万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1186)―奈良県天理市萱生町―万葉集 巻七 一〇八八

●歌は、「あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳にい雲立ちわたる」である。

f:id:tom101010:20211005203125p:plain

奈良県天理市萱生町万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、奈良県天理市萱生町(かようちょう)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は「雲を詠む」であり、一〇八八の左注に「右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出」(右の二首は柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ)とある。

 

◆足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡

                 (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇八八)

 

≪書き下し≫あしひきの山川(やまがは)の瀬の鳴るなへに弓月(ゆつき)が岳(たけ)にい雲立ちわたる

 

(訳)山川(やまがわ)の瀬音(せおと)が高鳴るとともに、弓月が岳に雲が立ちわたる。

(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)弓月が岳:三輪山東北の巻向山の最高峰、

(注)なへ 接続助詞 《接続》活用語の連体形に付く。:〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は「雲を詠む」である。左注は、「右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」とある。

 

 一〇八七歌もみてみよう。

 

◆痛足河 ゝ浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志

                  (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇八七)

 

≪書き下し≫穴師川(あなしがは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月が岳(ゆつきがたけ)に雲居(くもゐ)立てるらし

 

(訳)穴師の川に、今しも川波が立っている。巻向の弓月が岳に雲が湧き起っているらしい。(同上)

 一〇八七,一〇八八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その69改)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「弓月が岳」を詠んだ歌をもう一首みてみよう。

 

◆玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏▼

                  (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一六)

  ▼は「雨かんむり」に「微」である。「霞霏▼」で{かすみたなびく}

 

≪書き下し≫玉かぎる夕(ゆふ)さり来(く)ればさつ人(ひと)の弓月が岳に霞たなびく

 

(訳)玉がほのかに輝くような薄明りの夕暮れになると、猟人(さつひと)の弓、その弓の名を負う弓月が岳に、いっぱい霞がたなびいている。(同上)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)さつひとの【猟人の】分類枕詞:猟師が弓を持つことから「弓」の同音を含む地名「ゆつき」にかかる。「さつひとの弓月(ゆつき)が嶽(たけ)」 ※「さつひと」は猟師の意。(学研)

 

 

 一〇八八歌の(注)に弓月が岳について「三輪山東北の巻向山の最高峰」となっていたが、巻向山を調べてみよう。

 「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」に次のように書かれている。

「まきむくやま【巻向山】:奈良県桜井市の北部,三輪山の北東にある山。標高567m。〈纏向山〉とも書く。2峰からなり,《万葉集》に詠まれる弓月ヶ嶽(ゆつきがたけ)(由槻ヶ嶽)はこの一峰にあてられる。またこの付近の山を含めて巻向山とよぶ。西麓は垂仁天皇の纏向珠城(たまき)宮,景行天皇の纏向日代(ひしろ)宮が置かれたと推定される地。付近には山辺(やまのべ)の道が通り,巻向山に発し南西流して初瀬(はせ)川に注ぐ巻向川とともに古来,歌に詠まれている。」

 

 「巻向山」や「三室の山」を詠んだ、題詞「山を詠む」として一〇九二から一〇九四歌が収録されている。左注に「右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」とある。

 歌をみてみよう。

 

◆動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨

               (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇九二)

 

≪書き下し≫鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも

 

(訳)噂にだけ聞いていた纏向の檜原の山、その山を、今日この目ではっきり見た。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)なるかみの【鳴る神の】分類枕詞:「雷の」の意から、「音(おと)」にかかる。(学研)

(注の注)なるかみ【鳴る神】名詞:かみなり。雷鳴。[季語] 夏。 ⇒参考 「かみなり」は「神鳴り」、「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。(学研)

 

 当時、巻向の檜原の山と言えば、誰一人知らないものはいないほどであったのだろう。雷鳴のような評判を聞いているとの歌いだしが物語っている。

 

 

◆三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜

               (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇九三)

 

≪書き下し≫みもろのその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継(つ)ぎのよろしも

 

(訳)三輪山のその山並(やまなみ)にあって、いとしい子が手をまくという名の巻向山は、並び具合がたいへんに好ましい。(同上)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神野語座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など、特に、「三輪山(みわやま)にいうこともある。また、神坐や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語(学研)

(注)こらがてを【児等が手を】[枕]妻や恋人の腕を巻く(=枕にする)の意から、「巻く」と同音の部分を含む地名「巻向山(まきむくやま)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)つぎ【継ぎ・続ぎ】名詞:①続くこと。続きぐあい。②跡継ぎ。世継ぎ。(学研)ここでは①の意

 

◆我衣 色取染 味酒 三室山 黄葉為在

               (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇九四)

 

≪書き下し≫我が衣ににほひぬべくも味酒(うまさけ)三室(みむろ)の山は黄葉(もみち)しにけり

 

(訳)私の着物が美しく染まってしまうほどに、三輪の山は見事に黄葉している。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)ぬべし 分類連語:①〔「べし」が推量の意の場合〕きっと…だろう。…てしまうにちがいない。②〔「べし」が可能の意の場合〕…できるはずである。…できそうだ。③〔「べし」が意志の意の場合〕…てしまうつもりである。きっと…しよう。…てしまおう。④〔「べし」が当然・義務の意の場合〕…てしまわなければならない。どうしても…なければならない。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「ぬ」の終止形+推量の助動詞「べし」(学研)

 

 一〇九三歌では、山並の重なり具合を、一〇九四歌では黄葉する情景を詠い上げている。

 

 この三首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その66改)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

f:id:tom101010:20211005203855p:plain

「巻向山」の位置 (グーグルマップから引用作成いたしました)



 

 

 次の二首もみてみよう。

 

◆兒等手乎 巻向山者 常在常 過徃人尓 徃巻目八方

                  (柿本人麻呂歌集 巻七 一二六八)

 

≪書き下し≫子らが手を巻向山(まきむくやま)は常(つね)にあれど過ぎにし人に行きまかめやも

 

(訳)いとしい子の手を枕(ま)くという名の巻向山は昔と変わらずに聳(そび)えているけれど、この世をあとにした人を訪れてその手を枕にすることはもうできない。(同上)

(注)こらがてを【児等が手を】[枕]妻や恋人の腕を巻く(=枕にする)の意から、「巻く」と同音の部分を含む地名「巻向山(まきむくやま)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)過ぎにし人:巻向山にいいた亡き妻。

 

 

◆巻向之 山邊響而 徃水之 三名沫如 世人吾等者

                  (柿本人麻呂歌集 巻七 一二六九)

 

≪書き下し≫巻向(まきむく)の山辺(やまへ)響(とよ)みて行く水の水沫(みなわ)のごとし世の人我(わ)れは

 

(訳)巻向の山辺を鳴り響かせ流れ行く川、その川面の水泡のようなものだ。うつせみの世の人であるわれらは。(同上)

(注)みなわ【水泡】名詞:水の泡。はかないものをたとえていう。 ※「水(み)な泡(あわ)」の変化した語。「な」は「の」の意の上代の格助詞(学研)

 

 一二六八歌では、「山」に、一二六九歌では「水」に即して思いを述べている。

 

 人麻呂の生活圏を考えると巻向あたりに「隠れ妻」がいたのではと思われる。

 柿本人麻呂歌集の万葉集における位置づけについても、また歌集歌が人麻呂作かなど諸説がある。人麻呂の終焉の地とされる「石見」についてもしかりである。

 折に触れ、このような難題にも少しは向き合っていきたいものである。

 まだまだ歌碑の歌を通して見るのが精いっぱいであるが挑戦していきたいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「グーグルマップ」