万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1218)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(17)―万葉集 巻十 二〇九六

●歌は、「真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(17)万葉陶板歌碑(作者未詳)



●万葉陶板歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(17)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散

               (作者未詳 巻十 二〇九六)

 

≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る

 

(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。大野は原野の意。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その442)」で紹介している。

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その442でも触れているが、この歌碑の写真をとっていると、近くで農作業をしていた方が手をとめ近づいてこられ、「歌碑を見に来ていただきありがとうございます。」と感謝された。驚きである。いろいろとお話を伺うと、歌碑に対する思い入れがひしひしと伝わってくるのである。

 

 

■■■歌碑を通しての出会いに少しふれてみよう。

 

奈良県吉野町老人福祉センター中荘温泉万葉歌碑

 

◆瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥

               (作者未詳 巻九 一七一三)

 

≪書き下し≫滝(たき)の上(うへ)の三船(みふね)の山ゆ秋津辺(あきづへ)に来鳴き渡るは誰(た)れ呼子(よぶこ)鳥(どり)

 

(訳)滝の上の三船の山から、ここ秋津のあたりに鳴き渡って来るのは、いったい誰を呼ぶ、呼子鳥なのか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)三船の山:奈良県吉野郡吉野町の宮滝付近の山。舟岡山とも。

(注)よぶこどり【呼子鳥・喚子鳥】名詞:鳥の名。人を呼ぶような声で鳴く鳥。かっこうの別名か。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

国道169号線を吉野川を右手に見ながら走る。

大きな看板が見えて来る。右折し道路から下る感じで駐車場へ。まだ、駐車場入り口にはチェーンがかかっていた。その手前の少し広めのスペースに車を止め、歌碑を探そうと歩き出す。暫く行くと、後ろから声を掛けられる。

てっきり、チェーンがかかっているのに敷地内に入ったので叱られるのかと思って車の方に戻る。

「おはようございます、ここの万葉歌碑を見に来ました。」と切り出す。

すると、チェーンを外しながら、案内しますとおっしゃっていただいたのである。

 歌碑は、老人センター玄関入口の吉野川側にあった。

 

 歌碑の写真を撮って御礼を申し上げ帰ろうとすると、その方は、玄関入口の扉を開け、どうぞ休んで行ってくださいと親切に館内に案内していただく。丁度トイレも探していたところだったので甘えることにしたのである。

 

 老人福祉センターの概要も説明いただく。建屋も建て替え、吉野町からの委託で運営をスタートさせた矢先のコロナ騒動で、今は吉野町民の利用に限定しているとか苦労話もお伺いする。

 館内を案内していただく。風呂場も浴場まで入らせていただき、吉野川を眺めながら楽しめますと丁寧にご説明いただく。さらに大広間、クラブ活動スペース、食堂まで。

 なんだか申し訳ない気分になる。今はコロナ問題で吉野町民に限られているが、落ち着いたら是非とパンフレットもいただく。

 コロナ禍の出会いであったが、ほのぼのとした気持ちでセンターを後にした。

 

この歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その770)」で紹介している。

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姫路市飾磨区津田天満宮御旅所万葉歌碑

 

九四二から九四五歌の題詞は、「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<唐荷(からに)の島を過し時に、山部宿禰赤人が作る歌一首并せて短歌>である。

 

 

◆風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居

          (山部赤人 巻六 九四五)

 

≪書き下し≫風吹けば波か立たむとさもらひに都太(つだ)の細江(ほそえ)に浦隠(うらがく)り居(を)り

 

(訳)風が吹くので、波が高く立ちはせぬかと、様子を見て都太(つだ)の細江(ほそえ)の浦深く隠(こも)っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)さもらふ【候ふ・侍ふ】自動詞:ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)都太(つだ)の細江(ほそえ):姫路市船場川河口の入江。

(注)うらがくる【浦隠る】自動詞:(船が風や波を避けて)入り江に隠れる。(学研)

 

 

 「御旅所」を探して、津田天満神社境内をぶらつくが、見つからない。ナビでは「御旅所」がヒットしない。住所でインプットしても付近の地図が出てくるだけである。「思案橋西」の交差点に出るも、そこからがわからない。とりあえず東の方向に進む。文字通り「思案」のしどころである。「思案橋」交差点近くでは手掛かりがないので、周辺を車で移動、元に戻る。天満神社前を再度通り、「思案橋西」交差点で信号待ちの時に、あらためて辺りを見回すと、「思案橋公民館」がチラッと見えた。先達のブログで、公民館に車を止め云々という書き込みがあったのを思い出し、そちらにハンドルを回し、公民館近くに車を止める。

しかし、そこから先は闇である。

たまたま近くの家のご婦人が出かけられるのか、車庫のシャッターをあげて外に出てこられた。

御旅所について尋ねると、その角を右に回ってしばらく行くとすぐですと教えていただいた。それにとどまらず、「ご案内します。」とわざわざおっしゃっていただく。さらに「御旅所には、歌碑や説明の案内板がたくさんありますのでゆっくりご覧になって行ってください。」こちらが京都から来ていることを伝えると、「遠くからお尋ねいただきありがとうございます。」との言葉までいただく。感激である。

