万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1204)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(2)―万葉集 巻九 一七七七

●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(2)万葉歌碑<プレート>(播磨娘子)



●歌碑(プレート)は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

           (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

この歌と一七七六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その691)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 播磨娘子のように、名前も明らかでなく「地方名+娘子」と呼ばれた娘子たちと、石川大夫のよに地方赴任となった官人の行きずりの恋に関わる歌が万葉集にはいくつか収録されている。

 播磨娘子のような娘子は、各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした「遊行女婦(ゆうこうじょふ)」と思われる。一般的には「遊女」と呼ばれているが、それなりの教養を身に着け、古歌をそらんじて宴席などで披露するなどその場を盛り上げる、いわば芸をもった女たちであったと言えるだろう。

 もちろん、地方赴任となった官人と恋に落ちるのは遊行女婦以外にも、その地の女性の場合もあったであろう。

 男女の仲である以上、最初はドキドキからはじまり、やがて結ばれそこをピークに破局へ向かう流れになるのが一般的である。

 結ばれた当初は、その恋に対する高揚度は男の方が高く、破局を迎える局面では男の方がクールさを保っている。

 局面ごとの歌をみてみよう。

 

一七六七から一七六九歌の題詞は、「抜氣大首任筑紫時娶豊前國娘子紐兒作歌三首」<抜気大首(ぬきのけだのおびと)、筑紫(つくし)に任(ま)けらゆる時に、豊前(とよのみちのくち)の国の娘子(をちめ)紐児(ひものこ)を娶(めと)りて作る歌三首>である。

(注)抜気大首:伝未詳

(注)紐児:遊行女婦の名か。

 

◆豊國乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家

        (抜気大首 巻九 一七六七)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の香春(かはる)は我家(わぎへ)紐児(ひものこ)にいつがり居(を)れば香春は我家

 

(訳)豊の国の香春は我が家だ。かわいい紐児にいつもくっついていられるのだもの。香春は我が家だ。(同上)

(注)いつがる【い繫る】自動詞:つながる。自然につながり合う。 ※上代語。「い」は接頭語。(学研)

 

 

◆石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 戀流比日

        (抜気大首 巻九 一七六八)

 

≪書き下し≫石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)の穂(ほ)には出(い)でず心のうちに恋ふるこのころ

 

(訳)石上の布留の早稲田の稲が他にさきがけて穂を出す、そんなように軽々しく表に出さないようにして、心の中で恋い焦がれているこのごろだ。(同上)

(注)いそのかみ【石の上】分類枕詞:今の奈良県天理市石上付近。ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などにかかる。「いそのかみ古き都」(学研)

(注)上二句は序。「穂に出づ」を越す。

 

 

◆如是耳志 戀思度者 霊剋 命毛吾波 惜雲奈師

       (抜気大首 巻九 一七六九)

 

≪書き下し≫かくのみし恋ひしわたればたまきはる命(いのち)も我(わ)れは惜しけくもなし

 

(訳)こんなにただひたすらに恋い焦がれてばかりいるのでは、このたいせつな命あえ、私は惜しいとは思わない。(同上)

 

 一七六七歌では、旅先の地を家(家郷)ということで愛情を誇張している。しかも二度繰り返している。書き手も「加波流波吾宅」を二度目は「革流波吾家」と変はる表記をしており、そこには遊び心が感じられる。

 一七六八歌では、「心のうちに恋ふるこのころ」と詠ってはいるが、これも高まりの裏返しである。まして、一七六八歌では、「命(いのち)も我(わ)れは惜しけくもなし」とまで言い切っている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その872)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 石川大夫も当時としては高価な「黄楊の小櫛」を贈ったりして同じような思いをしていたのであろう。

 別れに際し、一七七七歌の様に、播磨娘子は淡々といとおしい気持ちを詠ってはいるだけに心中が慮れるのである。

 

 一七七八、一七七九歌にも別れにおける男女の歌が収録されている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「藤井連遷任上京時娘子贈歌一首」<藤井連(ふぢゐのむらじ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が贈る歌一首>である。

