●歌は、「風莫の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに」である。
●歌をみていこう。
一六六七から一六七四歌の歌群の題詞は、「大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首>である。
(注)ここでは太上天皇は持統天皇、大行天皇は文武天皇をさす。
◆風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無 <一云 於斯依来藻>
(作者未詳 巻九 一六七三)
≪書き下し≫風莫(かぎなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに <一には「ここに寄せ来も」と云ふ>
(訳)風莫(かざなし)の浜の静かな白波、この波はただ空しくここに寄せてくるばかりだ。見て賞(め)でる人もないままに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)風莫(かざなし)の浜:黒牛潟の称か。
左注は、「右一首山上臣憶良類聚歌林曰 長忌寸意吉麻呂應詔作此歌」<右の一首は、山上臣憶良(やまのうえおみおくら)が類聚歌林(るいじうかりん)には「長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)、詔(みことのり)に応(こた)へてこの歌を作る」といふ>である。
この歌群の十三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で紹介している。
➡
大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の紀伊の国への行幸の折に詠われた歌が他にも収録されているのでみてみよう。
題詞は、「大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首 柿本朝臣人麻呂歌集中出也」<大宝元年辛丑(かのとうし)に、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時に、結び松を見る歌一首 柿本朝臣人麻呂歌集の中に出づ>である。
◆後将見跡 君之結有 磐代乃 子松之宇礼乎 又将見香聞
(柿本人麻呂歌集 巻二 一四六)
≪書き下し≫後(のち)見むと君が結べる岩代の小松(こまつ)がうれをまたも見むかも
(訳)のちに見ようと、皇子が痛ましくも結んでおかれた岩代の松の梢(こずえ)よ、この梢を、私は再び見ることがあろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)かも 終助詞:〔詠嘆を含んだ疑問〕…かなあ。(学研)
題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>である。
左注は「右一首坂門人足」<右の一首は坂門人足(さかとのひとたり)>である。
◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
(坂門人足 巻一 五四)
≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(同上)
(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。
➡
題詞、「大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首」のなかに、有間皇子が絞殺されたという悲話を踏まえた歌がある。これもみてみよう。
◆藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣乎者 所沾香裳
(作者未詳 巻九 一六七五)
≪書き下し≫藤白(ふぢしろ)の御坂(みさか)を越ゆと白栲(しろたへ)の我(わ)が衣手(ころもで)は濡(ぬ)れにけるかも
(訳)藤白の神の御坂を越えるというので、私の着物の袖は、雫(しずく)にすっかり濡れてしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)藤白の神の御坂:海南市藤白にある坂。有間皇子の悲話を背景に置く歌。
今回の歌碑巡りルートが、有間皇子が生駒の一分から護送され白浜に連れていかれ尋問の後、岩代で松枝を結び、無事を祈るも藤白坂で絞殺されたルートに重なるのでついつい有間皇子の話に脱線してしまうが、ご容赦下さい。
歌碑の歌に話を戻します。
「風莫(かざなし)」というのは、特定の地名をさすわけではなく、一般的な呼称なのであろう。「綱不知(つなしらず)」は、一般的な呼称から地名に定着していったのではないかと考えられる。
風莫(かざなし)も綱不知(つなしらず)も波が穏やかというイメージであるから、入江の奥まったところであろう。このイメージを踏まえて綱不知桟橋前交差点「桟橋」のT字路の脇に置かれたのであろう・
バス停「瀬戸の浦」をあとにし綱不知桟橋前に進む。ここも事前にストリートビューで確認をしておいたのである。
すぐ近くに白浜温泉外湯「綱の湯」があるが、今年3月に閉店となった。その前に車を停めさせてもらい歌碑を撮影すべく小走り。
T字路交差点「桟橋」の「綱の湯」側のコーナーにある。タクシー乗り場になっており、1台が客待ちをしていた。
綱不知桟橋のアーチの下から海面を見ると、波一つなく、穏やかなここだけ時が止まったようにさえ感じたのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」