万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1203)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(1)―万葉集 巻七 一三六五

●歌は、「我妹子がやどの秋萩花よりは実になりてこそ恋ひまさりけれ」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(1)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)



●歌碑(プレート)は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子之 屋前之秋芽子 自花者 實成而許曽 戀益家礼

       (作者未詳 巻七 一三六五)

 

≪書き下し≫我妹子がやどの秋萩花よりは実になりてこそ恋ひまさりけれ

 

(訳)我がいとしい子の庭の秋萩、あの萩は、花の頃より実になってからの方が、むしろいっそう恋心が募って仕方がない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やどの秋萩:我が妻の譬え。

(注)萩の実:莢(さや)は扁平な楕円形で、なかに蒴果がはいっている

(注の注)萩はマメ科の植物である。

 

 加古川市稲美町 中央公園万葉の森には、昨年の7月2日に一度訪れている。自然石の万葉歌碑は6基ある。園内には現代歌の歌碑などもあり詳しく確認をしなかったため5基しか撮影していなかったのが後で分かったのである。いつかリベンジをと思っていたが、コロナ禍の影響もあり外出がままならなかったのである。

漸く2021年10月5日に河東市の播磨中央公園いしぶみの丘の歌碑と組み合わせて巡ることができたのである。

 中央公園万葉の森には陶板の歌碑(プレート)と木製の歌碑プレートもある。

 今回のミッションは撮り残した歌碑やプレートへの再挑戦である。

 

 トップバッターの歌が一三六五歌であり、「結婚してからの方が・・・」という新婚ののろけからのスタートである。

 

萩について、奈良県HP「はじめての万葉集vol.5」に「『万葉集』には数多くの植物名が詠みこまれていますが、そのなかでもっとも多く詠まれているのがハギです。百四十一首みられます。

 『萩』という文字は、中国ではカワラヨモギやヒサギをしめす語として使われており、日本でいうハギとは植物が異なります。ハギに『萩』の文字が使われるのは『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』が早い例とされていますが、唯 一 の伝本である平安末期の写本では『荻』(禾ではなく犭)となっているため再考の余地があるという指摘があります。『万葉集』でも『萩』の文字は使用されておらず、『芽子(はぎ)』という文字が多く使われています。これは刈りとった根からでも、毎年のように新たな芽が出るという性質をあらわした用字であると考えられています。ちなみに若い葉や茎は栄養価が高く、食べることができるそうです。(後略)」と書かれている。

 

 大伴家持が「秋萩」を詠った歌群が収録されているのでみてみよう。

題詞は、「大伴宿祢家持秋歌三首」<大伴宿禰家持が秋の歌三首>である。

 

◆秋野尓 開流秋芽子 秋風尓 靡流上尓 秋露置有

         (大伴家持 巻八 一五九七)

 

≪書き下し≫秋の野に咲ける秋萩秋風に靡(なび)ける上(うへ)に秋の露置けり

 

(訳)秋の野に咲いている秋萩、この萩が秋風に靡いているその上に、秋の露が置いている。(同上)

 

 三首とも「秋芽子」を詠っているが、この歌では「秋野」、「秋芽子」、「秋風」、「秋露」と4つも「秋」を詠っているので、歌群の題詞は「秋歌」としたのであろう。

 

 

◆棹壮鹿之 朝立野邊乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露

         (大伴家持 巻八 一五九八)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の朝立つ野辺(のへ)の秋萩に玉と見るまで置ける白露

 

(訳)雄鹿が朝佇(たたず)んでいる野辺の秋萩に、玉と見まごうばかりに置いている白露よ、ああ。(同上)

 

 

◆狭尾壮鹿乃 胸別尓可毛 秋芽子乃 散過鶏類 盛可毛行流

          (大伴家持 巻八 一五九九)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の胸別(むなわ)けにかも秋萩の散り過ぎにける盛(さか)りかも去(い)ぬる

 

(訳)秋の野を行く雄鹿の胸別けのせいで、萩の花が散ってしまったのであろうか。それとも、花の盛りの時期が過ぎ去ってしまったせいなのであろか。(同上)

(注)むなわけ【胸分け】名詞:①(鹿(しか)などが)胸で草を押し分けること。②胸。胸の幅。(学研) ここでは①の意

 

 歌群の左注は、「右天平十五年癸未秋八月見物色作」<右は、天平十五年癸未(みづのとひつじ)の秋の八月に、物色(ぶつしよく)を見て作る>である。

(注)天平十五年:743年。家持26歳。久邇京にいた。

(注)ぶっしょく【物色】[名] 物の色や形。また、景色や風物。(weblio辞書

デジタル大辞泉

(注)見て:思い見ての意。

 

 伊藤 博氏は一五九八歌の「さを鹿」の脚注で、「前歌の仕立てに取り合わせの鹿を配する。」と書かれている。

 鹿と萩の取り合わせでは大伴旅人の一五四一歌が頭に浮かぶ。これをみてみよう。

 

 

◆吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿

        (大伴旅人 巻八 一五四一)

 

≪書き下し≫我が岡にさを鹿(しか)来鳴く初萩(はつはぎ)の花妻(はなつま)どひに来鳴くさを鹿

 

(訳)この庭の岡に、雄鹿が来て鳴いている。萩の初花を妻どうために来て鳴いているのだな、雄鹿は。(同上)

(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語(学研)ここでは、③の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(924)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 萩と鹿に関して、中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(同氏編 祥伝社)の中で、「植物はそれぞれ固有の匂いを放つ。萩のその匂いを鹿が好む。そこで鹿はよく萩の咲いているところへ寄る。それがまさに萩という、鹿の花嬬なのである。

 軽く、萩の花は、鹿と仲良しだと考えてもよい。しかし万葉びとふうに考えると、それでは不十分で、ほんとうに萩と鹿が生命を通わせ合うといった方がよい。(後略)」と書かれている。

 

加古川市稲美町 中央公園万葉の森の歌は万葉植物にちなんでいるので、どうしてもこれまでの植物園の歌と重複するものが多い。歌は重複してもそれに関する話題的なところを絞り出して書いていきたいと思っています。

拙い文章で申し訳ございませんがよろしくご指導のほどお願い申し上げます。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴旅人―人と作品」 中西 進 編  (祥伝社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「はじめての万葉集vol.5」 (奈良県HP)