな名:母が呼ぶ本名。
(注)む 助動詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。(学研)
三一〇一歌は、歌垣で求婚を申し出ている。当時は名前を尋ねることは求婚を意味し、女性が名前を教えることは結婚を承諾するということである。三一〇二歌で、教えたいけど教えられない、と申し込みをやんわりことわっている。
「紫(むらさき)は灰(はい)さすものぞ海石榴市(つばいちの)の」と染の技術に関わることをさらっと歌うことに驚きを隠せない。当時としては、歌垣での歌と考えると、洒落た言い回しとしてある程度定着していたのかもしれない。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その
「海石榴市」を詠んだ歌がもう一首収録されているのでみてみよう。
◆海石榴市之 八十衢尓 立平之 結紐乎 解巻惜毛
(作者未詳 巻十二 二九五一)
≪書き下し≫海石榴市(つばきち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に立ち平(なら)し結びし紐(ひも)を解(と)かまく惜(を)しも
(訳)海石榴市のいくつにも分かれる辻(つじ)に立って、広場を踏みつけ踏みつけして躍った時に結び合った紐、この紐を解くのは惜しくてならない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)まく:…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。 ⇒語法 活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その59改、60改)」で紹介している。
ここでは、桜井市金屋の歌碑とともに紹介している。
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「市」について、古橋信孝氏は、その著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で、「八十の衢とは、いくつもの道が出会う場所である。市とは本来そういう所にたった。・・・それぞれの道の先にはいくつかの共同体があるということで、共同体同志が出会う特殊な場所ということである。・・・ある共同体にとって別の共同体は異界だった。・・・市では、たがいの共同体を象徴する物を交換することで、それぞれが異界との交流を明確にした。そういう特殊な空間が市だったのである。だから市での出逢いは特殊なもので、異郷の男との出逢い」の場であった。血が遠い者との結婚がなりたっていたのである。
市での歌垣は、そういう出逢いの場を提供する役目も果たしていたのである。
大和には古道の衢に海石榴市や軽市があったと知られているが、平城京の成立とともに官市が設けられた。東市と西市があった。
(注)軽市:奈良県橿原市石川町付近にあった古代の市。大化の改新以後奈良時代にかけて最も繁栄。畝傍 (うねび) 山南部一帯は軽と呼ばれ、古くから開発が進んで集落が発達し、経済的先進地域で市も繁栄した。(コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版)
平城京の東市に関わる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その23改)」で紹介している。
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同様に西市についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その384)」で紹介している。
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柿本人麻呂が、亡妻を偲んで「軽市」の雑踏にたたずむ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その140改)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版」