万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1184)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(144)―万葉集 巻十二 三一〇一、三一〇二

●歌は、「紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の衢に逢へる児や誰(三一〇一歌)」と

「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか(三一〇二歌)」である。

f:id:tom101010:20211003194024j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(144)万葉歌碑(作者未詳)



●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(144)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十衢尓 相兒哉誰

              (作者未詳 巻十二 三一〇一)

 

≪書き下し≫紫(むらさき)は灰(はい)さすものぞ海石榴市(つばきちの)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる子や誰(た)れ

 

(訳)紫染めには椿の灰を加えるもの。その海石榴市の八十の衢(ちまた)で出逢った子、あなたはいったいどこの誰ですか。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「紫者 灰指物曽」は懸詞の序で、「海石榴市」を起こす。 ※紫染には、媒染材として椿の灰をつかった。

(注)はひさす【灰差す】分類連語:紫色を染めるのに椿(つばき)の灰を加える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)海石榴市:桜井市金屋。著名な歌垣の地。

(注)衢(ちまた):分かれ道や交差点のことで、道がいくつにも分かれている所は「八衢(やちまた)」と呼ばれていた。海石榴市は四方八方からの主要な街道が交差している場所なので、「八十(やそ)の衢(ちまた)」と表現された。(「万葉のうた 第3回 海石榴市(つばいち)」 奈良県HP) 

 

 部立「問答歌」とあり、この歌と次の歌がセットになっている。

 

◆足千根乃 母之召名乎 雖白 路行人乎 孰跡知而可

                (作者未詳 巻十二 三一〇二)

 

≪書き下し≫たらちねの母が呼ぶ名を申(まを)さめど道行く人を誰と知りてか

 

(訳)母さんの呼ぶたいせつな私の名を申してよいのだけれど、道の行きずりに出逢ったお方を、どこのどなたと知って申し上げたらよいのでしょうか。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)母が呼ぶな名:母が呼ぶ本名。

(注)む 助動詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。(学研)

 

三一〇一歌は、歌垣で求婚を申し出ている。当時は名前を尋ねることは求婚を意味し、女性が名前を教えることは結婚を承諾するということである。三一〇二歌で、教えたいけど教えられない、と申し込みをやんわりことわっている。

 

「紫(むらさき)は灰(はい)さすものぞ海石榴市(つばいちの)の」と染の技術に関わることをさらっと歌うことに驚きを隠せない。当時としては、歌垣での歌と考えると、洒落た言い回しとしてある程度定着していたのかもしれない。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その

 

 「海石榴市」を詠んだ歌がもう一首収録されているのでみてみよう。

 

◆海石榴市之 八十衢尓 立平之 結紐乎 解巻惜毛

                  (作者未詳 巻十二 二九五一)

 

≪書き下し≫海石榴市(つばきち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に立ち平(なら)し結びし紐(ひも)を解(と)かまく惜(を)しも

 

(訳)海石榴市のいくつにも分かれる辻(つじ)に立って、広場を踏みつけ踏みつけして躍った時に結び合った紐、この紐を解くのは惜しくてならない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まく:…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。 ⇒語法 活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その59改、60改)」で紹介している。

ここでは、桜井市金屋の歌碑とともに紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「市」について、古橋信孝氏は、その著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で、「八十の衢とは、いくつもの道が出会う場所である。市とは本来そういう所にたった。・・・それぞれの道の先にはいくつかの共同体があるということで、共同体同志が出会う特殊な場所ということである。・・・ある共同体にとって別の共同体は異界だった。・・・市では、たがいの共同体を象徴する物を交換することで、それぞれが異界との交流を明確にした。そういう特殊な空間が市だったのである。だから市での出逢いは特殊なもので、異郷の男との出逢い」の場であった。血が遠い者との結婚がなりたっていたのである。

市での歌垣は、そういう出逢いの場を提供する役目も果たしていたのである。

 

 大和には古道の衢に海石榴市や軽市があったと知られているが、平城京の成立とともに官市が設けられた。東市と西市があった。

(注)軽市:奈良県橿原市石川町付近にあった古代の市。大化の改新以後奈良時代にかけて最も繁栄。畝傍 (うねび) 山南部一帯は軽と呼ばれ、古くから開発が進んで集落が発達し、経済的先進地域で市も繁栄した。(コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版)

 

平城京の東市に関わる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その23改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

同様に西市についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その384)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

柿本人麻呂が、亡妻を偲んで「軽市」の雑踏にたたずむ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その140改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版」