万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1221)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(19)―万葉集 巻九 一七三〇

●歌は、「山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(19)万葉歌碑<プレート>(藤原宇合



●歌碑(プレート)は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(19)にある。

 

●歌を見てみよう。

 

一七二九から一七三一歌の歌群の題詞は、「宇合卿歌三首」<宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首>である。

 

◆山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

            (藤原宇合 巻九 一七三〇)

 

≪書き下し≫山科(やましな)の石田(いはた)の小野(をの)のははそ原見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ

 

(訳)山科の石田の小野のははその原、あの木立を見ながら、あの方は今頃独り山道を越えておられるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)石田:京都府山科区の南部

(注)ははそ【柞】名詞:なら・くぬぎなど、ぶな科の樹木の総称。紅葉が美しい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌群の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その553)」で紹介している。

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藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)は、藤原不比等の第三子。式家の祖。霊亀二年(715年)、遣唐副使として入唐。帰国後、養老三年(719年)常陸守で安房、上総、下総三国の按察使。この間『常陸国風土記』の編述を指導したらしい。神亀三年(726年)知造難波宮事を兼ねた。同六年二月、長屋王の変に際し軍事力を発揮した。天平四年(732年)八月西海道節度使の任についた。天平九年(737年)八月天然痘により病没した。なお、この年四月に藤原房前(ふささき)が、七月に藤原麻呂(まろ)、藤原武智麻呂(むちまろ)が亡くなっている。天平三年に藤原不比等の四子が揃って台閣したのであるが、藤原政権は一瞬にして崩れたのである。(武智麻呂が長男、房前が次男、宇合が三男、麻呂が四男である)

 

藤原宇合の歌は万葉集には六首収録されている。他の三首をみてみよう。

 

七一から七三歌の歌群の題詞は、「大行天皇幸于難波宮時歌」<大行天皇(さきのすめらみこと)、難波(なには)の宮に幸す時の歌>である。

(注)大行天皇文武天皇をさす。

 

◆玉藻苅 奥敝波不榜 敷妙乃 枕之邊人 忘可祢津藻

        (藤原宇合 巻一 七二)

 

≪書き下し≫玉藻刈る沖辺(おきへ)は漕がじ敷栲(しきたへ)の枕のあたり忘れかねつも

 

(訳)海女(あま)たちが玉藻を刈る沖辺なんか漕ぐまいぞ。ゆうべの宿の枕辺にいた人、その人への思いに堪えかねていることだから。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)

(注)おもひかぬ【思ひ兼ぬ】他動詞:①(恋しい)思いに堪えきれない。②判断がつかない。(学研)ここでは①の意

 

左注は、「右一首式部卿藤原宇合」<右の一首は式部卿(しきぶのきやう)藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)>である。

 

 

題詞は、「式部卿藤原宇合卿被使改造難波堵之時作歌一首」<式部卿(しきぶのきやう)藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、難波(なには)の京を改め造らしめられる時に作る歌一首>である。

 

◆昔者社 難波居中跡 所言奚米 今者京引 都備仁鷄里

         (藤原宇合 巻三 三一二)

 

≪書き下し≫昔こそ難波(なには)田舎(ゐなか)と言はれけめ今は都(みやこ)引(ひ)き都(みやこ)びにけり

 

(訳)その昔には、“難波田舎”と軽んじられもしたであろう、だが、今は都を引き移してすっかり都らしくなった。(同上)

(注)都引き:都を引き移して、の意

 

 

題詞は、「藤原宇合卿歌一首」<藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)が歌一首>である。

 

◆我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹

           (藤原宇合 巻八 一五三五)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)をいつぞ今かと待つなへに面(おも)やは見えむ秋の風吹く

 

(訳)あの方を、いついらっしゃるか、もうお見えになるかと待つ折しも、ひょっとしてお顔などお見せ下さらないかもしれぬと思うままに、秋の風が吹く。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)なへに 分類連語:「なへ」に同じ。 ※上代語。 ⇒なりたち接続助詞「なへ」+格助詞「に」(学研)

(注の注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)

 

 この歌は、女の立場で詠っているので、宴歌と思われる。

 

 

 

■■■藤原宇合高橋虫麻呂■■■

 

 藤原宇合の庇護を受けた歌人高橋虫麻呂がいる。

 

 神亀三年(726年)宇合が、知造難波宮事を兼ね、功をなした天平四年三月ごろに、題詞、「春三月諸卿大夫等下難波時歌二首幷短歌」<春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)が難波(なには)に下(くだ)る時の歌二首幷せて短歌>の長歌(一七四七歌)と反歌(一七四八歌)の歌群と長歌(一七四九歌)と反歌(一七五〇歌)の二群を詠っている。

 

先の歌群の長歌(一七四七歌)をみてみよう。

 

◆白雲之 龍田山之 瀧上之 小※嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之  及還来

       ※「木+安」=くら

          (高橋虫麻呂 巻九 一七四七)

 

≪書き下し≫白雲の 竜田の山の 滝の上(うへ)の 小「木+安」(おぐら)の嶺(みね)に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨(はるさめ)の 継(つ)ぎてし降れば ほつ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りなまがひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで

 

(訳)白雲の立つという名の竜田の山を越える道沿いの、その滝の真上にある小※(をぐら)の嶺、この嶺に、枝もたわわに咲く桜の花は、山が高くて吹き下ろす風がやまない上に、春雨がこやみなく降り続くので、梢の花はもう散り失(う)せてしまった。下枝に咲き残っている花よ、もうしばらくは散りみだれないでおくれ。難波においでの我が君がまたここに帰って来るまでは。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの 【白雲の】枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。

(注)君:知造難波宮事として功をなした藤原宇合のこと。高橋虫麻呂の庇護者。

(注)ほつえ 【上つ枝・秀つ枝】名詞:上の方の枝。◆「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。[反対語] 中つ枝(え)・下枝(しづえ)。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その188)」で紹介している。

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 天平四年、宇合が西海道節度使に任じられた時、題詞、「四年壬申藤原宇合卿遣西海道節度使之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌」<四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、西海道(さいかいどう)の節度使(せつどし)に遣(つか)はさゆる時に、高橋連蟲麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の作る歌一首并(あは)せて短歌>の九七一、九七二歌を詠っている。長歌の方をみてみよう。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

          (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

 この歌並びに短歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その512)」で紹介している。

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 高橋虫麻呂の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1137)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20230208加古郡稲美町に訂正