万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1227)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森(25)―万葉集 巻十六 三八三二

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

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加古川市稲美町 中央公園万葉の森(25)万葉歌碑<プレート>(忌部黒麻呂

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森(25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

           (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(304)」で紹介している。

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 万葉集に詠まれた「からたち」はこの一首のみである。中国において、カラタチは、橘と比較して、品位に欠け、鑑賞価値のない柑橘類とされてきたため、我が国においても江戸時代まではこの考え方が一般的であった。

 

 枕草子の「名おそろしきもの」として、「青淵。谷の洞。鰭板(はたいた)。鉄(くろがね)。土塊(つちくれ)。雷(いかづち)は名のみにもあらず、いみじうおそろし。疾風(はやち)。不祥雲。矛星(ほこぼし)。肘笠雨。荒野(あらの)ら。強盗(がうだう)、またよろづにおそろし。らんそう、おほかたおそろし。かなもち、またよろづにおそろし。生霊(いきすだま)。蛇(くちなわ)いちご。鬼わらび。鬼ところ。荊(むばら)。枳殻(からたち)。炒炭(いりずみ)。牛鬼。碇(いかり)、名よりも見るはおそろし。」とあり、その中に「枳殻(からたち)」があげられている。

(注)いりずみ【炒炭】:火にあぶって湿気を去り、火のつきやすいようにした炭。

 

 古代より非感傷的なものとして扱われていた「からたち」の歴史が覆ったのは、大正十三年に北原白秋作詞による“カラタチの花”によるところが大きいのである。

 

 「からたち」もさることながら、三八三二歌もなかなかの歌である。

 「屎遠くまれ」とあるので、野屎のイメージである。

万葉時代のトイレについて詠われている歌をみてみよう。同じく巻十六である。

 

 題詞は、「香(かう)、塔(たふ)、厠(かはや)、屎(くそ)、鮒(ふな)、奴(やつこ)を詠む歌」である。

(注)かはや【厠】名詞:便所。 ※川の上につき出して作った「川屋」の意とも、母屋のそばに建てた「側屋(かはや)」の意ともいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴

       (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二八)

 

≪書き下し≫香(かう)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそぶな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)

 

(訳)香を塗りこめた清らかな塔に近寄ってほしくないな。川の隅に集まる屎鮒(くそぶな)など食って、ひどく臭くてきたない女奴よ。(同上)

(注)香:仏前で焚く香。

(注)かはくま【川隈】名詞:川の流れが折れ曲っている所。「かはぐま」とも。(学研)

(注の注)便所は川隈を利用した。

(注)屎鮒:淀みで流れ来る屎を餌としている鮒のことか。

(注)いたし【痛し・甚し】形容詞:①痛い。▽肉体的に。②苦痛だ。痛い。つらい。▽精神的に。③甚だしい。ひどい。④すばらしい。感にたえない。⑤見ていられない。情けない。(学研)ここでは、⑤の意

(注)めやつこ【女奴】:女の奴隷。また、女をののしっていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

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 三八二八歌からは、川の川隈あたりに設けられた天然の水洗トイレであったと考えられる。

 

 当時のトイレについては、「ためになる? 豆知識」(トイレについて)(公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センター)には、次のように書かれている。

「・・・厠というものは、川のような流れの上に簡単な橋のようなものをかけて用便を流していたため、『河[川]屋(かわや)』と呼ばれていたことが語源になっているようです。この厠については『古事記こじき:712年編纂)』にも記載されていることから、少なくともこの時代にはあったものと考えられます。ただし、すべての家にあった訳ではなく、一定以上の高貴な人たちの暮らしに使われていたものと考えられます。同じ時代に生活していた一般的な人たちは、やはり道端(みちばた)などで用をたしていたようです。この様子は、平安時代の絵巻物などに描かれています。また、奈良時代でも九州の太宰府の遺跡などでは、一種の水洗便所とでもいえるこのタイプの便所とは異なった形状のものも確認されています。なお、当時の人たちは、用便を済ました際には紙を使わず、ちゅう木と呼ばれるヘラ状のもので拭っていたことが分かっています。なぜ紙を使っていなかって?当時は紙は非常に貴重なものだったからなんです。(後略)」

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万葉の時代のトイレ 公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センター「ためになる? 豆知識」(トイレについて)から引用させていただきました。

 

 万葉集から当時のトイレ事情を窺い知れるのである。偉大なる万葉集

 

 ※現在では「不適切な表現」と思われる文言もありますが、当時の歌として見ていただければと思います。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「ためになる? 豆知識」 (公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センターHP)