●歌は、「秋さらば移しもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰れか摘みけむ」である。
●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(30)にある。
●歌をみていこう。
◆秋去者 影毛将為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟
(作者未詳 巻七 一三六二)
≪書き下し≫秋さらば移(うつ)しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ
(訳)秋になったら移し染めにでもしようと、私が蒔いておいたけいとうの花なのに、その花をいったい、どこの誰が摘み取ってしまったのだろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)秋さらば:未然形+ば=もし~ならば【仮定】
(注の注)さる【去る】自動詞:①〔季節や時刻を表す語に付いて〕来る。なる。
②離れる。立ち去る。③(地位などから)退く。おりる。④過ぎ去る。⑤〔「世をさる」の形で〕死ぬ。出家する。⑥変化する。あせる。⑦隔たる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意
(注)移しもせむ:移し染めにしようと。或る男にめあわせようとすることの譬え。
(注)からあゐ【韓藍】:①ケイトウの古名。② 美しい藍色。
(注)誰(た)れか摘(つ)みけむ:あらぬ男に娘を捕えられた親の気持ち
韓藍の鮮やかな赤の色が、熱烈な恋心を表し、または美しい女性を表すとされた。万葉集では四首詠われているが、いずれも相聞歌である。
この四首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1166)」で紹介している。
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「秋さらば」と詠いだしている歌は、万葉集には六首収録されている。他の五首をみてみよう。
標題は「寧樂宮」<寧楽の宮>である。
題詞は、「長皇子與志貴皇子於佐紀宮俱宴歌」<長皇子(ながのみこ)、志貴皇子(しきのみこ)と佐紀(さき)の宮(みや)にしてともに宴(うたげ)する歌>である。
(注)「寧楽の宮」とあるが、編者と同時代であので「寧楽の宮に天の下知らしめす天皇の代」と記していない。
(注)佐紀の宮:長皇子の邸宅。大極殿の北方にあった。
◆秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍
(長皇子 巻一 八四)
≪書き下し≫秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上(うへ)
(訳)秋になったら、今もわれらが見ているように、妻に恋い焦がれて雄鹿がしきりに泣いてほしいと思う山です。あの高野原の上は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)今も見るごと:鹿の鳴く絵を見ての言い回し。
左注は、「右一首長皇子」 とある。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その25改―1)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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◆秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
(大伴家持 巻三 四六四)
≪書き下し≫秋さらば見つつ偲へと妹(いも)が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも
(訳)「秋になったら、花を見ながらいつもいつも私を偲(しの)んで下さいね」と、いとしい人が植えた庭のなでしこ、そのなでしこの花はもう咲き始めてしまった。(同上)
(注)咲きにけるかも:早くも夏のうちに咲いたことを述べ、秋の悲しみが一層増すことを予感している。
妾は、家持がなでしこをこよなく愛していることを知っているので、自分の思いをなでしこに託したのであろう。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1051)」で紹介している。
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◆秋去者 妹令視跡 殖之芽子 露霜負而 散来毳
(作者未詳 巻十 二一二七)
≪書き下し≫秋さらば妹(いも)に見せむと植ゑし萩露霜(つゆしも)負ひて散りにけるかも
(訳)秋になったらあの子に見せようと植えた萩、そのせっかくの萩が、冷たい露を浴びて跡形もなく散ってしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
次の二首は、題詞「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらきしじんら)、別れを悲しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、幷(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>に収録されている。
◆秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟
(作者未詳 巻十五 三五八一)
≪書き下し≫秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ
(訳)秋になったら、かならず逢えるのだ、なのに、どうして霧となって立ちこめるほどになげかれるのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)秋さらば:遣新羅使歌群は「秋」は帰朝を前提、つまり「愛しい人」に逢えることを軸に詠われている。当時の遣新羅使は数か月で戻れるのが習いであった。(この時は夏四月に発っている)
(注)す 他動詞:①行う。する。②する。▽ある状態におく。③みなす。扱う。する。 ⇒
語法 「愛す」「対面す」「恋す」などのように、体言や体言に準ずる語の下に付いて、複合動詞を作る。(学研)
(注)ます:尊敬の助動詞
◆安伎左良婆 和我布祢波弖牟 和須礼我比 与世伎弖於家礼 於伎都之良奈美
(作者未詳 巻十五 三六二九)
≪書き下し≫秋さらば我(わ)が船泊(は)てむ忘れ貝(がひ)寄せ来て置けれ沖つ白波
(訳)秋になったら、われらの船はまたここに停(と)まろう。忘れ貝、憂さを忘れさせるその貝を寄せて来て置いておくれ。沖の白波よ。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。
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■「秋さらば」と「秋されば」
「秋去らば」は、「未然形+ば」=「もし~ならば【仮定】:「秋になったら・・・」、
「秋されば」は、「已然形+ば」=「~すると【確定条件】」:「秋になったので・・・」と訳す。
「秋されば」の詠い出しを同じく、「遣新羅使人等」の歌からみてみよう。
題詞「竹敷浦舶泊之時各陳心緒作歌十八首」<竹敷(たかしき)の浦に舶泊(ふなどま)りする時に、おのもおのも心緒(しんしよ)を陳べて作る歌十八首>のうちの一首である。
◆安伎佐礼婆 故非之美伊母乎 伊米尓太尓 比左之久見牟乎 安氣尓家流香聞
(作者未詳 巻十五 三七一四)
≪書き下し≫秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも
(訳)秋も深まったこととて、ひとしお恋しくてならぬあの子を、夢にだけでも一晩中見続けていたいのに、夜はさっさと明けてしまった。(同上)
(注)秋されば:「約束の秋」がいたずらに経ることを嘆くニュアンスが強く感じられる。
(注)恋しみ妹:恋しくてならぬ妻
三五八一歌の「秋さらば」では「秋になったら必ず・・・」という将来への希望がより強く感じられ、逆に三七一四歌の「秋されば」では、「秋になったのに・・・」という今の絶望感に近い悲嘆が感じられるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」