●歌は、「筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ」である。
●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(31)にある。
●歌をみていこう。
◆都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之礽
(大舎人部千文 巻二十 四三六九)
≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ
(訳)筑波の峰に咲き匂うさゆりの花というではないが、その夜(よる)の床でもかわいくてならぬ子は、昼間でもかわいくってたまらぬ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「夜床」を起こす。
(注)さ百合の花:妻を匂わす。
(注)さゆる【小百合】名詞:「さゆり」に同じ。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)さゆり【小百合】名詞:ゆり。 ※「さ」は接頭語。(学研)
「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)によると、万葉集に詠み込まれている「ゆり」は、ヤマユリまたはササユリとされ、分布などから四三六九歌はヤマユリと考えられるとある。
「さゆり」とはイメージがかけ離れるが、ヤマユリは花が大きく、その甘い香りは、たしかに官能的でもある。
「百合(ゆる)」から「夜床(ゆとこ)」を起こす、東国訛り同音でもってくるのが、微笑ましい。夜も昼もかわいいとは、おのろけ以外のなにものでもない。ごちそうさまである。
ヤマユリについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その715)」で紹介している。
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■■■富山県小矢部市、石川県羽咋市、福井県越前市等万葉歌碑巡り■■■
11月11日~12日、コロナ禍がようやく一段落したことでもあり、万葉歌碑巡りを行った。
10日前あたりから天気予報をみているが北陸は「雨」。3時間ごとの予報には傘マークがびっしり。毎日みてみるが、溜息の連続である。晴れ男であったが、今回も駄目そうである。万葉歌碑巡りといと雨が多い。
カメラの雨用カバーを通販などで探すもしっくりこない。御守りにでもなればと段ボールに、プラ袋をかぶせ、透明プラシートを前後に貼り付けたタイプを作ったのである。
残念ながら、北陸の晩秋のスコールはただものではなかった。役にはたたなかったのである。スケジュールの変更も余儀なくされた。
実際の足取りは次の通りである。
■■11月11日■■
富山県小矢部市臼谷 臼谷八幡宮→小矢部市源平ライン口地蔵堂前 砺波の関碑→同源平ライン源平ライン砺波の関跡・万葉公園→→石川県河北郡津幡町 倶利伽羅公園→石川県羽咋市千里浜海岸 千里浜レストハウス→福井県越前市 万葉の里「味真野苑」→清水川万葉大橋欄干
■■11月12日■■
福井県坂井市 三國神社→福井県越前市 小丸城跡→同 城福寺門前→同志水頭町 魚友支店横→同東千福町 ふるさとギャラリー淑羅
≪11月11日≫
出発は午前3時、予定通り8時に到着。参道石段を上ると、拝殿の左側に歌碑はあった。
事前にストリートビューで確認していたので、旧碑・新碑ともに撮影。
■砺波の関碑→同源平ライン源平ライン砺波の関跡・万葉公園
昨年富山県氷見市・高岡市等の歌碑巡りをしたが、帰路万葉公園に行く予定をたてたが、結局特定できず諦めたのであった。
今回は、事前に小矢部市観光協会に確認をいれた。いろいろな資料はもとより、ストリートビューでの位置関係や写真のデータも送ってもらったのでスムーズに周れたのである。
「熊出没注意」の看板にはビビったが。
時折小雨がぱらつくが予定通り歌碑3基とご対面。
「のと里山街道」をひたすら北上。海は大荒れ白波がたっている。冬の日本海のイメージそのものである。「なぎさドライブウェー」は走行禁止と出ている。
ようやく現地到着。風と雨がしだいに激しくなってくる。カメラカバーを準備する余裕もないほど。とりあえず傘をさして碑の方に歩き出す。突然晩秋のスコールといえるほどの土砂降りプラスアルファ―の雨。さらに強い風。傘は飛ばされそうになるは、帽子は飛ばされるしまつ。歌碑の周りはあっという間に水浸し。
なんとか碑に近づき撮影するも、カメラを真っすぐにできない。構えると風にあおられる。いままでに経験したこともない風雨であった。全身びしょ濡れ。
もう一箇所 羽咋郡宝達志水町の歌碑に行く予定をしていたがここはギブアップする。
天気予報をみてみると越前市は「曇り」になっている。予定時間は大幅にずれ込むが、気を取り直し、越前市万葉の里「味真野苑」をめざす。
車のワイパーも効かない。叩きつける雨。反対車線の車も黒っぽい灰色の走るブロックにしか見えない。
途中のPAで着替える。
着替えてしばらくすると嘘の様に鉛色の雲の合間に晴れ間も。
万葉の里に到着。信じられないような青空。
手入れの行き届いた庭園。苔が鮮やかな緑色。今までの苦労も吹き飛ぶ。
平城の都から流された中臣宅守と狭野弟上娘子の歌碑を堪能する。
■万葉の里「味真野苑」→清水川万葉大橋欄干
ホテルは福井駅前であるので、味真野苑を後にする。途中の橋は、ストリートビューで見たことがあった万葉大橋であった。車を停め欄干の歌碑(プレート)を撮影する。
≪11月12日≫
晴れていれば、三国神社から裏山の桜谷公園まで歩くつもりであったが、予報は今日も雨。
桜谷公園まで車で乗りいれる。傘はいらなさそうである。
遊具のある公園の側に車を停める。忠魂碑が建ち並ぶ、やや薄暗いゾーンにあると思い散策する。見つからない。三國神社の方まで降りて行くがわからない。
車に戻ろうと坂を上りだすと、晩秋のスコールにみまわれる。油断も隙もあったものではない。またもびしょ濡れ。参りました。
結局遊具のある公園の奥まったところに歌碑はあった。すぐ近くに車を停めていたのに、万葉歌碑がありそうにないと決めつけていたので罰が当たったようなものである。
ストリートビューで確認がとれていたのでスムーズにいった。
■小丸城跡→同 城福寺門前
ここもストリートビューで確認がとれていたので支障なく撮影。
■城福寺門前→同志水頭町 魚友支店横
周辺の万葉歌碑道標も一部撮影する。これは全部で63基あるそうである。残念ながら一部の撮影にとどまった。
■魚友支店横→同東千福町 ふるさとギャラリー淑羅
雨の中で歌碑とご対面。この後「大虫小学校」近くの歌碑を巡る予定であったが、近くまで行くも結局わからずじまいで今回の歌碑巡りは終了することにした。宿題は残った。
各万葉歌碑の詳細な解説等は後日行う予定です。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「ストリービュー」
★「各所の紹介WEB記事」他