 

◆従明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踏平之 君我越去者

        (娘子<未詳> 巻九 一七七八)

 

≪書き下し≫明日(あす)よりは我(あ)れは恋ひなむな名欲山(なほりやま)岩(いは)踏(ふ)み平(なら)し君が越え去(い)なば

 

(訳)明日からは、私はさぞかし恋しくてならないことでしょう。あの名欲山を、岩踏み平しながらあなたのご一行が一斉に越えて行ってしまったならば。(同上)

(注)名欲山は、大分県にある山で今の「木原山」をさすらしい。

 

 この歌に対して、題詞「藤井連和歌一首」<藤井連が和(こた)ふる歌一首>にあるように応えている歌である。

 

 

◆命乎志 麻勢久可願 名欲山 石踐平之 復亦毛来武

         (藤井連 巻九 一七七九)

 

≪書き下し≫命(いのち)をしま幸(さき)くあらなむ名欲山(なほりやま)岩踏み平(なら)しまたまたも来(こ)む

 

(訳)命長くいついつまでも達者でいてほしい。そうしたら、名欲山の岩をこの足で踏み平しては、何回もやって来よう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)娘子:九州の女性。遊行女婦か。

(注)またまた【又又・復復】〘副〙 (「また(又)」を強めた言い方) さらに重ねて。なおも再び。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 こちらの娘子も淡々と詠っているだけにその心中や如何にである。

 それに対して、藤井連の歌は、まったく調子の良い歌で未練があるように詠ってはいるが、完全におさらばの歌である。

 このような男女の機微は万葉の世も今も変わりはない。その後のリスク度は今の方がはるかに高いと言えるが。

 

 これらの歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その224)」で紹介している。

 ➡ こちら224

 

 大伴旅人と児島の場合は、題詞が、冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に上(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が作る歌二首」とあり、左注は、「右大宰帥大伴卿兼任大納言向京上道 此日馬駐水城顧望府家 于時送卿府吏之中有遊行女婦 其字曰兒嶋也 於是娘子傷此易別嘆彼難會 拭涕自吟振袖之歌」<右は、大宰帥大伴卿、大納言(だいなごん)を兼任し、京に向かひて道に上(のぼ)る。この日に、馬を水城(みづき)に駐(とど)めて、府家(ふか)を顧(かへり)み望(のぞ)む。時に、卿を送る府吏(ふり)の中に、遊行女婦(うかれめ)あり、その字(あざな)を児島(こしま)といふ。ここに、娘子(をとめ)、この別れの易(やす)きことを傷(いた)み、その会(あ)ひの難(かた)きことを嘆き、涕(なみた)を拭(のご)ひて自(みづか)ら袖を振る歌を吟(うた)ふ>である。

(注)水城:堤を築き水を湛えた砦。大宰府市水城にその一部が残る。

(注)府家:大宰府

(注)ゆうこうじょふ〔イウカウヂヨフ〕【遊行女婦】:各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。うかれめ。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは貴人に侍した教養のある遊女。

 

九六五、九六六歌を娘子が作り、九六七、九六八歌で旅人が和(こた)えている。この歌群は他の別れに際した歌と次元がことなりスマートさというか旅人の大物ぶりをうかがわせる内容になっている。

これらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その801)」で紹介している。

 ➡ 

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 柿本人麻呂が石見の地で妻とした依羅娘子(よさみのをとめ)と別れて都に戻る時の石見相聞歌などもある。

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上(のぼ)り来る時の歌二首 幷せて短歌」であり、一三一から一三九歌までの大きな歌群が収録されている。

 一三一から一三四歌までは、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その307)」で紹介している。

 ➡ 

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 話は変わるが、遊行女婦とうつつを抜かす部下を喩す、大伴家持の歌も収録されている。

 これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(123改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

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 男女の問題に関する生きた教材的なものが万葉集に収録されているのも万葉集の懐の深さなのであろう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典