万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1223)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(21)―万葉集 巻三 三二二

●歌は、「すめろきの神の命の敷きいます・・・木群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり鳴く鳥の・・・」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(21)万葉歌碑<プレート>(山部赤人



●歌碑(プレート)は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(21)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首幷短歌」<山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)伊予の温泉:愛媛県松山市道後温泉

 

◆皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 敲思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸

           (山部赤人 巻三 三二二)

 

≪書き下し≫すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山(しまやま)の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予の高嶺(たかね)の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌(うた)思ひ 辞(こと)思ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ

 

(訳)代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉(ゆ)はたくさんあるけれども中でも島も山も足り整った国と聞こえる、いかめしくも険しい伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭(いざにわ)に立たれて、歌の想いを練り詞(ことば)を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も次々と生い茂っている。鳴く鳥の声もずっと盛んである。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸(いでまし)の跡所(あとどころ)は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことごと【尽・悉】副詞:①すべて。全部。残らず。②まったく。完全に。(学研) ここでは①の意

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)射狭庭の岡:温泉の裏にある岡の名

 

反歌もみてみよう。

 

百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久

          (山部赤人 巻三 三二三)

 

≪書き下し≫ももしきの大宮人(おほみやひと)の熟田津(にぎたつ)に船乗(ふなの)りしけむ年の知らなく

 

(訳)ももしきの大宮人が熟田津で船出をした年がいつのことかわからなくなってしまった。(同上)

 

この短歌は、「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(巻一 八 額田王)」が念頭にある。

 

 この歌並びに反歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その700)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

山部赤人の歌を全てながめ、歌人として万葉集にどのように位置づけられているかについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1149)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 「日本の三古泉(三古湯)」とは、日本書紀風土記に登場することから「道後温泉」「有馬温泉」「白浜温泉」をいう。

 

 三古泉(三古湯)にちなむ万葉集の歌をみてみよう。

 

道後温泉

 道後温泉に関わる歌は、上述の、額田王の巻一の八歌、ならびに山部赤人の巻三の三二二と三二三歌の三首である。

 

有馬温泉

 悲劇の皇子、有間皇子は、孝徳天皇と妃の小足媛(おたらしひめ)の皇子。父が有間温湯(神戸市)で療養していたときに生まれたから名づけられたという。

 有間皇子については、白浜温泉が舞台となるのでそちらでふれることにします。

 

 有馬温泉について直接詠った歌は収録されていないが、歌には「有馬山」が、左注には「有馬の温泉(ありまのゆ)」がみえる。

 

  題詞は、「七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首幷短歌」<七年乙亥(きのとゐ)に、大伴坂上郎女、尼(あま)理願(りぐわん)の死去を悲嘆(かな)しびて作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)尼理願:新羅から渡来した尼

 

◆栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊尓 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草枕 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八

           (大伴坂上郎女 巻三 四六〇)

 

≪書き下し≫栲(たく)づのの 新羅(しらき)の国ゆ 人言(ひとごと)を よしと聞かして 問ひ放(さ)くる 親族(うがら)兄弟(はらがら) なき国に 渡り来まして 大君(おほきみ)の 敷きます国に うち日さす 都しみみに 里家(さといへ)は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保(さほ)の山辺(やまへ)に 泣く子なす 慕(した)ひ来まして 敷栲(しきたへ)の 家をも造り あらたまの 年の緒(を)長く 住まひつつ いまししものを 生ける者(もの) 死ぬといふことに 免(まぬか)れぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと 草枕 旅なる間(あひだ)に 佐保川を 朝川(あさかは)渡り 春日野を そがひに見つつ あしひきの 山辺(やまへ)をさして 夕闇(ゆふやみ)と 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに た廻(もとほ)り ただひとりして 白栲(しろたへ)の 衣袖(ころもで)干(ほ)さず 嘆きつつ 我(あ)が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に降りきや

 