赤人か道真のお導きか、御旅所に到着。御礼を申し上げ、見学させてもらう。

 ご婦人のお宅の門を曲がって真っすぐの橋の袂であるのに、わざわざご案内いただいたのである。

 歌碑が取り持つ出会いに感謝である。

 

 この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その689)」で紹介している。

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東近江市八日市清水町 薬師寺住職邸庭万葉歌碑

 

東近江市八日市清水町 薬師寺住職邸庭にある万葉歌碑

 

 標題は、「近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇謚曰天智天皇」<近江(おふみ)の大津 (おほつ)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天命(あめのみこと)開別(ひらかすわけの)天皇(すめらみこと)、謚(おくりな)して天智天皇といふ>

 

 題詞は、「天皇内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時 額田王以歌判之歌」< 天皇内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)に詔(みことのり)して、春山の万花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千葉の彩(いろ)とを競(きほ)ひ憐(あは)れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判(ことわ)る歌>である。

 

◆冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者

          (額田王 巻一 十六)

 

≪書き下し≫冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かずありし 鳥も来(き)鳴きぬ 咲かざずありし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りにも取らず 草深(くさふか)み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りにそ偲(しの)ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山我(わ)れは

 

(訳)冬木も茂る春がやって来ると、それまでそんなに鳴かなかずにいた鳥も来て鳴く。

咲かずにいた花も咲く、だが、山が茂っているのでわけ入ってとることもできない。草が深いので折り取って見ることもできない。秋山の木の葉を見るについては、色づいた葉を手に折り取って賞美することができる。ただし、青い葉、それをそのままに捨て置いて嘆息する。その点が残念です。しかし、何といっても秋山です。私どもは。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふゆごもり【冬籠り】名詞:寒い冬の間、動植物が活動をひかえること。また、人が家にこもってしまうこと。[季語] 冬。 ※古くは「ふゆこもり」。

ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 薬師寺の駐車場に車を止め、山門から入り丹念に歌碑を探すも見つからない。お寺の外周もあちこち探したが結局見つからず。あきらめようとしたとき、ちょうどお寺の奥様と思しき人が帰ってこられたので、歌碑についてお尋ねした。

 きさくな方で、ご親切に自宅のお庭の中に案内していただく。ありがたいことに歌碑と対面することができた。写真も撮らせていただきました。

 

この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その418)」で紹介している。

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大津市南小松雄松崎万葉歌碑

 

 大津市南小松 雄松崎近江舞子中浜水泳場

 

 

この日予定していた高島の万葉歌碑めぐりが無事終了し、時間的余裕もあったので、大津市の万葉歌碑で、まだ行けていない雄松崎の歌碑に挑戦したのである。今回は、事前に某観光協会に電話で確認し、およその場所を教えてもらった。すると、前に来た時に車を止めた雄松館の近くであった。近くの浜辺の松林の中に「琵琶湖八景 涼風 雄松崎白汀」の石碑がある。この近くに「万葉集にない歌の万葉歌碑」なるものが建てられている。

しかし肝心の歌碑は見つからない。

 仕方なく、もう一度某観光協会に電話をしてみたが、「万葉集にない歌の万葉歌碑」のことをさして言っている。結局わからずじまいであった。

 気を取り直し、湖畔をぶらつき探す。すると民宿の方と思しき人が植栽の手入れをされていたので、聞いてみると、手を止めて案内していただく。後をついて行くが、向かうはあの歌碑の方向ではないか。あれは違うんですと言うと、「それならあっちかな」と、反対方向へ連れて行って下さるが、それではなかった。途中で地の人に声掛けし聞いていただくもわからずじまい。しかし、一緒に探していただいたことには感謝である。

地元の有志で出資して歌碑を3つ建てたのは建てたが、場所はどこだったかなあ、忘れたなあと言いながら、落ちていた枝で地面に地図を書き、ホテルオーツカの前にもあったな、と。そこは行きましたと答えた。あと一個はどこだったかなあ、と地面に線が走る。

 ひょっとしたらっと、立ち上がり、この先の水泳関係の店が立並ぶ先の湖岸にあったかもしれない、確か「雄松崎湖岸の碑」があるその先だったな、と教えていただく。

 礼を言い、わらにすがる思いで、再チャレンジである。

 

 雄松館まで来た道を引き返す。民宿などが左手に軒を連ね、右手にびわ湖が広がるデコボコ道である。しばらく行くと、「名勝雄松崎湖岸」の碑が右手に見えて来る。

 もう少し進むと「近江舞子水泳事務所」がある。その近くで車を止め、湖岸に出て見る。ありました。ありました。「巻一 三一」の歌碑が。

 

 ここら辺りは近江舞子中浜水泳場である。車を止めた先の左手には「近江舞子中浜水泳場」の大駐車場がある。

 

