●歌は、「潮満たばいかにせむとか海神の神が手渡る海人娘子ども」である。
●歌碑は、海南市下津町方 粟嶋神社にある。
●歌をみていこう。
◆塩満者 如何将為跡香 方便海之 神我手渡 海部未通女等
(作者未詳 巻七 一二一六)
≪書き下し≫潮満(み)たばいかにせむとか海神(わたつみ)の神が手渡る海人(あま)娘子(をとめ)ども
(訳)潮が満ちてきたら、いったいどうするつもりなのか。海神の支配する恐しい難所を渡っている海人の娘子(おとめ)らは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)かみ【神】が 手(て):海神の手。また、海神の手中にあること。転じて、おそろしい荒海。⇒[補注] 万葉例「神我手」の「手」を、「戸」の誤写とし、「神が戸」(海神の支配する瀬戸の意)とする説もある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
和歌山県神社庁HPに「社伝によると、景行天皇2年、当時21戸の村民により、少名毘古那神が漂着された粟嶋の硯浦の森に宮居を造り、鎮め祀ったのを創祀とする。
その21戸の子孫が、明神講(大頭講)として宮座を今日まで守り継いでいる。
当時の粟嶋は海中に在り、干潮時に干潟を渡って詣でた様子が、『万葉集』に読まれている。
『潮満たばいかにせむとか 方便海の 神戸渡る 海未通女ども』(1216)(境内に歌碑あり)(後略)」と書かれている。
一二一六歌の「方便海之」を「海神(わたつみ)の」と詠ませることについて、次のように触れられている。
「新日本古典文学大系 萬葉集索引」(岩波書店)によると、「(前略)万葉集と仏教思想の関係は殆ど顧慮されることがありませんでした。 山上憶良・大伴旅人の作品、巻十六の戯笑歌など一部を除いて、万葉集と仏教との関係は深くはないという先入観が強かったようで。 たしかに中世の歌集に詠まれたような形で、仏教は万葉集に影を投じてはいません。 しかし、『世の中』を『世間』と書く表記が仏教に由来するものであることは言うまでもありません。 内容的に仏教と関係のない歌でも、『わたつみ』を『方便海』(1216)と書いたりもします。 『方便海』は『華厳経』に頻出する文字です。 この歌の書き手の仏教的教養を窺わせる一例でしょう。 『常ならぬ』(1345)という言葉が『人』の枕詞として使用された背後には、勿論、仏教の無常観があったでしょう。 『むろの木』を「天木香樹」(446)・『天木香』(3830)などと書くことも、経典から学んだものでしょう。 歌に直接反映したものは少なくても、仏教の知識は万葉集の随所にその跡を留めています。(後略)」と書かれている。
「この歌の書き手の仏教的教養を窺わせる一例でしょう。」と書かれているが、書き手は仏教的な教養を持って万葉集の読み手にいわば、大げさに言えば、挑戦状を突き付けたともいえるのである。
万葉集の書き手の遊び心として「戯書」がとりあげられる。
「weblio辞書 精選版日本国語大辞典」によると、【戯書】(ぎしょ)とは、「 上代文献、特に「万葉集」の用字法の一つ。義訓の一種で、漢字の意義を遊戯的、技巧的に用いたもの。『出』字は、『山』字を重ねたものと解して『出でば』を『山上復有山者』と書き、掛け算の九九を利用して、『獅子(しし)』を『十六』と書くようなものをいう。釈春登が『万葉用字格』で用いはじめた語」と書かれている。
(注)しゅんとう【春登】:[1769〜1836]江戸後期の国学者。時宗(じしゅう)の僧。武蔵あるいは甲斐の人。音韻学に通じた。著「万葉用字格」「五十音摘要」など。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■御坊➡海南市下津町方「粟嶋神社」
ホテルで朝食を済ませ「粟嶋神社」に向かう。湯浅御坊道路を走り海南ICから引き返す感じである。神社は高台にあり裾野にはミカン畑が広がっている。
この歌碑がなぜ粟嶋神社にあるのか不思議に思っていたが、和歌山県神社庁HPに「(万葉)当時の粟嶋海中に在り、干潮時に干潟を渡って詣でた」旨が記されており納得がいったのである。
■島根県万葉歌碑巡り
10月12日から13日の2泊3日で島根県の万葉歌碑を巡ってきたのである。
県立万葉公園は敷地面積48.4haと東京ドーム10個分ある広大な公園である。
オートキャンプ場、子供の広場、石の広場などがあり、万葉植物園や人麻呂展望広場もある。人麻呂広場には、人麻呂が宮廷歌人として大和で詠った歌や旅の途中で詠った十七首の歌碑がある「大和・旅の広場」と人麻呂が石見を詠った歌や島根にちなんだ十八首の歌碑がある「石見の広場」がある。
益田に生まれ益田で亡くなったといわれる柿本人麻呂。今日一日は柿本人麻呂一色であった。少し時間に余裕ができたので、萩・石見空港へ行った。駐車場にも人麻呂の歌碑が建てられていたのである。
13日は、江津市波子町島根県立海浜公園Fゾーン花の中央広場駐車場、野津町柿本神社、二宮町神主君寺、二宮交流センター、高角山公園、江津駅パレット広場、島の星町人丸神社、湯抱温泉「鴨山柿本人麻呂終焉地碑」、三瓶町浮布池、魚津海岸静の窟などを見て周った。
高角山公園には、柿本人麻呂と依羅娘子の銅像があるが、何と現地に所用で来られていた、その銅像を制作された地元彫刻家田中俊晞氏にいろいろとご高説を窺うことができたのである。この時はご本人であるとは露しらず、ご親切な方と思っていただけであった。
手持の資料で、これまで見て来た歌碑、これからの予定等をお話しすると、江津駅前パレット広場にも歌碑があると、単車で誘導してもらったのである。駅前の歌碑の横に建てられている依羅娘子の銅像制作への思いやこだわりを熱っぽく語られ、ここで初めて自己紹介していただいたのである。(後でネット検索し、根付作家としても活躍されていると知り驚いたのである)
「角の里夢語り 人麻呂とよさみ姫」と題する絵本(絵:佐々木恵未/文:江津市万葉の絵本制作委員会)まで、「これも何かのご縁」といただけたのである。(ご本人はもちろん制作委員会メンバーでいらっしゃる)
高角山公園の依羅娘子の銅像は台座部分を回すことができるようになっている。人麻呂と向き合ったり、同じ方向を見たりと自由なアングルになる。これも他にない銅像を作りたいとの思いだと語られた。
この「ご縁」には感謝・感動以外のなにものでもない。ありがとうございました。
廻って来た歌碑の歌の解説等は後日のブログで行う予定です。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」