(訳)遠いはるかな新羅の国から、日本(やまと)はよき国との人の噂をなるほどとお聞きになって、安否を問うてよこす親族縁者もいないこの国に渡ってこられ、大君のお治めになるわが国には、都にはびっしり里や家はたくさんあるのに、いったいどのように思われたのか、何のゆかりもないここ佐保の山辺に、親を慕うて泣く子のようにやってこられて、家まで造って年月長く住みついていらっしゃったのに、生ある者はかならず死ぬという定めから逃(のが)れることはできないものだから、頼りにしていた人がみんな旅に出て留守のあいだに、朝まだ早い佐保川を渡り、春日野を背後に見ながら、山辺を目指して夕闇に消え入るように隠れてしまわれた、それで、何を何と言ってよいのやら、何を何としたらよいのやらわけもわからぬままに、おろおろ往(い)ったり来たりしてたった一人で、白い喪服の乾く間もなく、ひたすら嘆きどおしに私が流す涙、この涙は、あなたさまのおられる有馬山に雲となってたなびき、雨となって降ったことでしょうか。(同上)

(注)たくづのの【栲綱の】分類枕詞:栲(こうぞ)の繊維で作った綱は色が白いことから「白」に、また、その音を含む「新羅(しらぎ)」にかかる。(学研)

(注)とひさく【問ひ放く】自動詞:遠くから言葉をかける。問いを発する。(学研)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(学研)

(注)しみみに【繁みみに・茂みみに】副詞:すきまなくびっしりと。「しみに」とも。 ※「しみしみに」の変化した語。(学研)

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。 ここでは、「家」に懸っている。家を寝具に見立てた。

(注)有間山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県神戸市の六甲山北側にある有馬温泉付近の山々。「有馬山」とも書く。(学研)

 

左注は、「右新羅國尼名曰理願也 遠感王徳歸化聖 於時寄住大納言大将軍大伴卿家既 逕數紀焉 惟以天平七年乙亥忽沈運病既趣泉界 於是大家石川命婦 依餌藥事 徃有間温泉而不會此喪 但郎女獨留葬送屍柩既訖 仍作此歌贈入温泉」<右は、新羅(しらき)の国の尼、名は理願(りぐわん)といふ。遠く王徳に感じて、聖朝の帰化(まゐけ)り。時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、すでに数紀を経たり。ここに、天平の七年乙亥(きのとゐ)をもちて、たちまちに運病に沈み、すでに泉界(せんかい)に趣(おもぶ)く。ここに、大刀自(おほとじ)石川命婦(いしかはのみやうぶ)、餌薬(じやく)の事によりて有馬の温泉(ありまのゆ)に往きて、この喪に会はず。ただ郎女(いらつめ)ひとり留まりて、屍柩(しきう)を葬(はぶ)り送ることすでに訖(をは)りぬ。よりてこの歌を作りて、温泉に贈り入る。

 

 もう一首をみてみよう。こちらも「有馬山」を詠っている。

 

◆志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無而  <一本云 猪名乃浦廻乎 榜来者>

           (作者未詳 巻七 一一四〇)

 

≪書き下し≫しなが鳥(どり)猪名野(ゐなの)を来(く)れば有馬山(ありまやま)夕霧(ゆふぎり)立ちぬ宿(やど)りはなくて  <一本には「猪名の浦みを漕ぎ来れば」といふ>

 

(訳)猪名の野をはるばるやって来ると、有馬山に夕霧が立ちこめて来た。宿をとるところもないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しながとり【息長鳥】分類枕詞:①鳥が「ゐならぶ」ことから地名「猪那(ゐな)」にかかる。②地名「安房(あは)」にかかる。かかる理由未詳。 ※息の長い鳥の意で、具体的な鳥名には諸説ある。(同上)

(注)いなの〔ゐなの〕【猪名野】:兵庫県伊丹市から尼崎市にかけての猪名川沿いの地域。古来、名勝の地で、笹の名所。[歌枕](weblio辞書 小学館デジタル大辞泉

(注)有間山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県神戸市の六甲山北側にある有馬温泉付近の山々。「有馬山」とも書く。(学研)