この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その255)」で紹介している。

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江津駅パレット広場万葉歌碑

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江津駅前パレット広場万葉歌碑と依羅娘子の像



◆石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等<一云 礒無登> 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 <一云 礒者> 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎<一云 波之伎余思妹之手本乎> 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山

         (柿本人麻呂 巻二 一三一)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見(み)らめ潟(かた)なしと<一には「礒なしと」といふ> 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は<一に「礒は」といふ>なくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振(ふ)る 風こそ寄らめ 夕 (ゆふ)羽振る 波こそ来(き)寄れ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を<一には「はしきよし妹が手本(たもと)を> 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)の 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)へて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山

 

(訳)石見の海、その角(つの)の浦辺(うらべ)を、よい浦がないと人は見もしよう。よい干潟がないと<よい磯がないと>人は見もしよう。が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい干潟は<よい磯は>はいにしても、この角の海辺を目指しては、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝(あした)に立つ風が寄ろう、夕(ゆうべ)に揺れ立つ波が寄って来る。その寄せる風浪(かざなみ)のままに寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように私に寄り添い寝たいとしい子であるのに、その大切な子を<そのいとしいあの子の手を>、冷え冷えとした露の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)角の浦:島根県江津市都野津町あたりか

(注)いさなとり【鯨魚取り・勇魚取り】( 枕詞 ):クジラを捕る所の意で「海」「浜」「灘(なだ)」にかかる。 (weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

(注)ありそ【荒磯】名詞:岩石が多く、荒波の打ち寄せる海岸。◆「あらいそ」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はぶる【羽振る】自動詞:飛びかける。はばたく。飛び上がる。「はふる」とも。(学研)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。「つゆしもの秋」(学研)

(注)なつくさの【夏草の】分類枕詞:①夏草が日に照らされてしなえる意で「思ひしなゆ」②夏草が生えている野の意で「野」を含む地名「野島」や「野沢」にかかる。③夏草が深く茂るところから「繁(しげ)し」「深し」にかかる。④夏草を刈るの意で「刈る」と同音を含む「仮(かり)」「仮初(かりそめ)」にかかる。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その307)」で紹介している。

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令和3年10月13日は、島根県江津市波子町島根県立海浜公園Fゾーン花の中央広場駐車場、野津町柿本神社二宮町神主君寺、二宮交流センター、高角山公園、島の星町人丸神社、湯抱温泉「鴨山柿本人麻呂終焉地碑」、三瓶町浮布池、魚津海岸静の窟などを見て周った。

 高角山公園には、柿本人麻呂と依羅娘子の銅像がある。消防車が止まっていて、放水訓練を行っていた。ライトバンが1台止まりその方と、ほぼ同時に単車で来られた方が何やら語りながら公園内を歩き時折立ちどまってはあちこち指さしながら話をされている。依羅娘子の銅像を写真に収めていると、単車の方が、「そこのスイッチを押してごらん」と言われる。いわれた通り押してみると、万葉歌が流れる。人丸神社や銅像などを撮影し、展望台に建てられた歌碑を探しに行く。撮り終えて戻って来ると、丁度二人の方も戻って来られたところであった。単車の方が残られ公園内を案内してあげるとおっしゃっていただく。いろいろと教えていただく。小生の手持ちの資料なども目を通され、江津駅のパレットにも歌碑と依羅娘子の銅像があると教えていただく。しかも案内してあげるからと単車で誘導していただく。江津駅前のパレット広場の一角に歌碑と銅像があった。いろいろお伺いしていると、何と銅像を制作された地元彫刻家田中俊晞氏であった。根付作家としても著名な方である。にいろいろとご高説を窺うことができたのである。公園ではご本人であるとは露しらず、ご親切な方と思っていただけであった。

 碑の横に建てられている依羅娘子の銅像制作への思いやこだわりを熱っぽく語られ、ここで初めて自己紹介していただいたのである。すぐそこに観光協会があり、いろいろ資料があると連れて行って下さる。そこで「角の里夢語り 人麻呂とよさみ姫」と題する絵本(絵:佐々木恵未/文:江津市万葉の絵本制作委員会)まで、「これも何かのご縁」といただけたのである。(ご本人はもちろん制作委員会メンバーでいらっしゃる)

 高角山公園の依羅娘子の銅像は台座部分を回すことができるようになっている。人麻呂と向き合ったり、同じ方向を見たりと自由なアングルになる。これも他にない銅像を作りたいとの思いだと語られた。観光協会の前にある「甦がえる」も氏の作品で、同じのが出雲大社にもあるとのこと。「甦がえる」の制作の思いを熱く語っておられた。

 食事でも一緒にとお誘いいただいた。こんな機会はめったにないのでご一緒したい思いがつよかったが、先の予定もありしかもホテルが米子であるのでお断りせざるをえなかったのである。

 歌碑が取り持つこの「ご縁」には感謝・感動以外のなにものでもない。ありがとうございました。

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いただいた「ひとまろとよさみ姫」の童話の絵本

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依羅娘子の像(田中俊睎氏作)




 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20230208加古郡稲美町に訂正