万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1226)ー加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(24)―万葉集 巻二〇 四五一三

●歌は、「磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(24)万葉歌碑<プレート>(甘南備伊香真人)



●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四五一一から四五一三歌の歌群の題詞は、「属目山齋作歌三首」<山齋(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首>である。

(注)しょくもく【嘱目・属目】( 名 ):① 人の将来に期待して、目を離さず見守ること。② 目に入れること。目を向けること。③ 俳諧で、即興的に目に触れたものを吟ずること。嘱目吟。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版) ここでは③の意

(注)しま【島】名詞:①周りを水で囲まれた陸地。②(水上にいて眺めた)水辺の土地。③庭の泉水の中にある築山(つきやま)。また、泉水・築山のある庭園。 ※「山斎」とも書く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 氐流麻泥尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母

          (大蔵大輔甘南備伊香真人 巻二〇 四五一三)

 

≪書き下し≫磯影(いそかげ)の見ゆる池水(いけみづ)照るまでに咲ける馬酔木(あしび)の散らまく惜しも

 

(訳)磯の影がくっきり映っている池の水、その水も照り輝くばかりに咲きほこる馬酔木の花が、散ってしまうのは惜しまれてならない。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首大蔵大輔甘南備伊香真人」<右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その942)」で紹介している。

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甘南備伊香真人については、「奈良時代の皇族・貴族・歌人。名は伊吉とも記される。始め伊香王を称すが臣籍降下(甘南備真人姓)。敏達天皇の後裔で、弟野王の子とする系図がある。官位は正五位上越中守。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 )とある。

 

 甘南備伊香真人の歌は、万葉集には四首収録されている。

 天平宝字元年(757年)十二月十八日に三形王の館での宴に登場している。歌をみてみよう。

 

 四四八八から四四九〇歌の歌群の題詞は、「十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首」<十二月の十八日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆宇知奈婢久 波流乎知可美加 奴婆玉乃 己与比能都久欲 可須美多流良牟

          (甘南備伊香真人 巻二十 四四八九)

 

≪書き下し≫うち靡く春を近みかぬばたまの今夜(こよい)の月夜(つくよ)霞(かす)みたるらむ

 

(訳)暦の春も迫りうららかな春がもうすぐそこに来ているせいでしょうか、今夜の月空はこんなに薄ぼんやりと霞んでいます。(同上)

 

左注は、「右一首大蔵大輔甘南備伊香真人」<右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)>

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1043)」で紹介している。

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題詞は、「二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十首」<二月に、式部大輔(しきぶのだいふ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌十首>である。

 

◆烏梅能波奈 左伎知流波流能 奈我伎比乎 美礼杼母安加奴 伊蘇尓母安流香母

           (甘南備伊香真人 巻二十 四五〇二)

 

≪書き下し≫梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽(あ)かぬ礒(いそ)にもあるかも

 

(訳)梅の花のしきりに散る春の一日、こんなに長い一日のあいだ中、見ても見ても見飽きることのない、お庭の池の磯でございます。(同上)

 

左注は、「右一首大蔵大輔甘南備伊香真人」<右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)>

 

 

四五〇六から四五一〇他の題詞は、「依興各思高圓離宮處作歌五首」<興に依りて、おのもおのも高円(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思ひて作る歌五首>である。

 

◆於保吉美乃 都藝弖賣須良之 多加麻刀能 努敝美流其等尓 祢能未之奈加由

           (甘南備伊香真人 巻二十 四五一〇)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の継(つ)ぎて見(め)すらし高円(たかまと)の野辺(のへ)見るごとに音(ね)のみし泣かゆ

 

(訳)大君が今も続けてご覧になっているにちがいない、この高円の野辺を見るたびに、声も抑えきれず泣けてきてならない。(同上)

 

 左注は、「右一首大蔵大輔甘南備伊香真人」<右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)>である。

 

橘奈良麻呂の変の大事件以降、「高円(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思ひて」のように、政争の激しいご時世に気心のあった者同士が聖武天皇の佳き時代を偲んで詠っているのである。

かかる歌が万葉集に収録されてもびくともしない藤原仲麻呂の政権が確固たるものとなった裏返しでもある。

家持はいずれの歌群にもその歌を残しているが、真の胸中や如何にである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

 

※20230208加古郡稲美町に訂正