(注)やどり【宿り】名詞:①旅先で泊まること。宿泊。宿泊所。宿所。宿。②住まい。住居。特に、仮の住居にいうことが多い。③一時的にとどまること。また、その場所。 ※参考「宿り」は、住居をさす「やど」「すみか」とは異なり、旅先の・仮のの意を含んでいる。(学研)

 

四六〇、四六一歌ならびに一一四〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その787)」で紹介している。

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■白浜温泉

 

 題詞は、「幸于紀温泉之時額田王作歌」<紀伊の温泉(きのゆ)に幸(いでま)す時に、額田王が作る歌>である。

 

◆莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本

           (額田王 巻一 九)

 

≪書き下し≫莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣我(わ)が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)

 

(訳)静まり返った浦波をはるかに見放(みさ)けながら、我が背子(せこ)有間皇子(ありまのみこ)がお立ちになったであろう、この聖なる橿の木の根本よ。(同上)

(注)上二句「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」は定訓がない。伊藤氏は、澤瀉久孝氏の試訓「静まりし浦波見放け」を支持されている。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その492)」で紹介している。

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一〇から一二歌の、題詞は、「中皇命徃于紀温泉之時御歌」<中皇命(なかつすめらみこと)、紀伊の温泉に徃(いでま)す時の御歌>である。

 

◆君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名

         (中皇命 巻一 一〇)

 

≪書き下し≫君が代(よ)も我(わ)が代(よ)も知るや岩代(いはしろ)の岡の草根(くさね)をいざ結びてな

 

(訳)我が君の命も私の命をも支配している、岩代の岡の草根、この草根を結びましょう。(結んで互いの命の幸を祈りましょう。)(同上)

 

(注)君:男性への尊称。ここでは中大兄皇子をさす。

(注)しる【知る】他動詞:治める。統治する。(学研)

(注)岩代:和歌山県日高郡みなべ町岩代

 

 他の二首もみてみよう。

 

◆吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核

        (中皇命 巻一 一一)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)は仮廬(かりいほ)作らす草(かや)なくは小松(こまつ)が下(した)の草(かや)を刈らさね

 

(訳)我が君は仮廬(かりいお)をお作りになる。佳(よ)きかやがないのなら、小松の下のかや、あのかやをお刈りなさい。(そうすればけがれなきめでたき一夜を過ごし得ましょう。)(同上)

(注)は 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、助詞など種々の語に付く。〔順接の仮定条件〕…ならば。▽形容詞型活用の語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。(学研)

 

 

◆吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾  <或頭云 吾欲 子嶋羽見遠>

         (斉明天皇 巻一 一二)

 

≪書き下し≫我(わ)が欲(ほ)りし野島は見せつ底深き阿胡根(あごね)の浦の玉ぞ拾(ひり)はぬ  <或いは頭に「我が欲りし子島は見しを」といふ>

 

(訳)私が見たいと待ち望んでいた野島は見せていただきました。しかし、そこ深い阿胡根の浦の珠(たま:魂)はまだ拾っていません。<私が見たいと待ち望んでいた子島は見ましたが>(同上)

(注)野島:和歌山県御坊市南部の島。見通しのきく、航海の安全を祈る地

(注)阿胡根の浦:野島付近だが所在未詳

(注)子島:所在未詳

 

左注は、「右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 天皇御製歌云ゝ」<右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検(ただ)すに、日はく、「天皇の御製歌云ゝ」といふ>である。

(注)天皇斉明天皇

 

有間皇子の歌といえば、題詞は「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>の「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」(巻二 一四一)と「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(巻二 一四二)である。

 

歌碑(プレート)は、有間皇子結松記念碑解説板にある。

 

先の中皇命、斉明天皇の歌および有間皇子結松記念碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1194、番外岩代)」で紹介している。

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 有間皇子の碑ならびに真白良媛の像についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1188、白浜番外)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 小学館デジタル大辞泉