万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1185)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(145)―万葉集 巻二十 四一〇六

●歌は、「・・・世の人の立てる言立てちさの花咲ける盛りにはしきよしその妻と子と・・・」である。

f:id:tom101010:20211004142630j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(145)万葉歌碑<プレート>(大伴家持



●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(145)にある。

 

●歌をみていこう。

春日大社神苑萬葉植物園シリーズ最終歌碑(プレート)である。

 

◆於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良无 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐   言佐夫流者遊行女婦之字也

              (大伴家持 巻十六 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言い継(つ)ぎけらく 父母を 見れば尊(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛もあらむと 待たしけむ 時の 盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹(いも)が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ) 溢(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 佐夫流(さぶる)その子に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ   左夫流と言ふは遊行女婦が字なり

 

(訳)大汝命と少彦名命(みこと)が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見ると尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風(ふう)に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、言葉どおりに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時にほほ笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の花の盛りのように栄える時もあろう」という言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞさびしいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくてうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつきあって、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底に深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何とまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちさ【萵苣】名詞:木の名。えごのき。初夏に白色の花をつける。一説に「ちしゃのき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。※上代語。(学研) ⇒参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

(注)ゑむ 【笑む】①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)ことよす【言寄す・事寄す】①言葉や行為によって働きかける。言葉を添えて助力する。②あるものに託す。かこつける。③うわさをたてる。➡ここでは①の意(学研)

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研)

(注)ひものおの【紐の緒の】 枕詞 :① 紐を結ぶのに、一方を輪にして他方をその中にいれるところから、「心に入る」にかかる。 ② 紐の緒をつなぐことから、比喩的に「いつがる」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林

(注)いつがる【い繫る】つながる。自然につながり合う。「い」は接頭語。(学研)

(注)にほどりの【鳰鳥の】枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

(注)さどはす【文語】ハ行四段活用の動詞「さどう」の未然形である「さどは」に、使役の助動詞「す」が付いた形。(weblio辞書 日本語活用形辞書)>さどふ:〔自ハ四〕 迷う、また、愛におぼれる、の意か。(weblio辞書 精選版日本国語大辞典

(注)すべもすべなさ【術も術なさ】分類連語:どうにもしようがないことだ。

※「すべなし」を強めたもの。(学研)

 

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その473)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『やまぢさ』は山に生えている『ちさ』の意味で『岩煙草(イワタバコ)』・『えごの木』などの説が措定される。

 『えごの木』は山地や雑木林などに多い落葉高木で、高さは7~15メートルになる。初夏に小枝の先に5~6個の5弁の星型の白い小花が下に垂れて咲く。花は一度に咲き乱れ、咲き終わると楕円形のかわいい小粒の実がぶら下がる。名の由来はこの実の皮に『エゴサポニン』という成分が含まれており、のどを刺激して『えぐい』ことに由来する。(中略)又『えごの木』は昔、傘の『ろくろ』を作る材料になっていたことから『ろくろの木』の別名がある。別名に『ちさ』・『ちさのき』・『ずさのき』・『ちしゃ』・『ちしゃのき』などの呼び名も残っている。」と書かれている。

f:id:tom101010:20211004142838p:plain

エゴノキ」 weblio辞書 デジタル大辞泉より引用させていただきました。

 

この歌ならびに反歌三首、「同じき月の十七日」の家持の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦ください。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 上司として家持は、淡々と尾張少咋(をはりのをくひ)の不倫の不条理を詠い、奥さんの気持ちを「いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく」と代弁し、「さどはせる 君が心の すべもすべなさ」と一刀両断している。

 結句の重みは少咋には相当の効き目であっただろう。

 

 かかる顛末まで万葉集には収録されている。歌物語としての側面と万葉集としての裾野の広さ、懐の深さを感じざるをえない。

 ますます引き込まれている。

 

 今回で、春日大社神苑萬葉植物園シリーズは終わりである。

 植物が中心であるので、どうしてもこれまでの歌と重複してくる。しかし歌を読み返し、関連事項を掘り下げて行けばなんとかブログとして体をなしたのではないかと自負している。

 これからも重複する歌が結構登場してくるが、歌を見る角度、歌の視線の先、隠れているであろう事柄などにせまり、楽しく付き合って行きたいものである。

 

 拙いブログにお付き合いいただいている皆様方の温かい思いやりを励みの前に前に進んでまいります。

 これからもよろしくお付き合いくださいますようお願い申し上げます。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物説明板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 精選版日本国語大辞典

★「weblio辞書 日本語活用形辞書」