万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1187)―和歌山県白浜町 平草原公園―万葉集 巻四 四九六~四九九

●歌は、

「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも(巻四 四九六)、

「いにしへにありけむ人も我がごとか恋ひつつ寐寝か(巻四 四九七)、

「今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音にさへ泣きし(巻四 四九八)、

「百重にも来及かぬかもと君が使の見れど飽かずあらむ(巻四 四九九)」である。

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和歌山県白浜町 平草原公園万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、和歌山県白浜町 平草原公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌四首」<柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が歌四首>である。

 

◆三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

               (柿本人麻呂 巻四 四九六)

 

≪書き下し≫み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 

(訳)み熊野(くまの)の浦べの浜木綿(はまゆう)の葉が幾重にも重なっているように、心にはあなたのことを幾重にも思っているけれど、じかには逢うことができません。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)み熊野の浦:紀伊半島南部一帯。「み」は美称。

(注)はまゆふ【浜木綿】名詞:浜辺に生える草の名。はまおもとの別名。歌では、葉が幾重にも重なることから「百重(ももへ)」「幾重(いくかさ)ね」などを導く序詞(じよことば)を構成し、また、幾重もの葉が茎を包み隠していることから、幾重にも隔てるもののたとえともされる。よく、熊野(くまの)の景物として詠み込まれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は「心は思へど」の譬喩

 

 続く三首もみてみよう。

 

 

◆古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟

               (柿本人麻呂 巻四 四九七)

 

 

≪書き下し≫いにしへにありけむ人も我(あ)がごとか妹(いも)に恋ひつつ寐寝(いね)かてずけむ

 

(訳)いにしえ、この世にいた人も、私のように妻恋しさに夜も眠れぬつらさを味わったことであろうか。(同上)

(注)かてぬ 分類連語:…できない。…しにくい。 ※なりたち補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形(学研)

 

 

◆今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四

               (柿本人麻呂 巻四 四九八)

 

≪書き下し≫今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音(ね)にさへ泣きし

 

(訳)恋に悩むのは今の世だけのことではありません。それどころか、いにしえの人は、堪えかねて声をさえ立てて泣いては、もっともっと苦しんだものです。(同上)

(注)まさる 自動詞:(数量や程度などが)多くなる。ふえる。(学研)

(注)ね【音】名詞:音。なき声。ひびき。▽情感のこもる、音楽的な音。(人や動物の)泣(鳴)き声や、楽器などの響く音。 ※参考「ね」と「おと」の違い 「ね」が人の心に響く音であるのに対して、「おと」は雑音的なものを含め、風や鐘の音など比較的大きい音をいう。(学研)

 

 

◆百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有武

               (柿本人麻呂 巻四 四九九)

 

≪書き下し≫百重(ももへ)にも来(き)及(し)かぬかもと思へかも君が使(つかひ)の見れど飽かずあらむ

 

(訳)幾重にも重ねてひっきりなしに来て欲しいと思うせいで、あなたのお使いを見ても見ても見飽きないのでしょうか。(同上)

(注)ぬかも 分類連語:〔多く「…も…ぬかも」の形で〕…てほしいなあ。…てくれないかなあ。▽他に対する願望を表す。 ※上代語。 なりたち:打消の助動詞「ず」の連体形+疑問の係助詞「か」+詠嘆の終助詞「も」(学研)

 

 

 この四首は、四九六、四九七歌が、夫の贈歌であり、四九八、四九九歌が妻の答歌である。人麻呂の創作によるものである。

 なお、四九六と四九九歌が、四九七と四九八歌が対応し合っている。並べて読んでみるとぐっと歌の思いに近づけるように思える。

 

(四九六歌)み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

(四九九歌)百重(ももへ)にも来(き)及(し)かぬかもと思へかも君が使(つかひ)の見れど飽かずあらむ

 

(四九七歌)いにしへにありけむ人も我(あ)がごとか妹(いも)に恋ひつつ寐寝(いね)かてずけむ

(四九八歌)今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音(ね)にさへ泣きし

 

 犬養 孝氏は、その著「万葉の人びと」のなかで、四九六歌について、「今ここにある浜木綿、その葉が幾重にも重なるように、心では思うけれどじかには逢えないという深い情熱、しかもその情熱がみごとな客観の上に乗っかかって主観がうたわれている。」と書かれている。

浜木綿の群落自生地で見た緑濃い溢れる葉が、よじれるぐらいに幾重ねも、幾重ねもある姿を見て「百重なす」ものは「葉」だと確信したと熱く語っておられる。

 

 

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「和具大島の浜木綿」 伊勢志摩観光ナビHPから引用させていただきました。

 

 

■9月13~14日白浜、みなべ、加太万葉歌碑巡り

 

春日大社神苑萬葉植物園の万葉歌碑(プレート)のネタ在庫も9月末でほぼ無くなる見通しであったので9月13,14日、1泊2日の歌碑巡りを計画した。

 

9月13日(月)

 和歌山県白浜町「平草原公園」➡白浜町フィッシャーマンズワーフ「真白良媛像」➡ホテル三楽荘北側北側ポケットパーク「有間皇子之碑」➡白浜町「バス停『瀬戸の浦』そば」➡白浜町「綱不知桟橋前」➡田辺市秋津町「宝満寺」➡日高郡みなべ町国民宿舎紀州路みなべ」➡日高郡みなべ町西岩代「光照寺」➡「有間皇子結松記念碑➡日高郡印南燈印南原「おたき瀧法寺」➡はし長水産直販部駐車場➡御坊市名田町「三尾海岸」

 

9月14日(火)

 海南市下津町方「粟島神社」➡和歌山市雑賀崎番所鼻「番所庭園」➡和歌山市加太「田倉崎燈台」➡和歌山市加太「城ケ崎海岸」➡大阪府泉南郡岬町「深日漁港北」

 

 取りこぼしがないように、先達のブログに目を通し、位置情報をネット検索し、可能な限りストリートビューを駆使して計画を練り上げた。

 

和歌山県白浜町「平草原公園」

 

久しぶりの万葉歌碑巡りである。

パーキングエリア「紀ノ川SA」「紀州路ありだPA」、「印南SA」などで物産みがてらの休憩をとりながら約3時間のドライブ。

平草原公園に到着。駐車場すぐの事務棟近くに歌碑があった。表面の風化が進んでおり読みづらい。しかし時間の重みを感じさせる。

 文字を拾い読みし資料の歌と確認する。これもまた楽しい作業である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「伊勢志摩観光ナビHP」